決意の代償④
脳裏の奥に、何か弾けるものがあった。
特に何か根拠があった訳でもなく、とにかく焦燥に駆られて、シンは納刀状態の倭刀を跳ね上げる。その柄頭が何か重いものにぶち当たり、明後日の方向に弾き返したのは、直後の事だった。
言うまでも無く、ククリナイフである。いつ投げてきたのか、そのモーションに入ったのか、シンは見た記憶が無い。
きっと、初見だったら防げなかったと思う。
(……やっぱり)
間違いない。俺はこの爺を知っている。記憶の引き出しから取り出せなくとも、身体が奴との戦いが刻まれている。
だから、この後の展開は考えなくても分かるのだ。
ククリナイフを弾き飛ばした倭刀を即座に腰に引き寄せて、シンは抜刀の構えを取る。自身が投擲したククリナイフにピッタリとくっ付いて疾走してきたブルートが、ククリナイフに時間を割かされたシンの頭上を飛び越えようとしていたからだ。言うまでもなく、シンが背後に庇う双子が狙いだろう。
「……させるか……ッ!」
「!」
一閃。
夜闇の中に火花が咲いて、空中に躍り上がっていたブルートの長身が急激に後方へ吹っ飛ばされた。真っ二つにするつもりで放った対空迎撃を、けれど相手は即座に新しい獲物を取り出して、防御したらしい。その身体は空中で優美な弧を描き、丁度両足を失って地に這い蹲っていた大男の前に柔らかく降り立つ。
と、その瞬間、夜闇を裂いて何かが飛んでくる。
目視、と言うよりは殆どカンに頼って抜刀と同時に倭刀を滅茶苦茶に振り回し、目の前の空間そのものを削り取る。重い衝撃が二つに、小さい衝撃が四つ。これ見よがしなククリナイフに加えて、黒塗りの投げナイフを紛れ込ませて投擲して来たらしい。
挙句、その投げナイフも、只のナイフではなかったのだ。ジジジ、と何かを炙る様な微かな音を聞いたのは、シンがブルートの投擲物を弾いた直後の事だ。
(爆薬……!?)
瞬間、閃光がシンの目を真昼のように辺りを照らし、轟音が夜気を揺るがした。シンはと言えば咄嗟に反転してティセリア達の所へ駆け戻り、双子を抱き締めるティセリアごと抱き寄せて、彼女らを爆発の余波から庇っていた。熱波に肌を焼かれ、轟音に耳が痛くなったが、それだけだ。これなら三人も無事だろう。
「シン、この子達が……!」
「後にしろ……!」
切羽詰まったようなティセリアの声。正直、聞き捨てならない事を言っていたような気がするが、今はとにかく間が悪い。断腸の思いで彼女の言葉を遮った。
理由は、ブルートのナイフが引き起こした爆発だ。マトモに喰らっていたなら木っ端微塵となっていただろうが、やや外れた所で爆発を起こし、粉塵を撒き散らしてくれたそれは、丁度シン達を覆い隠す煙幕として機能してくれているのである。今なら、遠くからシン達を見張っている狙撃手たちの目も誤魔化せる。またとない好機だった。
「とにかく一旦退く。声を立てるなよ」
緊張した面持ちで、ティセリアが頷く。倭刀を持っていない方の手で、彼女が抱えていた双子の内の一人を問答無用で
「おいブルートてめぇ、何してやがる!? アイツは俺の獲物だぞ!!?」
「申し訳ありません」
「ああくそ、何も見えねぇ!! どうなってやがる!!?」
「直ぐに死体を確認して参ります」
「余計な事すんな!! 引っ込んでろ!!」
幸い、向こうも統率が取れている様子ではないようだった。半ば仲違いのような怒鳴り声から察するに、彼等は仲間内で獲物の取り合いをしているように見受けられる。飽くまでも憶測だが、この場に雷獅子が現れないのもその辺の事情が関係しているのか。
何にせよ、シンにとっては好都合だった。
ティセリアがちゃんと着いて来ているかを気にしつつ、シンは建物と建物の隙間に滑り込んでいく。
「どうするの?」
「とにかく場所を変える。お前達を隠さないと」
兎にも角にも、双子とティセリア達の安全を確保しなくてはならない。背後に彼女達を庇っていたのでは、他の奴等はともかく、あのブルートという老人を相手にする事はとても出来ない。
