刹那の休息⑨

 ○ ◎ ●



 煌びやかな部屋だった。


 歩けばフカフカと音を立てそうな分厚い絨毯。執務机を始めとする調度品はどれもこれも高級素材に職人の技が光る彫刻や装飾を施されたアンティークだ。西側の壁には壁一帯を埋め尽くすような巨大な本棚が設置されていて、東側の壁は巨大な竜魚や小さな魚群が泳ぎ回っている様がライトアップされた水槽となっている。部屋の最奥、陽の光をふんだんに取り込む大きな窓からは、抜けるような蒼穹や、教会領総本山の三角屋根の建物が寄せ集まった出来た白い街並みを眺める事が出来た。


 ”質素”や”地味”といった概念を憎悪しているかのような、とにかく豪奢な部屋である。


 無人ではない。男が一人、窓を背後にして執務机に座り、この御時世に紙媒体の書類仕事などに精を出している。やや尖り気味だが整った顔立ちには今は険しい表情を浮かび、目の下には隈が浮いている。疲れているらしく、度々目頭を揉みながら溜め息なんか吐いていた。


「前時代的だ……」


 手入れの行き届いた肌は暗い中でも分かるくらいに上品な白さを保ち、オールバックの金髪は日の光を反射してキラキラと輝いている。


 身に纏った純白の衣服は所々に金や銀の刺繍が施され、一々豪華だ。軍服にも似ているが、素材そのものや刺繍による装飾の所為で暴力の気配は漂って来ないし、何より着ている本人の体型はヒョロリとしていて、軍人とは程遠い。


 貴族。或いは学者。


 彼を見た者は十中八九そのような印象を受けるだろうし、実際それは外れではない。


「何でここの重要書類は紙媒体なんだ? 全く時間の無駄じゃないか。くそ、頭の固いボケ老人共が。何が"機械は分からない"だ。"学ぶ気が無い"の間違いじゃないか……」


 単なるボヤキと言うよりは、最早呪詛と言った方が正しい。目の下の隅や疲れた様子等も相まって、そんな雰囲気はより一層強くなっている。


「見てろよ、俺がお前らを駆逐したら絶対……」


 誰かに話して聞かせている訳でもなく、ただただ思考の海から顔を出しただけに過ぎないのであろうその言葉は、やはり思考の波の下に潜っていくように消えていった。


 暫くの間、紙にペンを走らせる音が部屋の中に響く。けれど、元々から独り言が多い性格なのか、"時間の浪費"から来るストレスが原因か、彼の思考は再び彼の口から漏れ出していた。


「……しかし、な。元々から別物だったのか? それとも素体によって性質が変化したのか……」


 その内容は、先程までの愚痴とは明らかに内容が変わっていた。彼の思考は、目の前の書類からはとっくに離れ、凄まじい勢いで回転しているらしい。


 音も無く、部屋の扉が開いたのはその時だった。部屋の主が特に気付いた様子も無く、特に反応も見せないでいるその間に、誰かが部屋の中に入ってくる。


 若い女だ。少女と言っても良いだろう。微かにウエーブが掛かった豪奢な金髪は腰の辺りまで伸ばされ、毛先が赤く染められている。部屋の主と同じ緑の目はやや吊り上がっていて、気の強さを思わせた。


 日に焼けた健康的な小麦色の肌。色々とされ、また袖は無くなり丈は短くなって、腕やへそが剥き出しになった挑発的な服装。丈の短いスカートとニーハイによって確立された腿の絶対的な領域は、好む好まないに関わらず見る者の視線を引き付けるだろう。


 メリア教では若い娘がみだりに肌を晒したり、華美な化粧をする事は良くない事だとされている。ましてや此処はそのメリア教の大元、”教会領”である。このような格好をしている娘は非常に珍しいと言えるだろうし、それが(大幅な改造を施されているとは言え)純白の修道女服を身に纏っている者ともなれば尚更だ。


 けれども娘は何処吹く風だ。もちろん部屋の主に気を遣う様子も無く、だらけた様子で部屋の中を横切ると、部屋の主が書類仕事をしている机に腰掛けた。スカートの短い裾に恐れる様子も無く足を組み、既に片付いた書類が積まれている山から一枚を手に取って、それをしげしげと眺める。


「――……はっ」


 煌びやかな部屋の中に、馬鹿にしたような少女の声は大きく響いた。


「なんコレ。小学生の反省文?」


 ぽい、と興味を失ったように投げ捨てる。部屋の主の努力の結晶は、ヒラヒラと舞って床の上に落ちた。


 腹を立てても仕方無いような光景だが、部屋の主は特に反応を示さない。手は凄まじい勢いで動いているが、その目は書面を見ていない。デスクに座る少女の腿をチラ見している訳でもないし、そもそも彼女の存在に気付いているかも怪しい。


