決意の代償⑦

 ふるふると首を横に振り、ティセリアは何でもないと言わんばかりに微笑わらって見せる。


「“我等の血と彼等の血。これらは同じ色をしているのを御存知か?”――……凄く甘ったるい言葉だけど、この子達を見たらそう言わざるを得ないよね」


 つらぬいてみせてよ、と。


 どこか煽るように、鼓舞するように言われれば、返す言葉はたった一つしか有り得ない。


「当たり前だ」


 撫でられる事が好きなのだ。最初は戸惑って距離を置いていたけれど、一度慣れると今までの分を取り返すようにグイグイと距離を詰めて来た。


 気を付けば、傍に居る。気まぐれに撫でてやれば嬉しそうに笑って、甘えるように抱き付いて来る。何時も周りをちょろちょろしていて鬱陶しく思う事もあったが、今思えばそんな瞬間ですら心地良かった。


 ヒナギクと、ホタル。それが彼女達の名前であり、全てだ。吸血鬼とか、人間の敵とか、そんな事を言われてもシンにはピンと来ない。


 誰かが彼女達を化け物だと謗り、その命を脅かすというのなら、自分がそいつに牙を剥こう。例え仇として憎まれ、虐殺者として謗られようとも、その全てを嘲笑い、踏みにじって立ち続けよう。


 それが意志を貫くという事で、今のシンに出来る唯一の事だ。


「あは」


 淀みなく即答したシンの顔を見て、ティセリアはまた、嬉しそうに笑った。


 今更だが、目の前で人が死んでいても笑顔を浮かべられる辺り、彼女もまた普通の一般人の枠からは外れているような気がする。


 一度、彼女がどんな人生を送って来たのか聞いてみようと思った。


「あとで全部聞かせて貰うからな。”聖女”サマ?」


 どうやら彼女も、シンに対しては隠し事をしているようであるし。


「う……ハイ、善処シマス」


 嘗めていた飴玉が、いきなり酸っぱい味に変わった。


 そんな渋い表情を浮かべるティセリアに少し溜飲を下げ、シンは自身の掌を涎でベトベトにしている双子の頭頂に目を落とす。少し前までは指を掴んで奪い合いまで始めそうな勢いだったが、今は大分落ち着いているようだ。


 取り敢えずは十分か、と捕まえられていた掌をやんわりと引っこ抜く。ああっ、と双子は不満そうな声を上げたが、それは無視して彼女達の額を指先で軽く小突いた。最後に頭を一撫でくらいしてやりたかったが、何せ空いている手は彼女達の涎でベトベトだ。そんな手で髪を触られるのは、流石に可哀想である。


 彼女達も、理性が多少戻って来る程度には堪能したらしい。額を小突かれた衝撃に、二人同時にハッとしたような顔をして、その後何故か申し訳無さそうにうなだれた。もう少し満足気な顔をするのかと思っていたのに、流石にこれは予想外だった。


「……どうした? 美味くなかったか?」


「だって……」


 泣き声混じりの情けない声を上げたのはホタルだ。その隣のヒナギクは泣くまいと必死に堪えているが、目尻には大粒の涙が光っていた。


「だって?」


「だって、だって、ボクたちガマンできなかった……ッ!」


 それがいけない事だと、少なくともこの世界では受け入れて貰えない事だと、双子達はよくよく理解していたのかもしれない。だから記憶を失ったシンには言わなかったし、このような顕著な“反動”が出て来るまで我慢し続けていたのだろう。


「……阿呆」


 彼女達は頑張った。それは確かだ。


 ならば次は、大人であるシンが頑張る番である。


「ガキが妙な事気にしてんじゃねぇ」


 言いつつ、一歩後退る。本当は双子には心ゆくまで血を与えてやりたかったが、流石にそうのんびりともしていられない。双子からは敢えて意識を外し、最後に彼女らをティセリアに視線で頼んで、シンは背後を振り返った。 


「……さて」


 周りを囲む取り囲む聖騎士団の面々。自ら血を吸血鬼に与える光景を見せ付けられ、凍り付いている有象無象に、何か考えている様子のブルート。雷獅子は事態を面白がるように、シンをジッと見詰めている。


 誰一人声を発する者は無く、静まり返った空気の中で、自責に駆られてぐずぐずと泣いている双子の声と、それをあやすティセリアの声だけが響いている。


 見詰めてくる雷獅子を此方もまた真っ直ぐに見詰め返し、シンはもう一歩、更にもう一歩と前に出て、通りの中央、雷獅子と相対する位置にまで進み出た。


「待たせたな」


「……ふふん」


 分厚い胸板の前で組んでいた腕を解き、雷獅子は一度ブルートを見た。彼は、雷獅子に指示されるのが納得出来ないようだったが、それでもそれが”取引”の一部であるからには無視する訳にはいかないと踏んだのだろう。大人しく移動し、ティセリア達を庇う位置に着いた。


