背信の業火③
「は……」
倭刀は、未だにシンの手の中にある。あれだけの暴力に晒されたのに、よくもまぁ途中で手放さなかったものだ。すっかりシンの手足の延長、身体の一部と言った所だろうか。
我ながら感心してしまう根性だったが、残念ながらこの武器は雷獅子にはあまり通用しないらしい。再生する雷に、鉄の刀で挑むようなものだ。
「ふゥ……!」
勝ちが見えない。勝てる気がしない。
規格外の身体能力に加え、強力な雷撃まで操る人の姿をした化け物を相手に、鉄の得物を振り回すだけの人間が勝てる筈無いではないか。
“――本当に、そうか?”
痛みを無視して腕に力を込め、立ち上がった。
乱れた呼吸を抑える為にその場で大きな深呼吸を二、三度繰り返し、未だに抜きっぱなしだった倭刀を鞘に納めてから、シンは直ぐ脇にあった壁の大穴を振り返る。
雷獅子はどうやら、突進の勢いを止めきれなかったようだ。元々シンが開けた穴は最早形すら残っておらず、更に大きな大穴に取って変わられていた。
“――本当に、そうなのか?”
焦げた大穴の縁に手を掛け、シンは其処から外の様子を覗いてみる。
大通りは、と言うか、通りを挟んで反対側の廃ビルは、さっきまでとは大きく様相が変わっていた。
雷獅子が止まりきれずに突っ込んでいった所為だろう。向かい側の廃ビルにも此方のビルと同じような大穴がぽっかりと口を開けていて、ぱらぱらと細かい粉塵を落としていた。多分、基盤的な支柱の一つでもぶち抜いたのだろう。建物時代が前のめりに傾いて、今にも倒れて来そうなギリギリの所で踏ん張っていた。
“――それなら、どうして
やがてガラリと瓦礫を蹴飛ばして、向かい側のビルの大穴から雷獅子が顔を出す。
流石に電力が切れたのか、それとも気紛れに帯電していないだけなのか、今は紫電を纏っていない。
“――あんな苦しい思いをしてまで修練を積んだんだ?”
口の中に、血の味が滲んでいる。口の中を切ったのか、それとも何処かのタイミングで体内に深刻なダメージを貰ったのか。
当たり前だが、今は治療する暇なんてない。血の味のする唾を脇に吐き捨て、口元を拭うだけで済ませる。
シンが改めて雷獅子の方に視線を戻すと、彼はそれを待っていたかのように口の端を吊り上げた。
「ハッ、いいねぇ。やる気満々といった所か?」
「……は?」
「
「……」
顔。
シンは反射的に手を遣り、確かめてみる。が、普段からそういう真似をしない所為か、自身が今どういう表情をしているのかは結局分からなかった。
「……テメェみたいな化け物を相手にしてたら、誰だって必死にもなるさ」
「普通は必死にならねぇんだよ。逃げるか、命乞いするか。どっちかさ」
顔から手を離しながらシンが言うと、雷獅子は愉快そうな声でそう返して来た。
逃げるのも、命乞いするのも、実に自然な反応だと思う。が、或いはそれこそが、雷獅子が戦いに固執する理由なのかも知れない。戦う事が好きなのに、戦う相手が現れない。フラストレーションが溜まるのも、容易に想像出来ると言うものだ。
だからこそ、未だに雷獅子がシンに固執しているままというのは正直不可解だった。一度敗北したシンに、雷獅子は一体、何を期待しているというのか。
「すぅ……」
ずくん、ずくんと心臓の脈動を大きく感じる。その脈動は大き過ぎて、気管を塞ぐような息苦しさがあった。
「はぁ……」
ああ、でも、いい加減認めるべきかもしれない。
こんなに脅えているのに、色々と愚痴と弱音を垂れているのに、足は、身体は、逃げ出す事を許さない。ティセリアや双子の事も勿論あるが、それだけという訳でも無い。
シンは特別な才能など無いし、強力な能力にも恵まれなかった。そんな自分に出来た事と言えば修練を積む事だけだった。
頭では覚えていない。だが、苦痛と共に刻まれた感覚と技術は、身体に染み込んで消える事は無い。
その感覚が、訴えているのだ。
この場でおめおめと逃げ出すのは、凄く、凄く、納得が行かない、と。
「さぁ、続けようか?」
「……」
燃え盛るような闘争心は心臓に。凍り付くような殺意は脳髄に。
シンが建物の中から一歩踏み出すと、雷獅子もまたそれに合わせるように向かい側のビルの中から一歩踏み出す。
まるで友人同士の再会だ。
広い大通りの端と端から、真ん中辺りで合流を目指すように、シンと雷獅子は互いに無造作に近付いて行き──
「「────!!」」
二人同時に、地を蹴った。
雷獅子は馬鹿正直に筋肉に溜めた力を爆発させた突進。対するシンは”影踏みで”、地を滑るように疾走する。
「オラァッ!!」
突進の勢いを上乗せし、雷獅子は愚直に殴り掛かって来る。不意打ちで繰り出されたらシンでも対処出来たかどうか怪しかったが、少なくとも今回のシンはその攻撃が来る事を予測していた。
ある程度勢いが付いた所でシンは跳躍し、雷獅子の頭上を飛び越える。空中でグルリと身体を縦回転させ、天地が逆さまになった視界の中に雷獅子の背中を捉えながら、シンは彼の首の後ろ目掛けて倭刀を鞘走らせる。
「疾……ッ!!」
前にも一度、延髄は狙った。その後喉まで貫いてやったが、結局相手の再生能力はそんな致命の傷ですら再生してのけた。
ならば今度は、首を落とす。傷口を近付けると再生するのか、或いは傷口から頭が生えてくるのか。どちらにせよ、前回と同じという訳にはいかないだろう。
が、相手もまた二度も三度も同じ場所を斬らせるつもりは無いらしかった。
シンが倭刀を抜き放つのと同じタイミングかその直前、彼は猛烈な勢いで振り返る。その際、雷を纏わせた裏拳を思い切り振り抜いて、直後、シンが思い切り振り抜いた倭刀を真正面から弾き返してしまった。
余程、急いで振り返ったのだろう。
先程、シンが金瘡を刻んだ身体の前面から、彼の血が千々に飛び散ったのが視界の端に映った。
(……?)
