決意の代償③

 「!」


 シンから見て、スラムエリアの奥──少し離れた廃ビルの屋上で、銃火の光が閃いたのが見えた。


 たった一つ限りではない。二つ、三つ、全部で四つ。その内同時に瞬いたのは二発、その後微妙に遅れて一発、更に其処から半呼吸ズラして一発。


 即座に鞘の中に納めていた刃を閃かせ、シンは最初の二発と一瞬ズレた弾丸を一刀で纏めて弾き返し、更に返す刀で最後の一発を明後日の方向へ流してやった。


 最初の二発はビルの壁に、次に来た一発は古びた路面に。そして、最後の一発は死角から忍び寄って来ていた襲撃者の眉間に。


「……ふー……!」


 丁度、ティセリア達が身を寄せている廃ビルとは、路面を挟んだ反対側。ビルとビルの隙間から飛び出して来たその影は、頭部から黒い液体を撒き散らしながら地面の上を転がる。


 が、それで終わりではない。倒れた仲間を踏み越えるようにして、更に新たな影が二つ、同じビルの隙間から飛び出して来るのが見えた。


「……!」


 一人が大きく宙を飛び上がり……と、其方に注意を引き付けさせておき、もう一人が地面を這うような低い体勢で突っ込んで来る。その両の手に握られているのは一対の短刀。スピードに物を言わせて一気に潜り込み、囮に気を取られたシンの急所を一気に掻っ捌く──と、そんな筋書きだったのだろう。


「……ッ!」


 シンが選択した対処法は、前に出る事だった。


 瞬時に脱力、重心を滑らせるイメージで、前進。予備動作を極力消して、低い姿勢で自ら突っ込み、敵の認識と距離感を狂わせる。一度も視界から外れなかったにも関わらず、シンの姿を見失った相手が目を見張っているその隙に、シンは倭刀を抜き放つ。


 身体を捻り、上から下への斬り下ろし。


 倭刀の刃は空中に留まっていた囮役も、その陰に隠れていた所為で状況を把握し損ねた奇襲役も、更にその下の地面をもバターのように斬り裂いた。


 声すら上げず、上から刃を入れられた二人の身体が二つずつに分かたれる。べちゃりと肉が路面にブチ撒けられる音を風の中に聞きつつ、シンは即座に双子やティセリアの前まで後退した。


 敵の数を減らしても、気を抜ける瞬間はやって来ない。


 ティセリア達の前にまで戻ってくるのとほぼ同時に、シンは遠くから飛んできた狙撃の弾丸を明後日の方向に弾き飛ばす。その後、呼応するように次々と新たな弾丸が飛んで来たが、シンは倭刀を縦横無尽に振り回し、それらも全て叩き落とした。


(くそ……!)


 やり辛い。敵の数が多過ぎる。シン一人ならまだしも、常に背後を庇いながら、遠距離、近距離の攻撃手段を備えた敵の相手をしなくてはならないのは、嫌でも神経が削られる。下手に動くのもリスクが高いし、かと言って此処に何時までも縫い留められるのはハッキリ言ってジリ貧だ。


(何でよりによって、このタイミングで……!)


 今まさに襲って来ている連中も、雷獅子や双子を襲った男の仲間なのだろうか。此方は彼等の正体を全く把握していないし、別にそうであっても何ら不思議ではないのだが、それにしたってまさかこんなに数が居るとは。


 "コイツらは何者か"。


 "どうして自分達は追われているのか"。


 "双子は、そしてそれを庇う自分は何者なのか"。


 日常に呑まれつつあった疑問が、再び頭をもたげ始める。ぬるま湯に浸り過ぎたという後悔が今更胸中を掠めたが、既に何もかもが遅かった。



「──ナルカミィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!!」



 夜の静寂を粉々に引き裂いて、男の怒号が響き渡る。


 その単語が自身の名前であるとシンが直感するのと、次々と襲い掛かってきていた弾幕が途切れるのはほぼ同時。直後、段幕と入れ替わりになるように、近くのビルの上から新しい人影がシンの目の前に飛び降りて来て、古びた路面を粉砕して周囲に破片を撒き散らした。


「!」


 デカい。


 雷獅子も大概恵まれた体格をしていたが、コイツは人類の限界を超えて身体が膨れ上がっている。単純な大きさ勝負なら、修道院で戦った機械猿人(エイプマン)ともタメを張れるのではないだろうか。大きく突き出た腹や弛んだ頬肉は多少気になるものの、飛び降りて来た動きを見る限りではノロマと断じるのは危険だろう。


「やっっっと見つけたぜこのクソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 短い髪は怒り狂ったように天に向かって逆立ち、殺意に燃える双眸は見るモノを灼き殺さんばかりに爛々と燃えている。額を突き合わせるような至近距離からその目の奥を覗き込むような形になって、シンはこの男に一切の話し合いが通じないのを悟った。


「────」


 口を開く暇さえ、無い。


 次の瞬間、真上から殺気を纏った相手の拳が──正確には、その拳が握っている規格外サイズの手斧が──落下して来る。直撃を貰うのは当然無いし、かと言ってその衝撃で飛び散る路面の破片がティセリア達に当たる可能性を考えれば、下手に回避する事も出来なかった。


(こんなんばっかりかよ、クソが……!)