「あ、どうも」


「初めまして。ブルートと申します。”若”の副官などやっておりました。僭越ながら、此処からは私が護衛を」


「うん、宜しくお願いします」


 十中八九、敵ではないだろうとは思っているものの、彼がティセリア達に近付いた瞬間はやはり緊張した。目は雷獅子から離さなかったものの、意識はどうしても背後から聞こえてくる会話や気配に引っ張られてしまう。


「俺には、分からん感覚だな。やっぱり」


 とは言え、既に譲歩は成されたのだ。


 雷獅子は約束を守り、故にシンもまた、筋を通さなければならない。


「護るだとか、助ける為だとか。そんな理由付けで強くなれるなんて絵空事だ。口を動かす暇があるなら身体を動かせ。御託を並べる前に、弱っちい自分を磨け。……そうだろ?」


 話し掛けてくる雷獅子の、声そのものは穏やかだ。分かりやすく殺気が迸っている訳でも、或いはる気を漲らせている訳でもない。


 けれど其処には、理不尽なまでの”強者”が居た。ヒトの想いなど鼻で嗤い、一蹴し、粉々に噛み砕いて呑み下してきた、圧倒的な”捕食者”が。


 人の情を否定するような現実主義、或いはスカした中学生のような事を言ってのけるその言葉は、けれど恐らく、彼の経験から形成された一つの哲学なのだろう。”想いの力が、人の実力に影響を及ぼす”。きっと彼はそういった信仰を振り翳す者と何度も相対し、そして無慈悲に叩き潰し、のだろう。


「以前のお前も、そういうタイプだったんだぜ。ギラッギラのナイフみてぇに、いつも自分を研ぎ澄ましてた」


「ふぅん」


「今のお前はどうだ、ナルカミ? あれから戦い方を思い出したか?」


「……」


 探りを入れるような雷獅子の言葉には、敢えて直ぐには答えなかった。


 瞑目し、震える己の心に活を入れる。息を吸って、吐いて、丹田の巡りを意識して、己の内を巡る氣の流れを意識する。


「……戦いの内容が口喧嘩ってんなら、悪いが帰らせて貰って良いか?」


 目を開く。


 真っ直ぐに雷獅子を睨み据え、自ら戦いの火蓋を切って落とす。今更もう、逃げられない。本当はイヤでも、恐ろしくて堪らなくても、どうせ戦うしか無いのなら、せめて自身を奮い立たせるしかない。気持ちで負けたら、一瞬で呑まれるだろうから。


「”口を動かす暇があるなら身体を動かせ”。生憎、俺は口喧嘩には弱いんだ。口だけ達者な雑魚とは違ってな?」 

 

 雷獅子は一瞬、驚いたように目を丸くしていた。


 けれど直ぐに目を細め、クツクツと小さく笑い始める。


「いいね」


 バチリ、と小さな紫電が夜気の中に爆ぜる。それは次第に数を増し、気付けば雷獅子の身体の周りを這い回る稲妻の鎧と化していた。 


「上出来だよ、シン・ナルカミ」


 瞬間。


 稲妻と半ば同化し、眼前にまで接近してきた雷獅子の踵落としが、咄嗟に一歩退いたシンの鼻先を掠って、古いアスファルトに突き刺さっていた。粉砕されたアスファルトの破片が稲妻を纏った散弾と化し、シンはその場からの退避を余儀無くされる。


 自らが散らしたに追い付き、掻き分け、雷獅子が再度シンに肉薄して来たのは直後の事だった。


「――ッ!」


「――ハハハハハハハハハハァッ!!!」


 後退したシンに追い付くと同時に大きく踏み込み、首を刎ね飛ばさんとばかりに放たれるラリアット。重心を落とし、ストンとその場にように屈み込めば、頭上の空間を剛腕が引き千切っていき、逃げ遅れたシンの束ねた髪の尾を嬲る。


 躱した、と息を吐く余裕は無い。しゃがむと同時に、即座に抜刀。攻撃した瞬間の”虚”を突く形で、シンの倭刀が雷獅子の足下を薙ぐ。そこまで織り込み済みだったらしく、瞬時に相手は跳躍して回避、更にその跳躍を胴回し回転蹴りに繋げてくるが、それもまたシンにとっては予想の範囲内である。刀身を抜きはなった鞘を真横から相手の蹴り足に叩き付け、破城鎚の一撃を連想させるその軌道を、思い切り真横に書き換えてやった。