「チョコマカと……!」
違和感。
けれどその正体に思い至るよりも先に、楽しそうに吐き捨てられた悪態に現実に引き戻される。
雷獅子の頭上を飛び越えるような跳躍の軌道に引っ張られ、シンが雷獅子からやや離れた地点に着地するのと。此方に向き直った雷獅子が、即座に間合いを詰めてくるのはほぼ同時。
「ハハハァッ!!」
雷獅子は走ってくるのではなく、跳んで来ていた。
放電しつつ空中で縦回転し、“雷玉”と化していた彼が眼前にまで迫って来る光景は相当な迫力だったが、その回転の勢いを上乗せした踵落としはそれ以上の圧力を以てシンの生存本能を刺激した。
「く……ッ!?」
見えているのに、咄嗟に反撃に移れないのは相変わらずだ。
即座に地面を転がり、シンは半円の軌道を描くように雷獅子の真横に回り込み、彼の踵落としを回避する。
轟音。
噴き上がった盛大な雷獅子の姿を隠し、砕けたアスファルトが千切れた稲妻と共に飛んで来る。
その中でも割と大きな破片がシンの額にぶつかって地味に痛かったが、それに気を取られている余裕なんて無かった。
「そらそらどうしたァ!?」
自らが噴き上げた粉塵を突き破るように、雷獅子がシンの眼前に飛び出して来る。
転がった直後でしゃがんだ状態だったシンを、文字通り叩き潰そうという腹積もりのようだ。地面を踏み割らんばかりの力強く踏み込みと共に、雷獅子は左右の掌を組んだダブルスレッジハンマーを、シンの脳天目掛けて振り下ろして来た。
「また逃げてばっかりかテメェはぁッ!?」
下手に反撃しても通じないだろお前、という悪態すら付く事が出来ない。言いたい放題言われる屈辱をグッと堪えつつ、シンは再び後ろへ転がって雷獅子の攻撃から逃れる。
「すー……」
この場合、多くの敵はシンを追撃して来るだろう。後転したシンは体勢も不完全で、抜き打ちは愚か、マトモな反撃な手段なんか無いように見えるから。
実際、この時の雷獅子もそう見えていたらしく、彼は組んだ掌を解きながら、シンに向かって踏み出そうとしてきていた。
「吹……ッ」
そのまま、踏み込んで来れば良かったのに。
ダン、と派手な音を立ててその場に踏み留まった雷獅子の喉先に、月の光を反射して輝く紅い軌跡が閃いた。敢えて崩した体勢を基に、抜刀する。そんな技くらいシンだって幾つか持っている。
急ブレーキの弊害でその場で一瞬硬直してしまった雷獅子の隙を突くように、シンは更に二閃、三閃と連続で抜刀を繰り返す。
「うおっ、っと……!?」
相変わらず、シンは転がった直後のしゃがんだ状態だ。移動して距離を調整する事は出来ず、繰り返す抜刀は当たらない威嚇程度にしかならなかったが、凶刃が何度も急所を掠める感覚は流石に雷獅子の生存本能をも刺激したらしい。
雷を纏った腕でシンの斬撃をガードしつつ、雷獅子は愚直に跳び退ろうとする。
(来た……ッ!!)