 抜刀。


 斜め下から斬り上げた倭刀の刃は、落ちてくる手斧の分厚い刃と正面から噛み合い、と断ち割った。すっぽ抜けるように前方へ飛んでいき、ティセリア達の直ぐ近くの壁にぶち当たって破片を撒き散らすのにヒヤリとしながら──それでも本来の重量で、目の前の大男の膂力から繰り出される一撃から産み出されたであろうものに比べれば、随分マシだった筈だ──も、シンは即座に倭刀を納刀、丹田を中心に身体を渦巻く"闘氣"を爆発的に加速させる。


「──がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」


 吐き出した呼気は、半ば咆哮だった。


 鞘から引き抜かれ、加速した倭刀の刃がシンの目の前の空間を絶つ。只の一撃に終わらず、刃を返して更に一撃。更にもう一撃。二擊。五擊。一〇撃。圧縮された一瞬の間に幾重に幾重にも重ねた斬撃は次々と世界を絶ち割って、瞬く間に世界をバラバラにしてしまう。


 対処する猶予など与えない、連擊の極地。"必殺"のカウンター。


 自身の持てる全てを注ぎ込んだ全身全霊の反撃は、けれど身を結ぶ事無く空を斬っただけだった。


(────!?)


 出っ張った腹の表皮に幾重にも傷痕も残しながらも、寸前に跳び退って難を逃れていた大男が、恐怖半分、してやったり感半分でニタリと笑う。


 その笑顔を見て、シンは相手がこの技を"知っていた"事を直感した。見てから余裕で避けた訳でも、咄嗟にギリギリで躱した訳でもない。知っていたから山を張って、それが当たった。恐らくはシンが相手の斧を斬り裂いたその瞬間から、相手は跳び退り始めていたのだろう。


 きっと他にも知ってるだろうし、対策も重ねている筈だ。


「殺してやる──!」


 大男が怒鳴る。


 腹の傷を気にする様子も無く、彼は腰の後ろから予備の手斧を抜き放った。


「地獄の底でアレン達に詫び続けろ!!」


 血を吐く様な絶叫だった。叩きつけられる殺意は決して彼一人のものだけでなく、大男の叫びに呼応するように、夜闇の廃墟のあちこちで膨れ上がり、辺り一帯を埋め尽くしていく。


 ティセリアがシンを拾った時、シンの周りには殺戮の跡が残っていたのだと言う。言葉で言えばただの単語だが、そこに在る事実は決して軽々しいものでは無い筈だ。


 アレン、と言うのは、目の前の大男にとっての”何者”だったのだろうか。シンが記憶を失う直前まで繰り広げていた殺戮の中で、そのアレンなる男もシンに殺されたのだろうか。


「——……」


 ならば、この男には権利があるのだろう。シンを殺し、復讐を遂げる権利が。


 シンも、それから逃げるつもりは無い。


「ふん──」


 だが、大人しく受け入れてやるつもりも無かった。


 しおらしく頭を垂れてやるのは簡単だが、そうすればシンの今までが全てへし折れる。


 過去のシンは、きっと双子を守ると決めたのだ。今のシンだってそうだ。背後の彼女らを守るなら、それ以外の人間の命を奪う事も厭わない。一度始めたその罪業を途中で投げ出すのは道理に合わないし、シン自身にもそのつもりは無いのだ。


 大男の言う通り、きっとシンは地獄に堕ちるだろう。


 けれどそれが、それこそが、シンが選んだ道なのだ。


「知るか」


 シンは吐き捨てる。


 悪人らしく、罪人らしく、彼等の怒りと憎悪の対象として傲岸不遜に切り捨てる。


「邪魔をするなら、お前もそのアレンとやらの所に送ってやるよ」


「——ぶっ殺す……ッ!!」


 大男が吼える。人の理性が憤怒の炎で灼き切れる様を、シンはその目で確かに見た。


 片手に一本ずつ手斧を携えて、大男はその場から一直線に飛び出して来る。限界を超えた怒りが、ある種の無我の境地に至らせたのだろう。それはシンが想定していたよりも遙かに速く、また圧力も相当なものだった。


