背信の業火⑥
(……畜生……)
もし、仮に。
あちこちで噴き上がった殺意が、全てシンだけに向けられていたなら、シンはこの状況を“最悪”だとは思わなかっただろう。
そうではなかったのだ。
仲間を大勢殺したシンに対する憎悪より、聖騎士としての使命を選んだのか。それとも単に、単に視界に入ったから狙う事を決めたのか。
シンに向けられる大量の殺意の向こうで、幾つかもの殺気が双子やティセリアに向けられるのを、シンはハッキリと感じ取っていた。シンと同じくブルートも察したらしく、その場で身構えていたものの、彼が多人数相手の戦いが得意でない事は雷獅子が言及済みだ。大量の聖騎士が捨て身で掛かっていったら、流石のブルートも取り零してしまうかも知れない。
「……ぉ……ッ」
既にシンの身体は限界だ。雷獅子の攻撃を二度も貰って物理的にもボロボロで、頼みの気力も既に尽きている。暫くは一歩たりとも動きたくなかったし、実際今の今まではそのつもりだった。
それでも気が付けば、シンは動き出していた。
折れた骨が肉に噛み付き、千切れた筋肉が身体中でミシミシと悲鳴を上げる。不満を爆発させる身体の声は全て無視して、地面に座り込んでいた状態から立ち上がる過程ももどかしく、転がるように走り始める。行く手を遮るように飛び出して来た聖騎士や、ありとあらゆる方向から狙ってきている狙撃手達の射抜くような殺気は、最初から気にもしていなかった。
「おおおオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
やらせない。
尽きた気力を絞り出す為に絶叫し、今にも崩れ落ちそうな身体を無理矢理繋ぎ止める。
ただ一点、ティセリア達の姿だけを真っ直ぐに見据えて、シンは聖騎士達が次々と飛び出して来る大通りの中を疾走していく。
限界を超えて集中している所為か、先程“幻狼”を放った時みたいに時間の流れが酷くゆっくりに感じられる。一瞬一瞬を知覚出来るような進み方をする時間の中、駆け抜けて行くシンに反応出来た者は一人も居なかった。
「──殺らせて、堪るかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
夢中になって叫びながら、シンはティセリア達に襲い掛かろうとしていた聖騎士達の前に飛び込んでいく。
恐らく「突風が割り込んで来た」程度の認識しか出来ていない聖騎士達に対し、シンは間髪入れずに必殺の刃を抜き放とうとして──
(痛……ッ!?)
腕は、動かなかった。
気合と根性で、無理矢理絞り出した最後の力。その最後の、正真正銘最後の一滴がたった今潰えてしまったのを、シンは直感的に悟ってしまった。
「……ぁ……」
考えてみれば当たり前の話だ。雷獅子との戦いで尽きてしまった気力を無理矢理絞り出しただけだったのだ。此処まで来られただけでも御の字で、身体が着いて来られなくなっても不思議ではない。
自己分析している間にも、唐突なシンの出現に度肝を抜かれていた聖騎士達は次々と我に返っていく。
彼等もまた、プロだ。彼等は余計な困惑や疑問などに一切囚われず、あっさりシンに標的を変えて襲い掛かって来た。
(……あー……)
若、とブルートが叫ぶのが聞こえた。
彼は彼で、他の聖騎士達から邪魔だと認識されていたらしい。数人の聖騎士に襲い掛かかられ、その内の一人の攻撃を躱し様に喉を掻っ捌きながら、ボンヤリと突っ立っているシンの前に割り込んで来ようとしていた。
しかし、間に合わない。
眼前にまで迫っていた聖騎士達の一人は、短剣をシンの心臓目掛けて突き出そうとしている。大通りでシンに抜かれた他の聖騎士達も此方を振り返り始めていたし、狙撃手達の照準も次々とシンの急所に集まって来ている。
シンに出来た事と言えばせいぜい、マトモに動かなくなった両腕を横に大きく広げた事くらいだろうか。せめて最後にもう一度だけティセリアとヒナギクとホタルの顔を見たかったが、その時にはもう眼前の聖騎士の短剣は突き出されていた。
「——」
最後に何か言おうとして、止めた。
訳の分からないままに始まり、そのまま無し崩し的に始まった奇妙な生活。穏やかというには余りにも物騒で、思い出と言うには余りにも短か過ぎる第二の人生。今のシンにとっては充実していた。それこそ、此処で終わらせるのが嫌だと思うくらいには。
けれど背後の彼女達の人生は、これからもっともっと続くのだ。少なくともシンはそう願っているし、ブルートや義理堅い雷獅子が何とかしてくれる事を期待している。
此処でシンが何か言えば、多分それは”呪い”になる。多少寂しくとも、冷たくとも、印象の薄いあっさりとした退場の仕方をする方が、彼女達への負担も少なくても済む。
(——元気で)
刃が心臓を貫く。何処からともなく飛んできた弾丸が、頭の一部を吹き飛ばした。彼等の憎悪の具現とも言えるありとあらゆる得物が、様々な角度からシンの身体を貫き、切り裂き、命を滅茶苦茶に蹂躙していく。
「……、は……ッ」
自分が居なくなれば、背後に居るティセリア達の逃走はより困難なものになるだろう。
だからシンはまだ倒れる訳にはいかない。今この瞬間に事切れる訳にもいかない。彼女達の思考が状況に追い付き、この場から逃走するまでの時間を稼ぐ為に、聖騎士達の憎悪を受け止め続ける盾役が必要だ。
「──死ね!! この屑野郎!!」
憎悪の対象に刃を突き立てた興奮からか、聖騎士の誰かが叫び声を上げた。死ね、死ねと泣き笑いと共に放たれたそれは瞬く間に周囲に伝染し、強烈な悪意となってシンの真正面から吹き付けて来る。
まだだ。
まだ止まるな、俺の心臓。
吹き付ける悪意や憎悪に対抗する術を保たない双子やティセリアがこれを喰らえば、きっと彼女達は動けなくなる。そうなれば聖騎士達は彼女達に標的を移し、嗚呼、其処から先は想像もしたくない。
「──が、あ……ッ!」
倒れるな。命が足りないというのなら、来世の分を今此処で前借りしろ。
きっと自分は、今この瞬間の為に生まれ、生きて来たのだ。
「……あああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
叫ぶ口から血が迸る。
目の前の聖騎士に吹き掛かり、真っ赤に染め上げる。
手足の感覚は既に無く、何時しかシンには何も分からなくなっていた。
「……………………」
──まぁ、何だ。
──それなりに、上等な終わり方ではないだろうか。
○ ◎ ●
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