決意の代償⑤
(
稲妻の奔流が、やがて途切れる。そこに大男の姿は既に無い。押し流されたか、或いは消し炭と化したか。
どちらにせよ、突然の展開に頭の半分は未だ追い付いていなかった。
だがその一方で、やはり、と納得する気持ちもあったのだ。
彼等はどうも仲間内で獲物を取り合いをしているらしかったが、これだけ派手に騒いでいれば、奴が感付かない筈が無いのだ。
『──てめぇぇらぁああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!』
少し離れた、夜空に呑まれたビルの上。唸るような放電音と共に稲妻が走り、直後、轟音と共に爆発した。大型獣の咆哮に紛れて人の悲鳴のようなものが聞こえたのは、もしかしなくても雷撃に巻き込まれた狙撃手のものだろう。自分が戦っている最中に、遠くから獲物を横取りされたら堪らないという思考だろうか。此方からすれば良い報せだが、少しだけ狙撃手達には同情してしまう。ボスの目を盗んで獲物を掠め取ろうとする時は、絶対にバレてはならないという事か。
『──俺抜きで楽しんでんじゃねぇぇぇぇええええええええええええええええッ!!!!』
半壊したビルの屋上から、雷光が飛び立った。
それは夜空で弧を描き、小型の流星宜しく、シン達の居る大通りへ一直線に墜ちて来る。逃げ隠れするには絶対必要な夜の闇を強引に暴き、真昼のように周囲を照らすそれに、シンは咄嗟に後退し、自らの身体でティセリア達を庇う。
轟音。
まさしく小型の流星が落下してきたかのようだった。それはシンから見て前方、丁度ついさっきまで大男が立っていた場所に着地して、身体から熱気やら蒸気やらを立ち昇らせながら、自身もゆっくりと立ち上がろうとしている所だった。
筋骨粒々とした大柄な体躯。彼等と同じ組織である事を申し訳程度に示している、肩に羽織った白コート。獅子の鬣を思わせる髪と髭に、バチバチとその周囲に弾けて踊る細かな紫電。
雷獅子。若しくはレオンハルト・イェーガー。
シンにとっては悪夢そのものである男が、其処に立っていた。
「——よう」
目が合った。
相手は玩具を見付けた肉食獣のように無邪気に笑い、シンは咄嗟に臨戦態勢を取る。相手からすればただ笑っただけなのかもしれないが、獲物からすれば捕食者から笑い掛けられる事ほど恐ろしい事は無い。
「久しぶりだな。待たせちまったか?」
「……」
「なんだよ態度悪ぃな。俺ぁこれでも頑張ったんだぜ? まさか教会領のその先にまで吹っ飛ばされるとはな。お陰で北の寒村からこんな所までノンストップのフルマラソンだ。図らずも健康になっちまったぜ」
「……?」
違和感を覚えたのは此処からだった。気分が高揚しているのだろうか。声がやや弾んでいるし、何より言っている事が意味不明だ。
「気を抜けば記憶を齧り取られそうになるし、まぁ楽な道じゃなかったな。でもお陰で色々思い出せたぜ。なぁ――」
けれどそれはどうやら、シンだけが置いてけぼりを喰らっているだけのようだった。
怪訝な顔をしているシンの事など放っておいて、雷獅子はシンの背後に居る彼女に向かって歯を剥き、凶悪に笑う。
「——初代聖女サマよ?」
「……!?」
ほとんど反射的に――周囲への警戒すら忘れて――シンは背後のティセリアを振り返った。初代聖女。それが何を意味するのか、実はシン自身にもよく分かっていなかったが、頭の底に何か引っ掛かるものがあったのだ。
"間違いであってくれ"。
懇願にも似たシンの胸中の呟きは、けれど、呆気なく裏切られた。
「ごめん」
聖女と呼ばれた彼女——ティセリアは双子を抱き抱えたまま気まずそうに視線を逸らしていたが、シンが其方を振り向いた瞬間、観念したように瞑目した。
「こんな事になるなんて、思わなくて……」
「ごめんって――」
ごめんってどういう事だ。聖女って何だ。
お前は雷獅子と面識があるのか。
泡沫のように浮かび上がっては消えていく様々な疑問は、けれど実際には、一つも形を結ばなかった。
(!? しまっ――)
ティセリア達の上空。風化した建物の屋上。