その反応こそ、シンが一番待ち望んでいたものだった。
雷獅子が跳び退る気配を見せた瞬間、シンはその場でするりと立ち上がる。雷獅子がその場から迂闊に跳び退った瞬間、シンは彼を追い掛けるようにその場から飛び出した。
「!? はは……ッ!?」
からりと爽やかな笑い声は、真横から。
跳び退った雷獅子を追い抜くようにその脇をすり抜け、シンは擦れ違い様に倭刀を鞘から引き抜いて彼の胴体を両断しようとし──
「──ゴルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!!!」
出来なかった。
倭刀の刃が雷獅子の皮膚に食い込んだか否かというタイミングで、雷獅子がこれまでに無い規模で放電する。
刀は金属だから、当然電気はそれを通して持ち主であるシンに伝わって来る。これまでは氣によってそのダメージを遮断していたが、今回の放電はその氣の防御を貫通するだけの威力があった。
「ッ、ク──」
痺れてシンの抜刀は中途半端な位置で止まってしまい、せいぜい雷獅子の体表を切り裂く程度で終わってしまった。
「──ソ、がぁぁぁぁぁッ!!」
やっぱり反則だろ、
心中で悪態を吐きながら、シンは痺れて言う事を聞かなくなった身体に喝を入れるようにその場に踏み留まった。
丹田を意識して全身を巡る氣の流れを活性化させ、身体に残った電流を振り払うように背後の雷獅子を振り返る。
ついでとばかりに抜き放った倭刀の刃は、けれど寸前に跳んでいた雷獅子が残した電光の尾を切り裂いただけで、標的に当たる事は無かった。
「!」
上空に逃れた雷獅子を追い掛け、シンは即座に視線を跳ね上げる。
シンに背を向けた状態で跳躍した雷獅子は、空中でグルリと一回転して勢いを付けると、そのまま落下しつつシンの脳天目掛けて膝頭を叩き付けるような蹴りを放って来ようとしていた。
“──落ち着け”
“──冷静に見極めろ”
“──これは、
抜き放ったままだった倭刀を鞘に納めつつ、シンは居合の構えを保ったまま素早く後退し、雷獅子の蹴りの範囲の外へ逃れ出る。
直後、雷獅子は膝頭から地面に落下して、再びアスファルトを盛大に叩き割った。当たっていたらと思うとゾッとするが、膝から着地したのでは今度こそ直ぐには動けないだろう。
(終われ……ッ!)
今度こそ。今度こそだ。
後退して開いた距離を自ら埋め直し、シンは両手と片膝を突いている雷獅子に肉薄する。
相手が姿勢を低く保っている所為で斬りにくいが、問題は無い。鞘に納まった倭刀を高い位置に構え、其処から斜めに斬り落とすように抜き放つ。
いや、抜き放とうとする。
「フハハぁ……ッ!」
雷獅子の、楽しそうな笑い声が聞こえたのはその時だった。
「──楽しくなって来やがったなぁッ!?」
瞬間。
恐らくは両腕と全身の筋力を以て、雷獅子の身体が跳ねた。空中でグルリと横回転して顔をシンの方に向けると、ニヤリと笑みを浮かべる。
その折り畳まれた両足を見て、シンは彼の意図を理解した。
(先に
どのみち此処まで来れば回避も防御も不可能だ。
「「!!」」
シンの刃が届く方が、僅かに速かった。
紅い刃が雷獅子の浅黒い肌に食い込んで、確かな手応えを返して来る。
雷獅子の両足がシンの胴体に届いたのは、正にその瞬間の事だった。人間が生み出せるとは思えない凶悪な威力に息が詰まり、シンの思考は一瞬完全に停止する。
気が付けば、シンは身体を「く」の字に曲げて吹き飛ばされている最中だった。腹の辺りにジンジンと残っている鈍痛に顔を顰めつつ、空中で体勢で立て直して着地する。
「……うぇ」
抜き身の倭刀を地面に突き立てて慣性を殺し、完全に停止するや否や、シンは口の中に残っていた酸っぱい味のする物を脇に吐き捨てた。
どうやら、破損した臓器の血と共に、胃の中身が全部飛び出して行ってしまったようだ。
折角美味い晩飯だったのに、勿体無い。
「おいおい、汚ねぇな」
聞こえた声にシンが視線を上げると、路面に倒れていた雷獅子がムクリと身を起こすのが見えた。
その身体には、シンが斬り裂いた金瘡が幾つもくっきりと刻まれていて、ダラダラと血が流れ落ちている。
痩せ我慢か、それとも気にしていないのか。
出来れば、前者であって欲しいものだ。
(……ん?)
先程、斬り裂いた、金瘡?
致命傷ですら十秒ちょっとで完治する再生能力の持ち主に、先程の金瘡?
「──……ナルカミぃぃぃぃぃぃィィィッ!!!!」
シンに休む暇も与えてくれず、雷獅子は熱烈な
沸き上がる原始的な恐怖を噛み殺しつつも、シンは即座に身体を捌き、それの軌道上からその身を逃がす。刹那の差で雷光の塊が鼻先を掠め、通り過ぎて行く。
が、やっぱりシンには息を吐く暇なんて与えられない。
突進が空振りに終わったと見るや、雷獅子は音を立てそうな勢いでその場に急停止。シンの方に猛烈な勢いで振り返り、ついでに頭を狙った強烈な回し蹴りを繰り出して来る。
「……!!」
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