「おぉ……!?」


 空中で体勢を崩し、地面に叩き付けられた相手にそのまま肉薄し、トドメ……とは、残念ながらいかなかった。相手はその出鱈目な身体能力を以て反応し、途中から自ら受け流される力に合わせて空中で回転。地面に両手を突き、側転の要領でまんまとその場から脱出してしまったからだ。


 それでも状況的には五分五分、或いは少しだけシンの方に有利である。即座に追い掛けようとしたが、


「――!!」


 バチリとその両腕に稲妻が這うのを見て、咄嗟に跳ぶ方向を前から横へと変更した。


「オラァアッ!!!!」


 直後、シンが今の今まで居た場所を、光の奔流が呑み込んだ。


 工夫もクソも無い、ただの放電。人の身で扱えて良い訳が無い、暗雲を這う天雷そのものが、雷獅子の掌からシン目掛けて放たれたのである。


 普通に考えれば、人間が稲妻よりも速く動ける筈が無い。もっと言うなら、雷獅子が狙いを付けて稲妻を撃ち出したに動き出しても、避けきれる訳がない。


 そんな訳で、横っ飛びしたシンは接地と同時に前転し、勢いを殺さないまま再び其処から走り出す他無かった。走り出したシンが居たその空間を再び光の奔流が突き抜けていき、偶々その先に居た白コートの何人かが巻き添えを喰らって悲鳴を上げるのが聞こえた。


「そぉら、そぉら、そぉらァッ!!!!」


 広い大通りをジグザグに駆ける。


 無造作に突き出される雷獅子の腕から放たれる雷が、その軌道を追い掛けるように飛んでくる。


 路面を蹴って宙を跳び、建物の壁面に着地する。


 愚直にシンが走る後を追い掛けてきていた稲妻が、シンの行く手を遮るように建物の壁を穿ち、炸裂した。飛び散る破片から顔を庇いつつ、シンは雷獅子の方を見る。両腕に稲妻を纏わせ、その場から動かないままに興じていた彼は、動きが止まったシンを見てニンマリと笑い、トドメの一撃を繰り出すべく悠々と腕を引き始めていた。


「――調子に……!」


 壁を蹴る。


 但し逃げる為ではなく、反撃に転じる為である。全身全霊で壁面を蹴って飛び出した先は、雷獅子が居る方向だ。視界の先では、既に動き出していた雷獅子が、稲妻を纏わせた腕を思い切り突き出そうとしているのが見えた。


「乗るなァッ!!」


 一閃。


 宙を飛びながらの抜き打ちが、雷獅子が腕を突き出すよりも速く、その首元を薙いだ。咄嗟に首を傾けて斬撃の軌道上から逃れようとした雷獅子だったが、それでも倭刀の鋒はその首筋を深々と抉る。


 雷獅子の首から血が噴き出すのと、シンが着地するのはほぼ同時。


 血を噴き出したままの雷獅子が振り返り、シン目掛けて稲妻を撃ち出すのと、シンがその場で跳躍し、その奔流を躱すのもまた、殆ど同時の事だった。


「――……る気あんのか?」


 空中で身体を捻り、敵に向き直りつつ着地したシンに向かって、首筋から再生の蒸気を噴き上げる雷獅子が話し掛けてくる。言葉とは裏腹にその笑顔は獰猛で、どこか無邪気に喜んでいるようにも見えた。


「……テメェこそ、る気あんのかよ?」


 やはり、バケモノだ。規格外の火力を可能とする雷を操る能力に、此方の積み上げた戦果を全て無駄にする再生能力。質の悪い冗談だ。喧嘩は同じ次元に立つ者同士がぶつかり合うからこそ成立するものであって、そうでなければそれは一方的な虐殺にしかならない。シンは雷獅子のようには笑えず、精々虚勢を張るのが精一杯だった。


 それでも今更、後には退けない。シン一人なら失われるのは尊厳のみだが、今のシンの後ろには双子とティセリア、ついでにブルートも居る。シンが余りにも酷い無様を晒せば、彼女等に雷獅子の怒りの矛先が向く可能性がある。それだけは避けなければならない。


 戦うしか、無いのだ。


「さぁ――」


 雷獅子が、僅かに前のめりの体勢に移行する。


「行くぞ!!」


 それに併せて、シンもまた、倭刀の鯉口を切ったのだった。





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