シンが警戒を忘れ、目の前のティセリアに意識を集中させたその隙を突くように、人影が一つ勢い良く落下して来る。シンが気付いたその時には、既に相手は、自らの攻撃の間合いへ入り込もうとしていた。
(間に合わな――)
倭刀の柄に手を掛け直しながらも、頭の何処かでは、”間に合わない”と冷静に判断を下していた。相手はティセリアと双子を真っ直ぐに睨み据え、落下と共に振り上げていた腕を、その掌に握られていた曲刀を、その頭上に振り下ろそうとしていた。
無情に響く風切り音。ドス黒い花が大輪を咲かせ、ムッとするような血臭が周囲に広がる。
「わぷっ――」
「「!!」」
目から飛び込んで来る情報は、時に暴力的なまでの衝撃を伴う。
特に、それが見る者にとって”最悪”を彷彿とさせるものであれば、喩え分かっていたとしても身体は勝手に反応してしまう。視界いっぱいに広がった血の色に、シンは一瞬、恐怖に心臓を掴まれて一歩たりとも動く事が出来なくなっていた。
上空からの襲撃者がティセリア達に刃を振り下ろす直前、何処からともなく飛来したククリナイフが叩き割り、血を撒き散らした瞬間を見ていたとしても、だ。
「……!?」
頭蓋を叩き割られ、身体の制御を失った白コートの死体が、ティセリア達から逸れて建物の壁に叩き付けられる。血の跡をベッタリと残し、それが地面に叩きつけられるのを見てから、シンの意識は慌てて其方——即ち、ククリナイフが飛んできた方向を振り返った。
「ああ、ブルート。一つ報告なんだが」
面白がるような雷獅子の声。目の前で殺されたのは彼の部下だろうに、助けに入る素振りさえ彼は見せなかった。
尤も。
その部下を殺したのもまた、彼の部下、という事になるのだが。
「お前のご主人様は記憶喪失らしい。お前の事も覚えてるかどうかは怪しいな」
「……なるほど。道理で察しが悪過ぎる訳です」
ククリナイフを投擲し、シンの代わりにティセリアと双子を守ったブルートは、鉄仮面のようだった表情をふわりと綻ばせた。やれやれと言わんばかりに頭を振り、それまでの空気感が嘘だったかのような柔らかな微笑を浮かべてシンを見る。
「元から物覚えの悪い、才能の無い悪童では御座いましたが。あれほど叩き込んだセオリーも、いざという時の合図も全て無視するのですから、流石におかしいと思いました」
「馬鹿共の数が随分と減ってやがるのは、お前の仕業か?」
「はい」
「ハゼルの件も俺を騙そうとしたよな? 森じゃなく、港で死体を見付けたとかお粗末な嘘まで付きやがって」
「はい」
「はは、ちったぁ悪びれろよ。狗野郎め」
「わんわん」
「はは」
「ふふ」
二人の立ち位置は非常に近い。会話の雰囲気も相まって、一見二人は他愛無い雑談に興じているようにしか見えなかった。
けれども飽くまで形だけだ。会話に丁度良いその距離は傲り高ぶった怪物を仕留める為の必殺の距離で、和やかな雰囲気はただただ攻撃のタイミングを隠す為の白々しい茶番でしかない。
偽りの平穏を破ったのは、ブルートの方だった。それまで全身を適度に弛緩させていたのが嘘のように、筋肉を弾けさせ、大気の壁をブチ破る勢いで雷獅子に肉薄する。ほぼほぼ瞬間移動の速度で雷獅子の眼前の空間に出現すると、空中で身を回転させ、首を刈り取る様な回し蹴りをお見舞いする。
顎を狙って意識を刈り取るつもりだったのか。或いは足に仕込んだ隠し刃で、文字通り首を刎ね飛ばすつもりだったのか。
何にせよ、人外めいたその動きですらも、本物の人外である雷獅子には通じなかった。直前まで腕を組んだまま微動だにしなかった雷獅子は、眼前に迫るブルートの蹴り足、その脛に光るブレードを目の前にして、歯を剥いて嗤う。
「は」
ガキン、と金属の絶叫が響き渡ったのは、直後の事だった。
ブルートの蹴り足の刃は、噛み合わさった雷獅子の歯によって受け止められていた。
「ムウゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!」
雷獅子の身体が、大きくしなる。蹴り足を捕らえたブルートの身体を大きく振り回し、勢い良く地面に叩き付ける。派手な破砕音と共にブルートの身体が地面にめり込み、古いアスファルトの破片が周囲に飛び散る。
