project abyss

カタルカナ

――プロジェクト・アビス――

 この計画には多大な犠牲が出ることだろう!



 だが、我々はそれを踏み台に進む!



 一人の犠牲で一つ下に!



 もう一人の犠牲でまた下に!



 何人の犠牲が出ようと我々は進まねばならぬ!



 皆も知っているだろうがこれらの犠牲は無駄である!



 ここから抜け出すための無駄な犠牲である!



 だが、ただのうのうと生きていて何を得られるというのだ!



 我々の生きていく、生まれた意味はなんだ!



 ただ死ぬためか! 死ぬためなのか!





 断じて否だッ!





 我々は探求するために生まれてきたのだ!



 無駄に犠牲を払い! ただひたすらに探求するために生まれてきたのだ!



 ならば進もう! 我々は探求者だ!



 皆よ、自分の心に問え! 探求を続け、その先を知ったとして? 犠牲に見合うものはそこにあるのか?



 そして答えよう! そんなものは無いと、そう断じよう!



 我々のやっていることはただ犠牲を払うだけのことだ!



 探求したい! その先を知りたい! それだけでいいではないか!



 そう! ここにいる我らはただ無駄に生き、無駄に死に、ただ探求し続ける!





 それだけの存在だッ!





 だから、だからこそ我々は! 深淵へと向むかい我々の存在に意味を生み出すのだ!



 我々の意思はこのプロジェクトとともに!



 “プロジェクト・アビス”とともに!






  ⁂  ⁂  ⁂






 彼らの住む世界に光はない。



 彼らの住む世界に空はない。



 彼らの住む世界は狭い。



 彼らの持つ志は大きい。



 ――そもそも彼らに世界という観念も、光という概念も、空という存在もありはしない。



 不思議なことに彼らは元々言葉を持ち、元々道具を作り出す技術を持っている。



 彼らの発祥は分からない。彼ら自身も知らない。



 彼らの世界に原因はない。



 彼らが存在する、彼らが言葉や技術を持っているという“結果”だけが存在している。



 彼らがどこにいるのか?







