背信の業火④

 寸前でしゃがみ込み、回し蹴りを回避。逃げ遅れた髪の毛先が雷光に灼かれるのを自覚しながらも、シンは腰に構えた倭刀の柄に手を掛けようとする。


 が、その時雷獅子は既に一回転して蹴り足を引き戻し、次の攻撃の予備動作を完成させていた。


「……!?」


 剛腕がふたつ、足下のアスファルトに突き刺さる。それは瞬く間に”芯”を捉え、


驚けblah!!」


 轟音。


 シンの足下が、


 一度後退し、雷獅子によって掘り起こされたアスファルト塊に向かって倭刀を抜き放つ。根元から絶たれ、勢い余った巨大な質量が空中に放り上げられる。それは空に高々と舞い上がり、綺麗な放物線を描いて、手近なビルの屋上に突き刺さった。


「……いい加減にしろよ、化物め……!!」


 人外も此処まで行けば、いっそ笑いが込み上げて来る。


 蹂躙された上にぶった斬られたアスファルトの粉塵に紛れ、上方へ消えて行った雷光の尾を目撃しつつ、シンは思わず口に出して吐き捨てる。


「格下相手にはしゃいでんじゃねぇ……!」


 シンがアスファルト塊に対処している間に、悠々と体勢を立て直したに違いない雷獅子は、今度は先程よりも更に高い位置にまで跳躍していた。


 バチバチと両腕に強烈な雷光を溜めていたかと思うと、それをシンでは無く上方に向けて射出。その勢いをそのまま推進力に代えて、雷獅子は先程よりも更に猛烈な勢いで落下して来る。



「──オオラァアアァアァアアァアァアアアアアッ!!!!」



 全身に稲妻を纏った、上空からの強襲蹴り。


 先程よりも強烈な、彗星そのものの襲来だった。


「くそ……!!」


 まさか受けるなんて選択肢は考えられず、けれどこれ以上後退すればティセリア達から離れ過ぎてしまうような気がした。


 瞬時に思い付いたのが「前進」で、シンは落下して来る雷獅子の下を掻い潜るように駆け抜けた。


 雷獅子が着地した際に発生した衝撃にグラつきながらも反転し、今度は飛び散った路面の破片が顔面にぶつかってくるのも気にせずに、雷獅子の方を振り返る。


「疾ィ……ッ!!」


 ちゃんとした理屈は自分でも良く分かっていないとは言え、一度繰り出して“体得した”技を再現するのは容易い。


 反転しながら倭刀を下から上へと斬り上げるように抜き放ち、シンは剣氣の残滓を三日月形の斬撃波として射出した。それは路面に深い爪痕を残しながら疾走していき、強襲蹴りの威力で出来上がった巨大な粉塵の柱に一瞬で到達。真っ二つにする。


「……」


 これで終わってくれという願いを込めて、結果を見守る僅か数瞬。


 粉塵の柱の、真っ二つに裂けた所からは若干ズレた場所から稲光が噴き上がったのが見えた次の瞬間、シンは斬り上げてそのままだった倭刀の刃を返し、二射目の斬撃波を放っていた。


「破ッ!!」


 自らが生み出したクレーターの底から飛び出して来た雷獅子は、ヒョイと横にズレてそれを躱してしまう。


 シンが片足を軸にした回転斬りから放った三射目も、その刃を返して斜めに斬り上げる事で放った四射目も、雷獅子は次々と躱していく。


 ……躱しながら、急速に近付いて来る。


「どうだ、”刃風”──?」


 頭にアスファルト塊を喰らった廃ビルが倒壊する轟音が響く中。シンの斬撃波を喰らった廃ビルが刻まれ、倒壊する響く中。


 シンは信じられないような至近距離で、ギラギラと輝く雷獅子の双眸を見た。


「捕まえてやったぞ──!!」


 胴を抉る、下から上へと突き抜けていくような、衝撃。


 目の裏に大量の電流が走り、一瞬で何もかもが分からなくなり──




「────────」




 ──耳元で、風が唸っている音がする。


 口の中が鉄臭い。指先や背中は氷のように冷えて感覚が無いのに、異物が張り付いているような感じがする腹部だけが妙に熱い。


「が、は……ッ!?」


 何だ、この感覚は?


 俺は一体どうなった?


