まがま
「マルさんの脚本、今度のなかなか突きぬけてたと思うんだけどなあ。出来レースみたいなことになってるなら通らんのかな」
学食で豆やんと合流して、注文した食事のトレイとともに席について五分ほど。早々にして話は
謎の言葉『まがま』について俺が経緯を説明しあぐねているうち、このコンテストのごたごた自体についての
例年この時期に行われるこのコンテストでは、大賞を
今回、大の特撮ヒーロー好きである俺が書いた脚本は、もちろん正義のヒーローが悪の組織を退治する活劇ストーリーであり。さらにはこれまでも何度か挑戦してきた五人戦隊ものに、切ない恋愛をからめた意欲作だった。
聞けば納得してもらえると思うが、実はこの人形劇というやつとヒーローものの相性は至極良好である。
通常、役者がヒーローを演じるとなると——遊園地などのヒーローショーを想像してもらえば分かる通り——まず衣装にものすごく手間と金がかかる。型紙も前例も少ない奇矯奇抜な造形、素材、可動部を、それを着る人間の生身の肉体に沿わせて破綻を起こさず、しかもそれなりの強度で仕上げなければならない。
だがそれが
また、その劇の公演は近辺の大学の学祭を回ることが多いが、学祭シーズンのほかは遠征として地方の小学校や公民館、また児童養護施設にて興行を打つこともあり、子ども受けが見込まれる題材の脚本はなかなかに重宝されていた。
ついでに言えば、豆やんも脚本を書く人であり、その趣味は主にホラーである。豆やんに言わせればホラーも人形劇と相性がよく、人間の手足がもげたり内臓が出たり、天井からモンスターが降りてきたりするギミックであっても大掛かりとはならず、また雰囲気作りのためにルックスに迫力のある役者をわざわざ探さずとも自分のセンスで作り放題。だがいかんせん、そのジャンル自体が公演の場を選んでしまうので、豆やんの脚本が正式採用されることは多くはなかった。
ただ今回ばかりは、俺の脚本を褒めてくれた豆やんこそ、本当なら受賞に近かったのではないかと俺は思っている。豆やんは、去年から書き続けているゴリラをメインキャラに据えた冒険シリーズものを一公演ぶんにまとめ上げた脚本で今回のコンテストに応募していた。あらすじを聞いただけで目に浮かぶ、ゴリラ勢揃いのインパクトありありながらコミカルな舞台光景は、老若男女分け隔てない受けのよさが期待できた。それだけにコンテスト自体がたち消えるおそれのある、このもめ事が俺は残念だった。
「聞いたらあのA氏って、
豆やんはマイペースに焼肉定食を突っついている。学食最高値となる九八〇円税込みのこのメニューは、熱々の鉄板に薄切りでちりちりになった一掴みの牛肉が贅沢に玉ねぎと炒め合わせられてもやしの絨毯の上に盛られており、そこへスープとデザートの小鉢もありながらライス大盛り無料まで常に許されている、主におめでたいことがあった日に食される縁起のよい一品だ。今日はもちろん俺の奢りである。
「わからん。一年生は、豆やんくらいしか分からん」
答えつつ俺はそばをすすり上げる。
「そう? とか言って俺も、さほど交流あるわけじゃないんだけど。今回どんなの書いてたのかも知らないし」
現在、全体で三〇人弱が所属するサークル内には、趣味や作風、または年齢や学部の別で自然発生したいくつかのグループがあった。あくまで仲良しグループの範疇でしかないものだが、人間同士が日常的に親近にあるというのは俺みたいな人間関係にうとい者からすると意外なほど長期的には効果をあらわすもので――そこでのしがらみに意識的あるいは無意識的に言動を縛られていたり、その中で
それでも、これまでは目立ったグループ間対立なんてありはしなかったが――今回のこれ以降はどうなるんだろうとは、やはり思ってしまう。
「しめきり来月末だったよね。これからスパートって人もいただろうに。テンション下がっちゃうよね」
