「或る男の選択」②

「——……あの人は、シンを独り占めしたいらしいよ。折角見つけた強敵なのに、他の奴にくれてやるのは勿体無いって。向こうの立ち回り次第では、強力な味方になるでしょうってブルートさんが」


「……いきなり何を言われたかと思ったが、そういう事か」


 ”雷獅子”レオンハルト・イェーガーの事だろう。いかにも戦闘狂らしい思考と言える。記憶を取り戻した今ならば、彼の行動原理や思考基準も少しだけ分かるから、確かに納得は出来る話だった。


 神にギフトされたのかのような恵まれ過ぎた体格と、異常な程の戦闘意欲。強敵と戦う事を欲しながら、その強敵に殆ど恵まれないというジレンマを抱えた聖騎士団の異端児。強化人間ブーステッド化の施術を受ける前から並の聖騎士では歯が立たなかったらしいが、強化施術を受けてからは、彼は更に”飢餓”に悩まされる事になった。”雷刃ボルト”と”再生リジェネーション”。神はどういう訳か彼をひどく贔屓しているようで、通常だったら一個も発現しない場合が殆どの”特殊能力リンゴ”を、二つも手に入れてしまったのだ。


 シンが聖騎士団に所属していた頃、奴には何かと絡まれていた。何が切っ掛けで奴に目を付けられたのかは分からないが、奴の再生リジェネーションはどうも氣の流れに関連があるようで、氣の遣い手であるシンは奴に手傷を負わせられる数少ない候補であったのが原因ではないかと考えている。


 奴のしつこさは折り紙付きだ。いずれまた、姿を現すだろう。なるべく回避出来るよう努力はするつもりだが、どこまで逃げ切れるかは分からない。もしも相対してしまったその時は、せいぜい殺されないよう足掻く他無いだろう。


「まぁ、取り合えず、教会領からの追っ手は振り切ったって事でいいんじゃないかな。シン達の情報は教会領には届かないし、だから新しい討伐隊がやって来る事も無い。警戒しなくてもいい訳じゃないけど、此処で静かに暮らす分には、ね?」


「……」


 ね? と何処か嬉しそうに顔を綻ばせている彼女にとって、シン達が今後もこの修道院に残るというのは既に決定事項なようだった。正直、人類の天敵双子人類の裏切り者シンを置く事は彼女にとってリスク以外の何物でもないような気がするのだが、”迷惑ではないのか”と訊いた所で、彼女は”そんな事無い”と返して来るだろう。怒り出すかもしれない。そんな訳で、シンはもうわざわざその点に触れたりはしなかった。


 実際、有り難い話なのだ。


 人里から離れていて、尚且つ離れ過ぎてもいない。ティセリア自身はシン達の事情を理解しているし、何より彼女は周囲の人間から信頼されている。シン達に向けられる不審の目も、彼女が間に立てば和らぐに違いない。


「……」


 それと、もう一つ。


 シンがたった今掌を這わせたシーツは相変わらずの感触だったが、さっきの一瞬だけはまるで異なる性質を持っていた。


 いや、“書き替えられていた”と表現した方が正しいだろうか。


 ほんの一瞬だけ。シンがシーツの上で滑ってバランスを崩した、その瞬間だけ。


 ティセリアの蒼い目が、まるで核融合炉が燃えているかのような輝きを灯していたのを、シンは確かに目撃したのだ。


「……お前の中にも──」


 一体誰が想像出来るだろう。


 今もニコニコと笑っているを持つ彼女の中に、得体の知れない圧倒的で絶対的な“力”が眠っているという事を。


「お前の中にも、居るのか?」


 実験の為、或いは口封じする必要のある者を無駄にしないリサイクルとして、シンは"彼"のコアを体内に埋め込まれた。


 森羅万象を灰燼に帰す無慈悲な焔。有象無象を打ち砕く無双の矛。かつてベリアルと呼ばれて恐れられた黒き神は、シンの存在に根を張って融合し、再びこの世に顕現を果たした。


 暴走し、その余波で一切合切を焼き尽くす筈だったその“力”を、ティセリアは悉く受け止めて、上手く宥めて抑え込んでしまった。


「私の、中?」


 森羅万象の在り方を決める気まぐれな指標。自身が想う通りに有象無象を捻じ曲げ、事象や概念、時間軸や因果律ですら書き換えてしまう最強の盾。ベリアルに対抗し、人々に与した白い女神を、嘗ての人々はセラフィムと呼んだ。