 その疑問に答えられる者は誰もいない。






  ⁂  ⁂  ⁂






 彼らが住む世界の形は、見る限り縦二㎞、横二㎞、奥行き二㎞の直方体になっていて、上下左右前方後方すべてが土になっている。



 この直方体の中は主に三つに分けられている。





 一つ目は探求者たちのいる中心部。



 そこには、底面のちょうど中心に探求者たちが下へと向むかう穴を掘っている。近くには出てきた土を積み、日に日に大きくなっている山がある。



 穴はそこまで大きいものではないが、大体九㎞ほど掘られている。



 探求者たちはこの計画を“プロジェクト・アビス”と呼んでいる。





 二つ目は底面を対角線で引いて分けた一方。



 この方面に属する壁二面には、埋めつくすように植物が生えている。



 壁に沿うようにやぐらが立てられていて、作物の収穫などがこの方面での主な仕事。



 中心部の山と植物の生えた壁に挟まれた土地は、住民が生活する住居地区であり、探求者の妻子が帰りを待っていたり、探求者のために取れた作物で料理の腕を振るう者がいる。



 生育状況は年によって右の面と左の面で異なる。原因は不明。





 三つめは底面を対角線で引いて分けたもう一方。



 この方面に属する壁二面には、過去に人が五~六人ほど通れるトンネルを掘られている。



 そのトンネルは大体どちらも真っ直ぐに十七㎞と、あと六百メートルほど掘られて終了される。それ以上進めなかったのだ。



 強靭な岩盤がありそれを突破する術がなかった。



 回り込もうにも、網のように広がっていて結局断念された。



 この方面での主な仕事は、壁に空いたトンネルを利用した、ゴミや下水の処理である。



 中心部の山とトンネルのある壁に挟まれた土地には住居地区で出たごみが置かれており、それをいくつもの分岐が作られたトンネルの中に運んで埋める。



 数年すると土になるので、数年後にはまた掘られてゴミ捨て場として使われることになる。



 下水なども、トンネルの奥にポンプで送られている。



 両方のトンネルを同時にゴミ捨て場として使うわけではなく、片方のトンネルがある程度埋まったら土になるまで休ませておく、というように交互に使われている。





 この小さな世界の中、大きな志を持った彼らは“プロジェクト・アビス”を推し進めているのだ。






  ⁂  ⁂  ⁂






 彼らは今日も穴を掘る。



 人が潜って土を搔き、機械を使って運び出したら山に盛る。



 それでできた穴は、大人の男が大の字に寝ても余裕で二人落ちれる穴の大きさだ。



 壁には梯子はしごが取り付けられ、それを支えるための杭が深々と突き刺されている。



 穴の奥は覗いても垣間見ることはできない。



 ――ガガ、ガッコン……ゴーン……ガッ……



『うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!』



『バケッ……うわぁぁぁあああ! 落ちて来るなぁぁぁぁああああああああああ』



『…………なっ!』



 ――グァォーン……ギャァァン……



『…………!?』



『……急に音が……』



 叫び声と、金属同士が思い切りぶつかるような音を聞いて探求者たちは黙祷する。





 何人か死んだ。





 黙祷をささげながらも彼ら探求者たちの認識はそんなものだった。



 彼らの仕事は探求すること。



 泣くのは待っている家族の仕事。



 だから彼らは誰一人涙も流さず、慌てることなく、黙祷を終わらせると作業に取り掛かる。



『こわれたのはこのバケツか』



『九㎞を超えてから急に調子悪いですよね』



『設計ではニ十㎞までは余裕で行けるはずだろ』



 彼らは仲間が死んだことも悲しむことはなく、ただひたすら探求する。



 深淵に向かうことこそ彼らの生きる意味だ。何が起ころうとも彼らのその決心は変わらない。






  ⁂  ⁂  ⁂






 彼らは進んでいる。



 彼らは今、掘り進めて十二㎞地点まで来ていた。



 九㎞地点を超えたころの機械の故障もなくなっていた。



『新人の機械はやっぱり調子がいいよなぁ』



『そうですねぇ。十㎞地点に行くまでに何人死んだことやら』



『おいっ! お前……』



『……すっ、すいませぇん』



 彼ら探求者たちの間で死人のことを話すことはタブーだ。



 彼らは悲しむことは決してないが、死んだと認識しても口に出すことはダメなのだ。



 犠牲とは無駄だったということを意味するから。



 理解はしているが、彼らの感情はそれを認めはしない。



『さ、最初の機械も、十㎞から九㎞地点まで戻して稼働させると、あれだけ事故を起こしていたのが嘘のように故障とかしなくなりましたよね』



『設計したものと実物の違いだろうな。今、新型は十二㎞地点から九㎞地点の機械の近くまでの稼働で、旧型の機械とその名の通りバケツリレーって感じだが、この先も掘っていくとなると、この形式で進めるのがいいんだろうな』



『事故のことも考えるとそうですね』



『探求者様方、ご注文の品になります』



『お、来たか』



『さあ、食べましょう』



 ここは探求者たちの憩いの場。



 壁から採れた、採れたての作物をふんだんに使った料理を披露する食事処である。



 それと同時に探求者にあこがれる若者たちが集う、探求者の卵の巣窟でもある。



 でもある、が……



 ――ガシャァアアン……カラカラカラ……



 ――ガタガタガタガタ……ガタァン……



『どうしたんですかお客様? なんですか苦しいんですか? アハハハハハハ! 運が悪かったですね! でも分からないでしょう! 僕の方が苦しいんですよ! 運に見放されて、どうしてもなりたかった探求者になれないで! それでもあきらめきれずにこんなところで働いているんですからねぇ!』



 夢に破れたものもいる。



 でも、彼ら探求者は仲間の死に動揺はしない。それがどんな死に方でも。



 彼らはその光景を見ていた。その中には死んだ者と仲の良い者もいる。



 でも彼らは冷めた目で黙祷をするだけだ。



 毒を盛った彼もそれは理解している。



 だからこそ探求者ならば誰でもよかったのだ。



『お前は探求者になりたかったのか。まあ、体格も細いし……確かに見る限り素質はないな。だが、そこまでなりたいのなら俺についてこい。他にもついて来たいやつがいるなら来い。現場に連れて行ってやる』