とは言え、”完璧な隠れ場所”を見付ける事は恐らく不可能だ。此処は廃墟でそういう場所には事欠かないだろうが、それでも"それ専用"に作られた訳ではないからだ。人を追う術を心得ていて、そして人数に勝る彼らは、此方をいずれ見付けてくる。隠れながら逃げ出せる可能性があるかは五分五分で、完全に隠れてやり過ごせる場所を見付けるとなると時間も運も必要だから、可能性はもっと低くなる。どちらも、シンにとっては分が悪い賭けだ。
「私達をって……シンはどうするの?」
「囮になる。向こうにも意図はバレるだろうが、それでも俺を無視する事は――」
「「イヤ!!!!」」
突如、思わず度肝を抜かれる程の大音声が狭い路地の中に響き渡った。
ギクリとして、その発生源に目を落とす。熱に浮かされたような表情はそのままながら、彼女はそれどころじゃないと言わんばかりの焦燥を張り付けて、シンを必死に見上げていた。
「おいてかないで!! いっしょにつれてって!!」
「お前ら、今は静かに……!!」
「ヤダ、ヤダよぅ!! シンがまたいなくなるなんてヤダよぅ!!」
凄まじいまでの剣幕だった。片手に双子、もう片方の手に倭刀を携えているシンには、腕の中のヒナギクの口を塞ぐ事は叶わなかったが、そうでなくても彼女達の叫びを止められたかは分からない。
駄々っ子のような、けれどだからこそ原始的で力強い欲求。
聞く者をハッとさせるようなその声は、けれどやっぱり、今のシン達にとっては宜しくないものだった。
「——そこに居ましたか」
言葉、と言うより、声を聴いた瞬間に身体が反応した。
上を見るよりも先にティセリアの方に一歩踏み込んで密着し、腕の中のヒナギクを押し付ける。同時に倭刀を掴んだ腕をティセリアの背中に回し、身体の位置を入れ替えるような形で、彼女と彼女が抱いた双子を大通りへ突き飛ばした。
これで少なくとも、ティセリア達に危害が及ぶ事は無い。
後は今まさに落ちてきているブルートの攻撃を、シンが上手く捌くだけである。
出来るなら、の話ではあるが。
(南無三……!)
マトモに対処する時間なんてありはしなかった。敵の攻撃が何なのか、どんな軌道を描いて飛んで来ているのかも見極める事も出来ないまま、シンはとにかく手に持った倭刀を自身の頭の上に掲げ、取り合えず自身の頭上を庇う。
優美なダークスーツには似つかわしくない、ゴツい戦闘ブーツの靴底が、倭刀を挟んでシンの眼前に広がったのはその直後の事だった。自身の体重に落下の勢いを掛け合わせた強力な踏みつけ。マトモに喰らえば頭蓋が粉砕されて首が折れていただろうが、シンが想定した内の中ではマシな方だ。
幾ら頑丈とは言え、倭刀の細い刀身でククリナイフの分厚い刃を受けるのは些か無謀である。刃の軌道を把握出来ているなら別だが、今のシンはそれが出来ていなかった。仮にブルートが踏みつけでなくククリナイフによる一撃を叩き込んで来たら、シンは防御ごと叩き割られて終わっていただろう。
「——……」
安堵と、疑問。
シンがそれらに引っ掛かっている僅かな間にも、ブルートは決して動きを止めない。シンの防御を蹴り付けて、やや離れた所に着地。と、それとほぼ同時に矢のように突っ込んで来て、シンの意識の虚を抉るような鋭い足刀蹴りを放って来る。
「ぐ……ッ!?」
反応が遅れた分だけ、対処も遅れた。
咄嗟に倭刀を引き下げてガードしようとしたものの、ブルートの足刀はそれに割り込むようにシンの鳩尾を捉える。気脈の流れをへし折られるような苦痛に悲鳴を上げる間も無くシンの身体は「く」の字に折れ曲がり、ティセリア達と同じ大通りへ吹き飛ばされる事になった。
「シン!」
直ぐ近くから、思わずといった調子のティセリアの声が上がる。その声を聞けば、自身の身体の苦痛に構っていられる筈も無く、シンは倒れた路面から無理矢理跳ね起き、体勢を立て直す。
ブルートは言えば、建物と建物の隙間の陰からゆっくりと歩み出て来る所だった。立ち上がり、意地でも手放さない倭刀を抜き打ちの形に構えて、ティセリア達を庇うシンを見て、微かに嘆息する。もしかしたら何かを言おうとしたのかもしれなかったが、
「――ブルートォオオオオオオおおッッ!!!!」