 実際に関わった記憶などシンには無いのに、知識としてその情報を持っている。自身の記憶ではない誰かの記憶が、頭の中に勝手に居座っている感じだ。


 突然の質問だった所為か、シンの言葉にティスは最初きょとんとしていた。が、やがてゆっくりとその表情を穏やかな笑みの形に解すと、さらりとした口調で答える。


「居るよ」


 あっさりとし過ぎていて、却ってシンの方が困惑してしまったくらいだ。


 シンが咄嗟に何も言えないでいる内に、ティスはほっそりした白い掌を豊かな胸に当て、何でもない事のように言葉を続けた。


「私も、貴方とおんなじ。あの”片眼鏡くそめがね”に神様のコアを植え付けられて、適合しちゃった実験体。シンと違って、大事に、丁寧に実験されたから、シンがやられた拷問紛いな事はされてないけど」


「くそめがね……」


 インテリぶった嫌味な細面を思い出し、思わず少し笑ってしまった。十中八九、シンが思い描く”奴”の事だろう。シンにベリアルの核を植え付けた張本人にして、人体強化ブーステッド技術をして吸血鬼から人類を守ったとされている”人類の保護者”。ティセリアの声には嫌悪と軽蔑が込められていて、多分その感情が彼女の言葉遣いを汚くしたのだろう。彼女の汚い言葉遣いは聞き慣れなかったが、その感情に共感してしまったのだった。


「アイツだな」


「そ、アイツ」


 ふんす、と鼻息も荒く頷くティセリア。その後、ちょっとバツが悪そうな顔をしたのは、汚い言葉を吐いた自分自身に罪悪感を抱いた所為か。彼女は元々、教会領の人間だったという。雷獅子の言葉を信じるなら、”聖女”とか何とか呼ばれていたとか。教会領のシンは聖騎士団に入って朝から晩まで戦闘訓練に明け暮れていたので、実はそういった世俗の話には詳しくないが、じつは結構な有名人だったのかもしれない。


 教会領の人間は、清貧に生きる事を善しとしている。今のティセリアは神を信じておらず、血や暴力にも理解を示すが、それでも小さなころから積み重ねてきた生き方をそう簡単に打ち消す事は出来ない。寧ろ細々した習慣や考え方こそ、その生き方に最後までこびりついてしまうものだ。汚い言葉遣いを恥じる彼女が教会領の出身だというのは、今の一連の流れで何となく納得してしまった。


「大変だっただろう」


 罪悪感から気を逸らすというのも兼ねて、会話を進める。


「俺みたいに、お前みたいな先輩がいる訳でもない。一人で、訳の分からん力と向き合う羽目になって、辛かった筈だ」


 俺だったら気が狂ったと思う。そう続けると、彼女はゆるゆると頭を振った。


「セラフィムはベリアルと違って穏やかだし、過保護だから」


 曰く。


 彼女はシンの場合と異なり、適合はすんなり上手くいったようだ。力も問題無く使う事が出来て、しかしだからこそ、教会領から逃げ出す決意を固めたらしい。文字通り世界を捻じ曲げる力を見て、”神を手に入れた”と狂喜乱舞するに、この力を好き勝手に使わせる訳にはいかないと思ったのだと。


「で、此処まで逃げて来て、シスター・マーサーに拾ってもらって、此処で静かに暮らしてたってわけ。力を使うのは。細やかな失敗を無かった事にしたい時とか、友達の怪我の回復速度を速めたい時とか」


「意外だな。そこまで徹底するなら、力は封じて生きるものと思ったが」


「まぁ、便利だし」


 私、神様じゃないもん。


 何処か意固地な響きを含んだその声を聞いて、シンはそれ以上聞くのを止めにした。細やかな失敗を無かった事にしたり、友達の怪我の回復速度を速めたり。逆に言えば、その程度の事にしか彼女は力を使わないという事だ。


 彼女はそう願えば、文字通り何でも出来る。それこそ、”くそめがね”をこの世から抹消したり、自身が改造された歴史を改竄したりも出来るだろう。


 だがそれは、本当に神の所業だ。彼女は彼女がそう言った通り、ちょっと利己的な、普通の人間でありたいのだろう。彼女と似たような存在を宿し、同じような目線に立ったからこそ、シンにもその”願い”は良く分かる気がした。