 その行動に他の探求者が異論を唱えることはなかった。



 彼についていった探求者の卵たちは、深い深い穴を目前にそれぞれがそれぞれの反応を見せている。



『俺が許す。自由にしていいぞ』



『そうかい、僕を探求者にしなかったのを後悔させてやる!』



 彼は、真っ先に穴の底へと通じる梯子はしごに手をかけた。



 ――ヒュー……ガンッ……ガンッ……ガンッ……



 そのまま彼は奈落の底へと落ちていった。



 彼が梯子はしごを降りようとすると、それを支えるために深々と刺さっていた杭がスポンッと抜けてしまったのだ。



『お前に素質がないといった理由を教えてやろう』



 彼がそう言っている間にも卵たちは奈落へと飲まれる。



 探求者たちはただ黙祷をし続ける。



『お前は運が悪い』



 最終的に探求者の卵たちは、最初に来た人数の半数以下に減っていた。






  ⁂  ⁂  ⁂ 






 彼らはたどり着く先を知らない。だからこそ、進み続ける。



 彼らは、十七㎞地点を超え、もう少しで十八㎞地点というところに到達した。



 新型が入り以来九㎞地点までの機械の故障はなく、九㎞地点からの新型も一度も故障することなく、今の地点まで進むことができていた。



『この新型もだいぶ頑張ってくれているな。もう少しで旧型が故障し始めた九㎞を超えそうだから気を付けないといけないな』



『そうだよな。俺たち嫁を置いて来てるんだ。探求者としてじゃなくて、夫として死にたいよな』



『おいっ、お前』



『いいじゃねーか。これは別にタブーでもないだろ』



『ま、まあそうだけどよ』



『探求者もいいけどよぉ、そろそろ帰って嫁さんを抱きてぇなぁ。子供にも会いてぇし』



『はあ、じゃあこれ終わらせてさっさと帰るぞ』



『おう!』



 ――ザグッ



 今まで掘っていたのとは違う手ごたえに、音。



 ――ザザザザザザザザザザ……ガザザザザザザザザザザザッ



 彼らの足元だったはずのものは崩れ去り、彼らは貫通した穴から落ちた。



 梯子はしごの方で待機していた者や、他の仕事をしていてそこに立っていなかった者はただ黙祷を彼らに向ける。



 落下音がするまで、してからも数分黙祷は続き、黙祷を終えると彼らは歓声を上げるのだった。






  ⁂  ⁂  ⁂






『“プロジェクト・アビス”はここに達成された!』





 住民たちには速報でそう知らされた。



『達成したんですよね! じゃあ私たちの夫も戻ってくるんですよね』



『あたしの夫が……パパがやったんだって嬉しいねぇ』



『パパ? ……パパ! すごいね!』



『そうだよすごいんだよ!』



 速報を聞くなり、探求者のもとに飛びついて来たのは若い探求者たちの妻たちだ。片方は五歳くらいの子供を抱いていて、もう一人は妊婦であった。



『残念ながら彼らは開通とともに落下してしまいました。もう……』



『……! そ、そんな……うっ……』



『………………なんて……なんて……』



『……? パパは?』



『君はあいつの子か……パパはこの穴の奥だよ』



 その子供は探求者を見上げて何かをつかむように手を伸ばす。



『……穴』



 探求者はその子供に微笑みかけると、その子の頭を撫で次の準備のために向かう。



 人だかりができていた。達成の速報で集まったのとは違う様子の騒ぎだ。



 その中心には、顔が分からないほどぐちゃぐちゃになった死体があった。



 服装で探求者と分かる。それに黙祷すると仕事のために歩みを進めた。






  ⁂  ⁂  ⁂






 “プロジェクト・アビス”の最終段階が始まる。



 穴が貫通した。次にやることとは、そこに飛び込むことだ。



 穴には落ちないように、貫通した時点で蓋ふたがされている。



 飛び込むときは蓋ふたのようにふさいでいるものに乗っている状態から落とされる。



 その後は、パラシュートでゆっくりと降りるのだ。



『お前、準備は大丈夫か?』



『お前こそ』



『俺は問題ない』



『そうか、気ぃ引き締めろよ』



『お前こそ得体のしれない生き物がいてもブルっちまうんじゃねぇぞ』



『だ、大丈夫だよ』



『そ、じゃあカウントダウンだ』



 ―― 三



『緊張するか?』



 ―― 二



『いや、そんなに』



 ―― 一!



『よっしゃ! 行くか!』



 彼ら探求者の足場になっていた蓋ふたが消え。落ちる。



 彼らの視線の先には遠いながらも、何かあるのは間違いない。



 徐々に形がはっきりとわかってくる。



 家がある。山がある。植物が見える。



『なあ、なんかこの家俺たちのとこと似てね?』



『壁の植物とやぐらもそうだ』



『……な、なあ』



『……なんだ?』



『これってマジなのか?』



『……マジ……なんじゃねぇのか?』



 探求者たちは土の積まれた山へと降り立つ。



 目前には驚愕という表情に包まれた観衆がいる。



 その一人一人に目を向けると間違いなく、自分たちを見送ったはずの人たちがそこにいた。



 “プロジェクト・アビス”の最終段階はこうして終了した。






  ⁂  ⁂  ⁂






 “プロジェクト・アビス”終了後、探求者の一人が生育の悪い植物が生えている場所を掘ることになった。



 そこからは、一部土になった大量のゴミが出てきたという。






  ⁂  ⁂  ⁂






 探求者の死体置き場に似つかわしくない五歳くらいの子供がいた。



 一人の死体を見下ろしている。



 その死体は特に顔面の損傷がひどい。



 死ぬ直前に衝撃的なものでも見たのか頭を守ろうという意志が働いていないのが見て分かる。



 そのおかげで手はとても綺麗なままだった。



 その子供は、その冷たく硬い手を握ると確信したようだ。



『パパ! すごいね!』



 子供は上を見上げる。



 天井とも呼べるその面の中心には、小さく穴が開いているのが見えた。



 父親の手を握りながら、もう片方の手でその穴に向かって手を伸ばす。



『すごいね!』



 無垢な子供の笑い声が、無為な死体の置き場所に…………

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