Observer: L

05 揺りかごに眠る者は

 幾つかは導入時に予想外の挙動を見せたものの、その後、揺りかごクレイドルはひとまず順調に稼動していた。

 そうでなくては困る。この作戦が始まるまでに私たちは、二桁の人数を犠牲にしてしまった。彼らのためにもこの事件は必ずものにしなくてはならない。


Lリマ。七台目がやられたぞ。Jジュリエット終了デッドエンドだ」


 各クレイドルの監視をしていたAI、Zズールーがそう伝えてきた。七台目。まだ溜め息をついてはいけない。


「終了の状況は?」


「情報収集中、自警団に遭遇した。徐々に警戒レベルを上げているとみていい」


「BOTなの?」


「多分な。装備は増えても、モデルが同じだ。同じ顔をしている」


「あら、手抜き」


「そうでもない。住人たちには通常見られることがないんだ。顔がついてるだけ凝ってるよ」


「ふん。Jジュリエットからのデータは」


「ケツは切れたが、途中まではちゃんと取れてる。だがコードじゃない」


 送られてきたデータは直ちに本部に共有される。これまでに判明した情報から、大掴みではあるが既に現実の位置情報を絞り込む作業も始められていた。

 私は終了したJジュリエットの生体情報を確認する。血圧。心電図。脳波。……どうかこのままってくれ。残る誰かが、決定的な情報を掴むその瞬間まで。




 私たちが追う犯罪組織、通称『バルビエル』が独立のネットワークを持っているということが分かって以来、私たちはそのネットワークへの潜入方法を探り続けてきた。それが意識ごとダイヴし仮想現実に入るタイプのものだということが分かると、私たちはバルビエル内部から苦労して技術者をスカウトし、ダイヴに必要な装置を作らせることにした。

 まあ、犯罪組織らしい発想ではあった。ネットワーク使用中は身体が眠っているから、組織は身体の方を人質に取っておくことができる。

 揺りかごクレイドル最初の一台がようやく完成したとき、続く別の揺りかごクレイドルの完成を待たずに単身ダイヴに踏み切ったのが私たちの工作員のひとりだ。彼、Aアルファは今もまだ眠っている。

 潜入したAアルファが送ってきた情報は驚くべきものだった。


 バルビエルのネットワークは、巨大な高層スラム建築の姿をしていた。かつて香港旧市に実在したという巨大スラム建築などがモデルらしい。非常に雑然としており、過密で、迷路のようで、広大。外界との緩やかな敵対にも違和感がなく、出て行こうという気が起こりにくい世界観だとAアルファは伝えてきていた。

 そのスラム世界には、たくさんの住人が暮らしている。ただネットワークを使うだけならまるで必要がないほど高度に洗練された仮想現実の中に人が住んでいる。

 はじめ、Aアルファはその住人たちがすべてBOTなのだろうと考えた。

 スラムの外見グラフィックを見ていくと、非常に文字情報の多い絵作りであることがわかる。壁という壁に張り紙が重ねられ、剥がされ、落書きがあり、たくさんの看板やネオンサインがあり、テレビも新聞も雑誌もある。気をつけて見れば見るほど文字だらけだ。そして、時折それを消している者がいるということにAアルファは気づいた。

 Aアルファは私の期待よりもはるかに優秀だった。実に数ヶ月に渡ってスラムに住み着き、その文字たちを収拾した。その結果、どうやらその一部が組織バルビエルにつながる情報のかけらであることが分かってきた。

 私たちはそれを、創世主の塵ダストと名付けた。

 BOTはダストを消すが、能率はそれほど高くなく、たまたま見つければ消す、という程度のものらしい。BOTを避けながらAアルファが送り続けたダスト情報から、私たちはスラムの意味を知ることになった。

 この仮想現実スラムの住人の一部は、バルビエルが抱える商品、すなわち、臓器売買や血液生産、赤ん坊の生産などをさせられている被害者たちだったのだ。現実では眠らされたまま、それまでの記憶を忘れ去って仮想現実の中で暮らしている。眠る人間は逃亡しない。

 BOTと人間が混在するスラム街の中で、Aアルファは捜査を続けた。

 引き続き収集されたダストからは、住人がスラムから目覚めるためには鍵がいること、そして作成者がスラムを管理できなくなった時には自壊させる仕掛けがあり、そのためにも鍵がいることが分かった。


 そしてある日、鍵は星が持っている、という言葉を送ってきた直後、Aアルファはスラムの部屋の窓から落ちて終了デッドエンドになった。その意味は分からない。

 しかし、彼が稼いでくれた数ヶ月の間に揺りかごクレイドルを複数用意することができ、私たちチームは改めて本格的な潜入捜査に踏み切ったのだ。



 今、潜入した工作員たちは新たなダストを拾い、いくつかの言葉を伝えてきていた。


 星。

 さそり。

 腕の死。

 それから、様々な場所に現れる脈絡のない数字。これがどうやら、位置情報に繋がりそうな様子だった。


 もしかするとAアルファを助けることができるかもしれない、と私は思い始めていた。彼は、文字通り死ぬつもりでこの捜査に旅立っていた。

 そもそもバルビエルのネットワークの存在を私たちが知ったとき、そこにダイヴする方法は推定できたものの、出て来られる確証はなかった。これまで知られている類似の構造から推測するならば、一度入った者が出てくるためには、構造内部にある解除コードを必要とするはずだった。

 つまり彼は、単身潜入して、予想される異分子排除システムに抹消される前に、自力で解除コードを発見しなければ無事に帰還することができない。可能性はきわめて低いと考えられた。

 それでも行くと彼は言った。どんなことをしてもこの組織を摘発し、被害者を救わなければならないと。

 解除コードを入手できないままスラムの中で死んだ場合にどうなるのかも、ダイヴ当初は分かっていなかった。だから、スラムでもし殺されればそのまま本当に死ぬ可能性もあった。

 結果として彼が終了デッドエンドになったとき、彼の生体情報は沈黙しなかった。彼はまだ生きている。

 新たに送り込んだ工作員たちが解除コードを手に入れることができれば、あるいは彼を助けることもできるかもしれない。


 そのコードを、星が持っている、という。

 しかし、スラムの空に星はなかった。

 星の名がつく街路や地区もない。

 人の名前、店の名前、様々に星のつく名前を工作員たちは検証しているが、今もって何のことなのか分からない。


 星とはなんなのか。

 鍵は、どこにあるのか。




「八台目だ。Gゴルフ終了デッドエンド。動きが早くなってきた」


 Zズールーの声に、私は顔を上げた。


コードは」


「取説だけだな」


 終了していないのは、あと二台。

 そのうち一台は導入時にトラブルがあり、予定通りに行動できているかどうか心もとない。

 私は唇を噛んだ。


 お願いだから、間に合ってくれ。

 解除コードを探し出して、何とか伝えて。



 私に、アルファを取り戻させて。


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