「戦いに関しては?」


 とは言え、気になる事もある。


 ベリアルとの戦いを思い出しながら、シンは思わず聞いてしまっていた。あの攻防は戦い慣れしている者のそれで、ティセリアも本当は戦いの心得があるのではないかと疑ったのだ。


「あれは殆どセラフィムだよ。自衛の状況の時は勝手に反応して出てくるし、後は私がそう決めた時に戦闘管制を任せるから、その時は私もシン以外には無敵になれると思う。けど私自身は、本当に只の小娘だから。だからシンには、いっぱいしんどい事押し付ける形になちゃったし……――」


 少しだけ、ティセリアの声が暗くなる。


 一瞬どうして彼女が落ち込むのか分からず、困惑してしまったが、本当は力を持っているのに、戦っている事を気に病んでいるのだろうと思い当たった。


 はぁ、と嘆息を零してしまったのは、呆れ半分、脱力半分である。


 若干傷付いたような顔をしたティセリアの額に、丸めた指を近付ける。不思議そうに見返して来た彼女と一瞬、しっかり目を合わせてから、その額を指で弾いてやった。


「——っだ!?」


「阿呆。押し付けたも何も、俺が好きでやっている事だ」


「ご、ごめ……!?」


「謝んな。好きでやってる事だって言ったろうが。女子供を守って戦う。これ以上男冥利に尽きる事が他にあるか? 男が傷を勲章って言って自慢すんのはな、家族を守る為に戦った事が誇らしいからだ」


 頭を軽く仰け反らせ、それから衝撃を貰って赤くなった箇所を両手で抑えたティセリアを真っ直ぐに見据えて、シンは敢えて傲慢に言い放った。まさかのデコピンされるとは思っていなかったらしく、此方を見返して来るティセリアの目尻には涙が滲んでいる。どうやら余程痛かったのだろう。


 そう、痛かったから泣いているのだ。


「——お前のお陰だよ」


 心の中で居住まいを正し、一刀を振るう心境で言葉を紡ぐ。


 ティセリアは今度こそ不意打ちを喰らった様子で、言葉に詰まって黙り込む。


「お前が居なかったら、俺は双子あいつらを守れなかった。記憶を失っちまったから、スタートラインにすら立てなかったかもしれない。それをお前がフォローしてくれたんだ」


「いや、それは多分、コアとの融合過程で絶対起こるというか……融合さえ完了すれば、多分シンは私が居なくても全部思い出してたと言うか……」


 ティセリアは何やらゴニョゴニョ言っている。


 その目線はあちこちに彷徨い、頬には朱が差している。罪悪感を心からの感謝でカウンターされるのは、流石の彼女も予想していなかったらしい。いつもの何処か超越したような余裕ある態度は何処にもなく、頭から噴き上がる蒸気を幻視してしまいそうなくらい、彼女は照れて狼狽していた。


「ここでの話をしても仕方ねぇさ」


 ここぞとばかりに畳み掛けてみる。普段は何だかんだと丸め込まれたり煙に巻かれたりする事が多いので、こういった展開は少し新鮮だ。


「お前が居たから、俺は此処まで双子あいつらを守り切れた。お前が居なかったら、今の結果は絶対無かった」


「う」


「俺は勿論、双子あいつらだって、お前には感謝しかないだろうさ」


「うぅ」


「お前は最高の仕事をしてくれた。欲張って、要らん後悔なんかすんじゃねぇや」


「うぅ~~~~~~~っっ」


 とうとうティセリアは掌で顔を覆ってしまった。顔を隠すように覆い、それから熱を冷ますように頬に当て、シンと目が合って再び顔を隠してしまう。


「もー!」


 と思ったら、いきなりその掌を握ってシンの胸を”べちっ”と叩いてきた。冗談のレベルではあるものの、スナップが効いていて、そこそこ重みがあった。


「いて」


「ズルい、ズルいズルいズルいズルい! 何なのさ、もー!」


「ずるいって何だ。俺は事実を言っただけだ」


「そういう事さらりと言っちゃう辺りとかさー! 自分の役目だ、みたいな顔して戦う役を独り占めする所とかさー! 私、男の子シンのそういう所、本当にキライ!」


「我慢しろ。そういう男だ、俺は」


「うううぅぅ……」


 呻く彼女は、再び顔を覆ってしまった。


 モテる男なら、此処で気の利いた一言やフォローがあるのだろうが、何しろシンは剣の事しか知らないし、考え方や価値観も些か古い。守るべきものの為に身体を、時には命を張るのは男の花道だと考えている。喩えティセリアが相手でも、其処は譲るつもりは無いのだ。