焦げて滋味深くなったもやしを箸で寄せつつ、豆やんが言う。
「というか豆やんは例の件のことどのくらい知ってた? 実は俺なにも知らなくて」
「俺も基本、ウワサ話くらいしか聞いてないよ。そうだ、ヒロコちゃんさんて確か天津谷先輩とよく話すんじゃなかったっけ? マルさんこそヒロコちゃんさんから何か聞いてないの?」
「浦部さん? 別に聞いてなかったなあ……そういう穏やかじゃない話じたい苦手だし、知ってたのかもしれないけど俺は教えてもらってない」
豆やんの言うヒロコちゃんさんというのは、サークル内にいる俺の彼女のことだ。
実際の名前はヒロコではなく
「だから俺も全然初耳、っていうかまさに寝耳み水って感じだったんだけど」
何か上手いことを言えそうに思って言い直したら噛んだ。
「何? ねみみみ、みみ?」
豆やんに遊ばれる。
「ガスバスバクハツッ」
俺は言い返す。
サークルでは皆、脚本書きや
豆やんはむむっと口を歪めるも、ひるまず応戦の構えをとり、
「ガスバスバスバスッッ」
勢いで切り抜け、いやいやいや全然切り抜けていない豆やんの強引さに俺は噴き出してしまう。
「笑った。マルさん負け!」
「いや今の卑怯でしょ! 笑ったら負けルールもないし!」
「すみませんうるさいです」
近くの席で本を読んでいた眼鏡男子に叱られる。
「すみません、すみません」
「すみません」
謝るふたり。俺は心の中で豆やんにも謝る。仕掛けたの俺だし。
見回すと、昼休みでごった返していたはずの食堂はいつのまにか閑散としており、飽和した人口密度ゆえの喧騒もすっかりなくなっていた。本職の役者ではないとはいえ、舞台で声を張る練習をしているような人間がこんな中ではしゃいでいたらそれは目立つ。
「マルさん講義大丈夫? 俺は今日はもう終わってるけど」
「え、待って、いま何時」
時刻を見るためにスマホを取り出すと、ロックされた画面にラインの新着メッセージありの通知が出ている。
指を走らせてロックを解除する。時間はまだ余裕があった。開いたホーム画面で、ラインのアイコンに『1』というバッジを見る。
アプリを開くと、新着表示が出ているトークは、俺が取っている、まさにこのあと始まるゼミのグループのものだった。
このゼミでは、教授が連絡網にラインを採用している。別にそれは構わないのだが、名前がそれぞれ好き勝手なままでは誰が誰だかわからないからと、全員がユーザー名に本名を含めるものとすることを求められていた。
まあそれもこの一年のことだし、元より何らかのユーザー名で変な名前を名乗る趣味もない俺に支障はなかったが、プライベートに干渉されているのがどうにも気に食わず、またどうせ火急の用事が飛んでくるわけでもないので、オプションでこのトークでは新着があっても画面通知のみで音やバイブは鳴らないように設定していた。
俺はトークを開く。またどうせ、誰かが昨日飲みすぎたとかで自主休講をキメる連絡を入れたのだろう。よくあることだ。俺もやらかした経験のあることだ。そして、その予測は実際当たっていたのだが、それだけではない思いもよらなかったものをそこに見て俺は固まってしまう。
不自然に動かない俺に気づき、豆やんが怪訝そうに俺の手元を見る。俺が画面を
豆やんは画面の中身を確かめ、次にまた俺の顔を確かめるように見る。俺に意味を問うている。この画面の意味を。俺が動揺している意味を。そして――この言葉の意味を、ふたたび。
でも俺は答えられない。俺だって分からない。
打った覚えのない投稿。訳の分からない言葉。現象。それがまた、俺の目の前に現れていた。
尾井:村上先生、失礼します。本日体調不良のため、ゼミを欠席したく思います。直前の連絡で申し訳ありません。
ヒロマル:まがま
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