更に、雷獅子は動きを止めない。動かないブルートに向けて足を振り上げ、稲妻を纏ったそれを老人の細い体に向けて振り落とす。
「オラぁッッ!!」
屈強な獣であっても砕け散るのではないかと思われるようなその一撃は、狙い過たずブルートの身体を捕らえた。紫電が弾け、真昼のように辺りを照らす。いまいち状況に付いていけていないシンに彼を助ける余裕がある筈も無く、その間に、実はシンの味方であったらしい男の身体は雷光の中に消えた。
「ブル――」
バチバチと猛る放電音の中に、ジジジ、と燻すような音が混ざって聞こえたのはその時だ。
先程も聞いたその音の意味をシンが悟るのと、雷光を押しのけるようにして火柱が上がったのはほぼ同時。
「お?」
空蝉、という技がある。
要は敵の油断を誘って噛み殺す技であり、敵に
爆薬の直撃を受けて尚、雷獅子の身体の一部を奪うまでには至らない。しかしそれは彼も織り込み済みだったようで、相手が派手な火柱に目を奪われている間に、雷獅子の足元からヌルリと脱出、まるで蛇のように雷獅子の身体を這い上がって相手に肩車させるような形でその首を固定すると、その首筋にククリナイフの切っ先を突き込んだ。
肉を潰す音と共に、肉厚の刃が筋肉の塊のような首を突き破る。勝負あったと反射的に思ってしまったその矢先、自分もあそこまでは行ったのだと思い出す。
「——おい気を付けろ! そいつは……!」
「承知しております――!」
バチリ、と紫電が唸りを上げる。
ブルートが肩車状態を解除して雷獅子の身体から飛び退くのと、その雷獅子の身体から放電が行われるのはほぼ同時。宙に身を躍らせたブルートの爪先が接地するのと、雷獅子が地を蹴って彼に肉薄するのもまた、ほぼ同時。
「!!」
「ははははははははァ――!」
血栓で塞がれた喉をガボガボと鳴らしながら、雷獅子はブルートに向けて、突進の勢いをそのまま加えた前蹴りを放つ。それは所謂着地狩りと言うヤツで、ブルートにもどうしようもなかったらしい。
咄嗟に腕で防御を固めたブルートの身体を、雷獅子の蹴足が捉える。長身だが細い身体が吹き飛ばされ、その隙に雷獅子は首から刺さったククリナイフを引き抜いた。
「返すぞ」
血に濡れた肉厚の刃を、雷獅子は元の持ち主に向けて投擲する。それはその額目掛けて吸い込まれるように飛んでいき、そのまま貫くように見えたが、
「感謝しておきましょう」
それは跳ね上がったブルートの蹴足によって弾き上げられ、上空に舞い上がった。緩く弧を描き、クルクルと舞いながら落ちて来たそれを、元の持ち主は優雅とも言える動きで掴み取る。
「要らぬ世話ですがね」
「はは、いいねぇ!」
首の傷口から再生の蒸気を噴き上げながら、雷獅子は笑った。元の顔面が凶悪故にその笑みもまた凶悪だったが、恐らく本人的には朗らかに笑ったつもりなのだと思う。
「教会領の退屈が嘘みてぇだ! 征伐隊なんざ面倒臭ぇと思ってたが、偶には真面目に仕事するべきだな! まさかこんなご褒美があるなんざ思わなかったぜ!!」
人とは思えない怪力。人の身には扱える筈の無い
この世は強者が回している。個人の意地も尊厳も意思すらも、強さの前では無意味である。
どんなにこの場から逃げ出したいと思っていても。平穏無事に生き延びたいと願っていても。
「だが、先ずはお前だ。ナルカミ」
強者がそれをノーと言えば、弱者の祈りは届かないのだ。
「俺はお前とリターンマッチをしに戻って来たんだ。他は取り合えず後回しだ」
ぐりん、と獣の瞳が軌跡を描いてシンを見た。それまでブルートに向けられていた馬鹿デカい殺気が急に戻って来て、息が詰まったような感覚に襲われる。
「安心しな、記憶が無いお前に”本気を出せ”とせっつくつもりは無ぇさ」
彼が、シンに向かって向き直る。何か優し気な事を言っているような気がするが、それも全て帳消しになるような威圧感が両肩に圧し掛かって来て、正直シンからすればその言葉の意味を考えるどころではなかった。
「テメェがもう一度覚醒するまでは、じっくりゆっくり、気長に待ってやるさ」
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