「仕返ししてやる……」


 メラメラと燃えている声で、ティセリアが呟く。


 何事かと改めて彼女に目線を遣れば、彼女は顔を覆った指の隙間から、シンの顔を覗き見ていた。


「いつか、シンがやられて弱ってる時に、颯爽と飛び込んで助けてやる……」


「へぇへぇ。期待させて貰いますよ」


「あー!! 馬鹿にした!! 今絶対馬鹿にした!!」


「してないしてない。そんな時は絶対に来させないと思っただけだ」


「こ、こんにゃろぉ……!」


 何時しかティセリアは笑い出していたし、多分、シンは最初から笑っていた。


 結局の所、シンが戦う理由なんてそんな大それた理由では無いのだ。死なせたくない奴らが居る。笑顔で居て欲しいと、幸せに生きて欲しいと願う奴らが居る。人類の裏切り者と呼ばれようと、いつか地獄に落ちようと、彼女等が泣きながら死んでいくのは看過出来ない。それだけだ。


「あ」


「お」


 階段を慌ただしく駆け登ってくる音が聞こえた。体重の軽い、小さい子供の足音が二つ分。


 時間切れかぁ、と少し残念そうに呟いて、ティセリアが椅子からのんびりと立ち上がる。


 そのまま踵を返して歩き去るのかと思いきや、彼女は最後にシンと目を合わせ、ほんの一瞬、何故か緊張したように小さく咳払いをして居住まいを正す。


「シン」


 シンが戦うのは好きでやっている事だ。彼女らに見返りを求めるつもりは無いし、最悪嫌われてしまったとしても、それは別に関係が無い。


 関係、無いのだが。


「お帰り」


 何故だろう。


 その言葉を聞いた瞬間、シンは胸がグッと詰まったような感じがした。本当は何かの言葉を返したかったのに、口を開くと何かが零れてしまいそうで、何も言う事が出来ない。


 気付いた時にはティセリアは既に踵を返していて、部屋に飛び込んで来た双子の少女と入れ替わるように、その場から立ち去っていた。


「「シン……!」」


 立ち去ったティスにすら気が付かない様子で口々にシンの名前を呼びながら、ヒナギクとホタルがシンに向かって突進してくる。


 容赦無しに二人掛かりでぶつかって来た彼女達をシンが真正面から抱き止めてやると、二人はシンの身体にしっかり抱き付いて、どちらともなくボロボロと涙を零し始めた。


「よかった……!」


「いきてた……! いきてた……っ!」


 ぐすぐすと嗚咽を漏らし始めた彼女達の身体は、とても温かい。まだまだ足りないとばかりにギュウギュウとシンを抱き締めて来るその腕は小さいけれど、力強い。


 何か言うべきか、だとしたら何を言うべきかという些細な悩みは、それらを感じた途端にどうでも良くなった。


「あー……」


 世界を敵に回した。これからも彼等はよってたかって、悪意と害意を向けて来るだろう。


 それでもシンは躊躇わない。ありとあらゆるモノから、この小さな命達を護る事。それがシンに出来る唯一の事で、シンにとっての戦いだから。


「……ただいま?」


 お帰りと言ってくれたティスの言葉は、きっと彼女が思う以上にシンの中に大きく響いた。彼女に直接返す事は出来なかったが、それでも今ここでその言葉を紡いだのは、何処かで期待していたのかもしれない。


 果たして、双子は反応した。


 先ずはシンからゆるゆると身体を離し、次いで腕を使ってゴシゴシと目許を拭う。意を決したように上げられた顔にはどちらもまだ涙が残っていたけれど、それでも今の二人を見て『泣いている』と思うような奴は居ないだろう。


 ホタルは、満開の笑顔を浮かべて嬉しそうに。ヒナギクは、若干視線を逸らしながら恥ずかしそうに。


 人類の敵と憎まれる彼女達は、普通の人間と全く変わらない感情と共に言葉を紡いで来たのだった。



「「──おかえりなさい!!」」











                            APOSTATE 了

                            APOSTATEⅡに続く

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