背信の業火⑤
○ ◎ ●
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
途切れていた雷獅子の気配が再び蘇るのを感じ、シンはもう恐怖より先に呆れを感じて溜め息を吐いてしまった。
「……嘘だろお前。どんだけタフなんだよ……」
シンが心からの宣言をしてから、三十秒経ったかどうかも怪しい所だ。雷獅子は起き上がりこそしなかったが、顔を僅かにもたげて周囲を見回し、ダメージなんか微塵も感じさせない調子で話し掛けてきた。
「……俺は、気絶していたのか?」
「殺したつもりだったんだがな」
そもそも本来なら、今頃バラバラになっていてもおかしくないのに。少なくともシンが最後に繰り出したのは、そういう技だ。
対峙する相手と視線を合わせ、相手の意識を此方の目に
「“幻狼”、か──」
身体の記憶に刻まれた、奥義の一つだ。
そんなものを咄嗟に引っ張り出すくらい追い詰められ、手加減する余裕なんて微塵も無かった筈なのに、雷獅子はバラバラになるどころか息の根すら絶たれていない。
正直、凹んだ。尻餅を突いた体勢のまま、立ち上がらなかったのは、単なる疲労の所為だけではないだろう。
「……で、まだ
「そうしたい所だがな。流石に動けん。お前、闘氣とやらの質を更に上げたな? 以前にも増して傷の治りが遅くなった」
「……」
斬撃に闘氣を乗せると、再生の能力の効果が落ちるのか。
咄嗟にそう聞き返そうとして、すんでの所で押し黙った。正直、全くの偶然だったが、わざわざそれを教えてやる程、シンは勝負に対して厳格じゃない。
疲労困憊で動けないシンと、重傷で動けない雷獅子。
状況としては五分五分だ。いや、効果が落ちているとは言え、再生能力がある分雷獅子の方が少し有利だろうか。
万が一にも、試合続行だの先に立ち上がった方が勝利だの言われたら、正直シンは勝てる自信が無かった。
「やれやれ、本命すら引きずり出せないとはな。ちっとばかりお前の事を舐め過ぎてた。はは、“クラマリュー”だったか。全くお前ら倭人は本当にバケモノ揃いだな!」
幸い、雷獅子はそれなりに満足しているらしかった。喋る声はいっそ晴れやかで、再戦を申し込んで来るどころか、起き上がる気配さえ無い。
シンにとっても願ったり叶ったりだった。
雷獅子の言う”本命”が何なのかは分からなかったし、本物の化物からバケモノ呼ばわりされるのも不本意だったが、それよりも何よりも、今はとにかく、これ以上面倒事を起こさずに雷獅子の前から離れたいと言うのが一番だった。
グダグダとこの場が長引いて、雷獅子の気が変わって駄々を捏ね始めて、再戦とかいう流れになったらもう目も当てられない。
「……ティセリアと双子は見逃して貰うぞ。お前は勿論、お前の部下もアイツらに手を出さないようにして貰うからな?」
「おう、おう。あいつ等は俺がキッチリ見張っとくさ。明日から三日、俺達はお前達の動向に一切関わらない。今の内に何処へなりとも好きに逃げるんだな」
「……三日?」
「何だ、まさか永久に安泰だと思ったのか? 勝者が背中を追われるのは世の常だろう?」
「……」
いっそ、コイツは多少無理してでもこの場で殺した方が良いのではないかという思いが頭を掠めた。
正直身体がそれを実行に移し掛け、けれどすんでの所で思い留まる。此処で止めを刺しに行こうものなら、相手も死に物狂いで抵抗するだろう。グダグダした気怠い時間は強制的に戦闘の空気に上書きされ、今度こそシン達は死ぬまで戦う羽目になるだろう。
そうなれば、もはや後顧の憂いを断つどころではない。不安は残るが、三日の間に逃げ切る可能性に懸ける方がよっぽどマシだ。気になるのは他の聖騎士達の反応だったが、それも深刻に考える必要は無いだろう。今現在、シンは明らかに疲弊している姿を晒しているのに、彼等はしゃしゃり出て来る気配を見せないのだ。どうやら余程、彼らにとって雷獅子は怖い存在なのだろう。
「良いだろう。其方の厚意に甘えさせて貰う」
「はは、厚意と来たか」
雷獅子が呆れたように笑う。
嘘や悪意の気配は感じ取れなくて、シンは思わず安堵の息を吐いた。……吐いてしまった。
「——……?」
思ってしまったのだ。
雷獅子は嘘を吐いていないし、聖騎士達は彼を恐れている。雷獅子の口から紡がれる約束は、何の問題も無く果たされると。
失念してしまっていたのだ。
彼等はとてつもなく雷獅子の事を恐れているが、同時にシンや双子の事をとてつもなく憎悪している事を。
「──うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!!!」
雄叫びが夜気を震わせた。
反射的にシンが視線を巡らせ、倒れている雷獅子よりも、もっと、もっと先の地点——ティセリアや双子が居る地点に目を遣ると、心臓が止まらんばかりの光景が目に飛び込んできた。