 身体が地面に触れている感じがしない。びょうびょうと全身で風を切る感覚がして、何だか寒い。


「何だ、気絶してんのか?」


 風の音に紛れて、不思議そうな雷獅子の声が聞こえた気がした。


 目玉だけ声のした方へ動かすと、少しだけ近くなったように思える夜空の中に、ふわりと広がった雷獅子の髪と衣服の裾が見えた。


 空中で、今から落下に入る直前みたいだ。


 ふわふわと頼り無い感覚の中で、シンはボンヤリとそんな事を考える。


「だったらホラ、目ぇ覚ませぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!」


 “腹を抉り、胴体を力任せに打ち上げる強烈な一撃により、有り得ない高度まで上空に吹き飛ばされた”。


 シンが気を失う直前の事を思い出す事が出来たのは、追撃の為に同じ高さにまで跳躍して来た雷獅子が、左右の掌を組み合わせて作った“ハンマー”を降り下ろして来る直前の事だった。


「ぐ、お……!?」


 咄嗟にシンが防御の為に掲げた倭刀は、その打撃が直撃するのを阻止したという事以外、何の効果も得られなかった。


 剛腕に雷撃を重ねたダブルスレッジハンマー。


 空その力を何処かに逃がす事も出来ず、ましてやその力を弾き返すなんて事も出来る訳も無く、シンは暗い地表に向けて真っ逆さまに叩き落とされる羽目になった。


「ッ……ッ!!」


 どうやらシンは、雷獅子から見て斜め下に叩き落とされたらしい。変な角度で路面に叩き付けられて、ゴロゴロと物凄い勢いで身体が転がっていく。


 漸く止まったと思ったその時には、シンの身体は仰向けに寝転がったままピクリとも動かなくなってしまっていた。


「……ッ」


 たった二撃。


 たった二撃のクリーンヒットで、このザマか。


「は……ッ、う、が……ッ!!」


 まだ死んでいない。いっそ死んでしまった方がマシなくらいだが、それでもまだ俺は息をしている。


 視線の先には、廃ビルによって四角く切り取られた紅い月の夜空。そんな夜空を背後に背負い、やや離れた位置に落下していく雷獅子の姿。


「あ……」


 もういいじゃないか、と誰かが言った。


 このまま動かなければ、雷獅子は必ずこの身にトドメを刺してくれるだろう。きっと、それ以上苦しむ事も無い筈だ。


 あんな化け物を相手にして、お前は此処まで頑張った。きっと、ティセリアと双子も見逃してくれる程度には満足してくれた筈だろう。


 もういいじゃないか。


 此処で、終わりにしてしまっても。


「あぁ……」


 流石に疲れた。


 もう限界だ。


 そもそも人間と戦っている気がしなかったのだ。少々鉄の刀の振り回し方を知っているからと言って、人間が雷と戦って勝てる訳がない。



「…………ぅ…………」





















































 それなのに。


 今だって、確かにそう思っている筈なのに。


 どうしてだ。


 どうして俺の身体は、動き出すんだ。


「──おおおおおあああアアアアァアアア……ッ!!」


 起き上がる。


 折れたり割れたりしているらしいあちこちの骨がバキバキと音を立て、限界を超えたらしい筋肉がブチブチと千切れていく。


 ボロボロだ。


 戦うなんて、有り得ないくらいにボロボロだ。


 それでもシンの手は未だに倭刀をしっかり握って離さなかったし、両膝はガクガク震えながらもシンの体重を支えてくれた。


「負け、られ……ッ」


 既に思考はマトモに動いておらず、何か明確な目的があった訳でも無い。


 ただ、ティセリアと双子の顔が浮かんだのだ。


 此処で戦いを放棄して、自分がくたばるのは構わない。詰まらない自尊心がへし折れ、ついでにささやかな人生もへし折れる。それ自体はどうでも良い。雷獅子も約束してくれた。どうあれ彼女達は生き残るだろう。喜ばしい事だ。


 だが、シン自身は二度と彼女達に


 それは、何と言うか。


 論理的でも、合理的でもないけれど。


 嫌だ、と思ったのだ。


「良いじゃねぇか」


 バチバチと迸る雷撃の音。雷獅子は立ち上がったシンの姿を見てニヤリと笑うと、全身に雷を纏わせながらゆっくりと歩き始める。


「お前と巡り会えて、俺は本当に幸せだ」


 最初はゆっくり、段々と早く。


 全身に纏わせていた雷光を全て右腕に集中させていきながら、雷獅子は何時しか全力で疾走し始めていた。


(疾く──!)


 考えている暇なんて無かった。


 何かの衝動に促されるようにシンもまた地を蹴って、雷獅子に向かって駆け出す。



「──────……ッ!!!!」



 目が合った、と思う。


 シンが雷獅子の目を真正面から睨み付けて、雷獅子の視線がシンの目に吸い寄せられた……ような気がする。


(──!?)


 唐突だった。


 まるで走りながら水の中に突っ込んだかのように、不意にシンの周囲から全ての音が遠退いていく。


 シンも雷獅子も全力で疾走している筈なのに、距離が中々埋まらない。全身で風を切る感覚は確かに感じるのに、例えば雷獅子の身体から散る小さな紫電の一つ一つの動きなんかがゆっくりくっきり見えている。近付いて来る雷獅子の顔には凶悪な笑みが貼り付いているのだが、どういう訳か彼はこうして彼の表情をマジマジと観察しているシンの事には“気付いていない”ようだった。


(何だ──!?)