「――……!」


 けれど、どちらも雷獅子ほどではない。


 大男が飛び出すのとほぼ同時に、シンもまた彼に向かって飛び出した。何かあれば即ティセリア達のカバーに戻れるような、けれど大男との激突の余波はギリギリで届かないような、そんな絶妙な距離。


 最後の一歩でシンは更にもう一段階加速し、大男の懐に潜り込む。突撃の勢いに踏み込みの重みを付加、倭刀を鞘から抜き放ち、その柄頭で丁度良い位置にあった大男の股間を強打する。叩き潰す感触と共に、大男の身体が電流が走ったように硬直した。


 崩れ落ちるのは何とか耐えて、けれどその結果何も出来ずに立ち尽くす形となった大男の目の前で、シンは一歩下がって距離を調整。倭刀を再度抜き放ち、その足首を薙いだ。


 決着の瞬間なんてこんなものだ。ゲームじゃないのだ。対策されていようといまいと、虚実の”虚”を衝かれたらどうしようもない。


 呆気無く、本当に呆気無く、大男の足は足首から切断された。何が起こったか分からない、といった様子の間の抜けた声と共に、その巨体は派手に前のめりに倒れる。両手を地面について首を差し出すような体勢になった大男の胸中を少しだけ思い、同時にシンは刃を返した倭刀をその首目掛けて振り下ろす。


「——!?」


 だが、その刃が大男の首を刎ね飛ばす事はなかった。シンの刃が勢いに乗り切る直前、わざわざその下に潜り込み、受け止めた者が居たからだ。


「お前は……——」


 月の光を反射する銀髪。日に焼けた浅黒い肌には皺が刻まれ、鋭い眼光を湛えた双眸は抜身のナイフを思わせる。長く、しなやかな手足は顔の皺などモノともしない若々しさと力強さに満ち満ちて、何よりシンの一刀をみせたその技量は、彼の実力を如実に物語っていた。


……?」


 口を衝いて出たその言葉には、馴染みがあった。


 けれどその馴染みを追求するよりも早く、老人ブルートは白羽取ったシンの刃を捻り、倭刀を奪い取ろうと仕掛けてくる。反射的に相手の頭蓋を狙って前蹴りを放ち、相手を後退させなければ、倭刀は奪われてしまっていたかもしれない。


 ゾッとした。


 この老人、大男や他の面子と比べると脅威度が段違いだ。


「……


 低く、唸るような声。


 老人ブルートの声だと気付いたのは、少し遅れてからの事だった。


「女子供を庇いながら戦い抜けると思うたか。此度の”征伐隊”が急拵えの寄せ集めでなければ、既に貴様は此処で屍を晒していただろうさ」


「……!」


 つい、と彼は視線を巡らせる。


 大男やその他の有象無象共の特徴として、白いコートを身に纏っている。あの雷獅子ですら素肌の上に羽織っていたくらいだから、あれは何らかの結束の証だとは思っていた。


 だが目の前の老人はそれを着ていない。普通のダークスーツだ。背が高く、スラリとした優雅な物腰も相まって、何やら王族や貴族の用心棒のようにも見える。


「じき、皆集まる」


 ブルートが、視線を此方に戻す。


「あと五分もすれば、街中に散っていた”征伐隊”の連中が此処に集って来るだろうさ」


 敵を仕留める興奮に笑いもしない。憎しみに顔を歪ませる事も無い。


 事実を伝えるべく淡々と、彼は機械的に言葉を紡ぐ。


「そうなれば貴様は終わりだ。貴様も、貴様が守ろうとしているモノも、無惨に屍を晒す羽目になる」


「せめて女子供は見逃して貰えないか?」


「……笑止」


 ブルートは腰の後ろに手を遣って、得物を抜き放った。分厚い刃を持つククリナイフ。あれは結構厄介で、下手な受け方をすれば武器が破壊されるし、其処まで行かなくても衝撃がガンガン防御を貫いて来る。シンの扱う倭刀で愚直に受ける事は不可能で、だからシンはあの男に"自分よりも膂力の強い相手との戦い方"、その基本を学んだと言っても良い。


(……何だ?)


 ブルート。ブルート?


 何かが引っ掛かっている。開かない記憶の引出しから、もう少しで何かを取り出せそうな気がする。


 けれどそんなシンの心中の葛藤など知らない様子で、ブルートは容赦無く宣言してきたのだった。


「では、参る」

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