幸か不幸か、彼がそれ以上何か出来る時間は直後に終わった。
「邪魔するなって言ってんだろうが狗ッコロがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
轟音。
近辺の建物を文字通りに揺るがして、シン達が脇を通り抜けてきた建物一つに大穴が空いた。ガラガラと崩れる瓦礫のシャワーを掻き分けて、ドスグチャと痛々しい足音と共に歩み出て来たのは、シンが先程足首を切り落とした筈の大男だった。
足を喪ってどうやって此処まで移動してきたと、咄嗟に視線を下に下ろすと、彼の足には傷口にハンドアクスの抦がブチ込まれ、即席の"足"の役目を担っていた。
「殺してやる……!」
視線を上げると、目が合った。
ハンドアクスの柄に傷口を文字通り掻き回される痛みに脂汗を流しながらも、大男はニタリと満足げに嗤う。
それは執念と言うより、狂気の域だ。合理的な判断とか、人間らしい倫理観とか、最早期待出来る領域ではない。何処までも何処までも追い掛けて来て、それこそ殺すか殺されるかされない限り止まらないだろう。
「殺してやるぞ、悪魔憑きが……!」
視線は正面の敵二人から外さないまま、氣を張って周囲の様子を確認する。
背後のティセリア、双子に動く気配は無し。双子は興奮しているのか息を荒げていて、正直此方もかなり気掛かりだ。ティセリアには大変な役回りを押し付けてしまったものだと思う。
とは言え、謝るのは後だ。更に氣の範囲を拡張すれば、建物の隙間の暗がりや、崩れた瓦礫の陰に、続々と殺意に塗れた気配が集まって来ているのを感じ取れる。彼らは既に姿を隠すつもりも無いらしく、チラリと視線を走らせれば、あちらこちらに白コートを身に纏ったその姿を認める事が出来た。
「……」
逃げるのは、もう無理だろう。
静かに悟り、シンは小さく息を吸って整え、空気に腰掛けるように重心を落とす。
四人揃ってこの場から逃げ出すのはもう不可能だ。包囲網は完成し、目の前には強敵が二人も居る。どうしてもこの場から女子供を逃がしたいのであれば、シンが文字通り死ぬ程戦って、敵の数を極限まで減らすしかない。
「ティセリア」
「……なに?」
誠実でないのは自覚していたが、それでも彼女達の方は振り向かない。けれどその硬い声の質感から、彼女が今どんな表情を浮かべているかは手に取るように分かった。
「敵はなるべく連れて逝く。隙を見て逃げろ」
「絶対にイヤ」
グチャリ、と肉をかき混ぜるような音。それが足音だと気が付いたのは、大男の身体が不安定に揺らめいたからだ。足の傷口から噴き出す血で足代わりの手斧の刃を真っ赤に染め上げ、それでもそんな事など一切気にならない様子で、大男はのそり、のそりと歩みを進めてくる。
もはや、説得どころか会話する余裕も無い。
「……信じてるぞ」
一方的に言い捨ててから、シンは死力を尽くす宣言も兼ねて、オーソドックスな抜き打ちの構えを取った。ティセリアが納得したかどうかは知らないが、この場の空気がそれ以上の会話を許さない事は彼女にも伝わったらしい。それ以上彼女が口を開く事は無い。
大男がゆっくりと駆け出したのは、直後の事だった。
「——う、お、おおおおおおおおお……!」
大男の口から、雄たけびが漏れる。身体の内から絞り出すようなそれは、きっとシンに対するそのものだ。
得物を持たない拳を固く、硬く握り締め、大男は真っ直ぐにシンに向かって突っ込んで来る。
——否、
『──がぁああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!』
突っ込んで来ようとした、のだろう。
けれども実際には、大男が大通りの真ん中辺りまで到達したその瞬間、どこからともなく稲妻の奔流が押し寄せて来たのである。彼はあっさりと呑み込まれ、シンの視界から消えて居なくなった。きっと本人も何が起こったのかさっぱり分からなかったに違いない。
「……は?」
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