 シンの手が、倭刀を思い切り引き抜いた。


 視界の中に紅い軌跡が尾を引いて、闇を斬る。たった一閃に収まらず、縦横無尽に疾り回って重なっていく紅い刃の煌めきは、瞬時に風を細かく刻み、世界を文字通り斬り分けていき──


「──……がッ!?」


 其処で、再び音が戻ってきた。いつの間にか雷獅子と擦れ違っていた事に先ずギョッとして、直後にシンは自分自身の疾走の勢いがついていけなくなり、足をもつれさせて転んでしまう。


 何だ今のは? 一体何がどうなった?


 やや混乱しながらも、取り敢えずは路面に手をついて必死に身体を起こそうとするシンだったが、どういう訳か、身体は全ての力を使い切ったみたいにピクリとも動いてくれなかった。


「ごふ……ッ」


 拙い。


 今雷獅子に向かって来られたら、もう本当に黙って殺されるしかない。


 こうして目を逸らしている間に雷獅子は動き出しているんじゃないかと気が気では無かったが、体奧から競り上がってくる咳は止まらず、それどころか何だか血の味までして来る始末だ。


(動け! 動け! 動け……ッ!!)


 どうしようも無い程の焦燥感に取り憑かれながら、シンは身体を動かそうと必死に藻掻く。


 びちゃり、と液体がブチ撒けられる音が聞こえたのは、まさにその最中の事だった。


「……何だ、そりゃ。って、反則だろ……」


 その音源は、背後から。


 次第に密度を増していくその音に塗れていても、雷獅子の声は普段のそれとまるで変わらない。


 化け物め。こっちはもう限界なのに、どうしてそんなに元気なんだ。


 いっそ泣き出したい気持ちを堪えつつ、シンは這うような動きで身体の向きを雷獅子の方へ向ける。既に立ち上がる事すら満足に出来なかったし、これ以上戦うのは無理だと分かっていたけれど、例え万策尽きていたとしても、シンは自分からこの戦いを投げ出す訳にはいかないのだ。


 ……例え首だけになっても、喰らい付いてズタズタに引き裂いてやる。


 瞬時に覚悟を固め直し、シンは最後の気力を振り絞って視線を上げる。


「……くそ、。流石だな、刃風?」


 そして、見た。


 雷獅子の身体がグラリと傾き、崩れ落ちるように膝を突いているのを。


「え……?」


 もしも傍で聞く者があれば、きっとシンの声は間抜けに聞こえただろう。


 幾ら斬っても決して倒れず、正直シンにとって絶望そのものになりつつあった雷獅子が、路面に両膝を突いている。オマケに肩越しにシンの方を振り向いて、相も変わらず凶暴な、けれど何処か晴れやかに見える笑みを浮かべつつ、妙にすっきりした口調で言い放って来たのだ。


「完敗だ」


 どう、と音を立てて雷獅子が俯せに倒れる。


 尻餅を突いたような無様な格好のまま、シンはただただ困惑してその様を見詰めていた。


「……完敗、だと……?」


 実感が湧かない。どうして雷獅子は倒れ伏し、あまつさえ敗北まで宣言したのか。雷獅子と擦れ違うあの最中、シンは一体何をしたのか。


(……確か、こう……)


 自らの掌を見詰め、あの時の感触を思い起こそうとする。


 動かした腕は鉛のようにズシリと重く、僅かな動作ですら非常に億劫に感じる。何しろ“あの一瞬の中で”可能な限りの連撃を全て叩き込んだのだ。暫くはマトモに動かす事すら叶わないだろう。


「……」


 そう。本当は覚えている。


 ただ、自分の身体が繰り出した技に、シン自身が付いて行けてないだけなのだ。戦いの最中に当然のように繰り出した“斬撃波”然り、決め手となった連続斬り然り。


 極限状態の最中、思考するよりも早く身体が勝手にどんどん動いていく感じだ。その所為で取り残された思考は困惑し、結果として自身の技に実感が持てないだなんて、そんな奇妙な感覚が生まれる。


 行動の理由は再確認出来たが、シンは未だに自分自身の事を思い出す事が出来ていない。


 思考と身体の乖離の事も相まって、何だか喉に小骨が引っ掛かったような気持ち悪さだ。


 ……が。


「ま、いいか」


 結局、疲労には勝てなかった。


 ウダウダした思考をあっさり霧散させて、シンは大きく息を吐く。


 何度も何度も、死ぬかと思った。身体中が焦げ付いているような感じがするし、そうでなくとも人外染みた膂力に晒され続けた所為であちこちガタガタだ。


 今回はたまたま、シンが勝った。


 けれど次やったとして、同じ結果に持っていける自信はシンには無い。


「……くそったれ」


 ゆっくりと足を折り曲げて胡座を掻き、シンは口の中に溜まった血を脇の路面に吐き捨てる。


「……もう二度と、やり合いたくねぇ……」


 冗談でも何でもない、シンの心からの言葉は、結局誰の耳にも届かないまま夜闇に溶けて消えていったのだった。



 ○ ◎ ●

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