一番最初に雷獅子の稲妻を喰らい、光の奔流に呑まれていった筈の大男。シンに足を斬り落とされて尚、自らの得物を足に突き刺し、それで動き回っていた斧足男。てっきり消し炭になったとばかり思っていた彼が、崩れた建物の暗がりの中から飛び出して、ビルを背に三人で固まっていたティセリア達に突っ込んで行こうとしていたのだ。
「アイツ……!?」
逃げろ、と叫ぼうとした。
今のシンではあの場所まで一瞬で駆け戻る事なんて出来ないし、あの三人は自分自身を守る事なんて出来ない筈だ。
無造作に振り上げられた大男の太い腕に殴り付けられ、成す術も無く路面に叩き付けられる三人の姿が目の裏に浮かび、シンは自らの心臓が止まるかのような錯覚を覚えた。
「……ふむ」
が、結果から言えば彼女達は無事だった。
斧足男が彼女達を間合いの内に捉えるよりも早く、彼の前に立ち塞がる影があったからだ。
「気迫のみか」
大きさだけなら雷獅子の上を行く筈の巨躯が、次の瞬間、いとも簡単に宙を舞った。殴り掛かろうとした腕を絡め取り、自身より何倍も重そうな巨体の懐に自ら潜り込んで、が斧足男を投げ飛ばしたのだ。
傍目八目とは言うものの、遠目に見ていて全体の状況を把握していたシンでさえ、一瞬何が起こったか分からなかったくらいだ。当事者である大男は完全に理解が追い付かなかったらしく、抵抗も何も出来ないままに路面に叩き付けられた。
「が……!?」
ズンと軽い地響きが周囲を揺らして一秒、二秒。
ハッと我に返った大男が起き上がろうとし始めたその時には、そいつはその腕と肩を自身の体重も使ってガッチリ
「ブルート、テメェ……!」
「残念だったな」
ドス黒く染まりきった怨嗟の声を受けても、
斧足男は何とかして拘束を振り払おうと頑張っているらしいが、ブルートは巧みに重心を移動させ、決して大男を逃がさない。力比べにおいて圧倒的に有利に働く筈の体格差を、ブルートは技術を以て完全に封じている。
ブルートと斧足男では勝負にならない。一瞬肝を冷やしたが、あれなら斧足男は完全に沈黙したも同然だろう。
「…………」
沈黙したも同然だ。
沈黙したも同然の筈である。
なのに、何故だろう。シンの心音は、妙に大きく波打っていた。
雷獅子と対峙している時とはまた違う、妙に重く纏わり付いて来る奇妙な悪寒。雷獅子と戦っている時のそれが迫る導火線に追い立てられるような焦燥感ならば、此方は冷たい泥沼に囚われたかのような不快感だろうか。
(アイツ、何をするつもりだ……!?)
嫌な予感。そう、まさに”嫌な予感”だ。
まだ憎悪を切らしていない、自身の目的を諦めていない斧足男の形相を見て、シンの直感は最大限の警鐘を鳴らしていた。
「──お前らァッ!!!!」
次の瞬間、斧足男が叫んだ。
スラム全体がビリビリと震え、離れた場所に居たシンでさえ軽く度肝を抜かれてしまうような叫び声。
「これでいいのかッッ!!?」
元々から声量はデカかったとは思うが、今の彼の声にはそれだけでは説明の付かない、聞く者の心を揺さぶるような何かがあった。
「これでいいのかァッッ!!!!」
黙れとばかりに、ブルートが腕を
しかし、大男は止まらない。絞り出すような、血を吐くような声で、周囲一帯の空気をビリビリと震わせる。
「目の前に居るんだぞ……ッ!!!!」
次の瞬間、シンは斧足男と目が合った。ブルートに完全に抑え付けられて尚、彼は頭を無理矢理動かして、シンをギョロリと睨み付けていた。
決して近いとは言えない距離なのに、彼の表情は良く見える。歯を剥き出し、ギラギラと輝く目でシンを一心に睨み付けているその形相は、憎悪一色に塗り潰されていた。
「あの裏切り者が目の前に居るんだぞォッッ!!!!」
それは檄だった。雷獅子への恐怖で動くに動けなかった、聖騎士達への。
雷獅子に粛正され、それでも生き残ってシンへの憎悪を訴える斧足男の叫び声に、彼等もまた心に火が付いたらしい。あちらこちらで一つ、また一つと殺意が膨れ上がって行くのを、シンは絶望的な思いと共に感じ取っていた。
「テメェらァッッッ!!!!」
並みの者なら吹き飛ばされてしまいそうな迫力で、雷獅子が怒声を張り上げる。戦闘狂だが誇り高く、故にこの場はシン達を見逃すという約束を反故にする展開を、彼は看過出来ないらしい。
けれど、今の彼は死に体だ。手を出されないという確信があり、且つ彼への恐怖よりシンへの憎悪が上回った今、聖騎士達は雷獅子には従わない。
「──殺せェッッ!!!!」
トドメとばかりに斧足男が叫ぶ。今まで黙ったまま動こうとしなかった他の聖騎士達が遂に動き始める。
ブルートが彼の腕を極めたまま、何処からともなく取り出した短剣の刃をその側頭部に叩き込むその瞬間まで、彼は最期まで叫び続けていた。
「悪魔共を、殺せェェェェェェェェッッ!!!!」
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