 まさに"心ここにあらず"といった様子だった。その様子に少女が彼の目の前に掌を差し込んで軽く振っても、マトモに反応すらしない有様だった。 


「……いや、無駄だな。やはり実物が無ければ意味が無い。"征伐隊"の連中は何をしている。早く早く早く早く……」


「うわ、きも」


 少女は容赦が無い。軽く握っていた掌を部屋の主の顔の前から抜き取ると、それを握って彼の頭を殴り付ける。ごっ、と結構派手な音がして、休み無く動き続けていた部屋の主の手が、漸く止まった。


 何処か遠くを見ていた部屋の主の目が、漸く近場のモノに焦点が合わせられる。彼は顔を上げ、其処で初めて少女の存在に気付いたようだった。


「……何だ、お前か」


「気付くのがおせーんだよ、ボケ。老害か?」


「口が悪い」


「こんなんフツーですわよお兄さまァ?」


 二人は兄妹のようだった。真面目な兄と、奔放な妹。血を分けた兄妹で有りながら性格も雰囲気も別次元のそれだが、こういう兄弟は意外と珍しくないものかもしれない。


 少なくとも、兄の方は妹の奔放な性格にも理不尽な暴力にも慣れているらしい。特に何かを言うまでも無く、確認の為に上げていた視線をストンと落とした。


「またサボりか、?」


「あ? 文句あんのか?」


 熱の無い声で男が言うと、少女は少し声を低くしてそれに答える。


 追及すると面倒臭くなると踏んだのか、或いは単純に其処まで興味が湧かなかったのか、男は軽く肩を竦めただけだった。


 それはそれで、少女は面白くなかったのかもしれない。何かを言われた訳でもないのに、弁解するように言葉を紡いだ。


「アタシがどう振る舞おうと、アイツらは見たいようにしか見ねぇんだろ。ハッ、なーにが"当代の聖女様は奔放な方"、だ。現実と願望の区別も付かねぇアホ共の為に時間を割いてやるなんざ、もったいねー」


「……そうだな」


「は? 何だよ今の言い方。文句あんのか?」


「別に」


 妹に、けれども兄は素っ気無い。尚も言葉を続けようとした彼女に対し、けれども今度は彼の方が機先を制した。


「征伐隊からの連絡は?」


「へ? ……ああ、あれか。いや、アタシが知るかよ。寧ろ何でアタシが知ってると思ったんだよ。アタシは只の広告塔だぞ?」


 思わずと言った調子で、妹はツッコミに回ってしまう。そうする事で毒気を抜かれたのか、その態度は少しだけ柔らかくなった。


「まー、兄貴が何にも聞いてないって事は、何の成果も無いって事だろ。"雷獅子"の方はともかく、ブルートはだからな。万が一裏切ろうとしても、それこそ"雷獅子"が喜ぶだけだろ」


「……ふん、そうか」


 使えない奴らだ。


 今までに比べると明らかに感情の籠もった声を小さく吐き捨てて、兄は再び口を閉じた。


 妹は黙ってそんな兄の頭頂を眺めていたが、やがて沈黙に堪えきれなくなったらしい。ポロリと溢すように溜め息を吐いた。


「大体なんで、そんなにアイツに拘るんだよ?」


「む?」


「そりゃあ、アイツは裏切者だよ。"真実"を知ってしまったかもしれない。でもアイツはただ一人で、力なんか無い。只の剣に火の付いた大群は止められないだろ。わざわざ急拵えの征伐隊を組織してまで追い掛ける意味なんて、全然無いと思うんだけどな?」


「そんな事は無い。今や奴は、大変価値のある研究対象だ」


 先程とは一変し、兄の声は少しだけ弾んでいた。楽しそう、と言うよりは興奮気味と言った方がピッタリで、妹は若干怯んだと言うか、及び腰になったような気配を見せる。


 そんな妹の様子には一切構わず、兄は顔を上げ、初めて妹の顔を真正面に捉えながら早口で語り始めたのだった。


「"ブラックボックス"は知ってるな? "コア01"と銘打たれた最後の旧文明の遺産ロストアークだ。旧文明の遺産ロストアークと言えば精錬法不明の"オリハルコン"製の武器や道具、文献のみに確認されている霊魂制御法ネクロマンスが知られているが、あれに関しては文献も残っていなければ用途ですらもハッキリしない。正真正銘、何なのか分からないブラックボックスだ」


「知ってる、知ってる。御先祖様の倉で埃被ってたアレでしょ」


 疲れたように、或いは呆れたように相槌を打つ妹。その表情は不意に意地悪なモノになり、彼女は毒で潤した声で言葉を続けた。


「対の"ホワイトボックス"は先代聖女サマに持ち逃げされて、用途がますます分からなくなったんだよな?」


「うん、その通りだ」


 尤も、その毒は兄に対して全く効果が無い。そもそも気付いていないらしく、兄は何事も無かったように話を続けた。


「”コア01”と”コア02”。ブラックボックスたる黒い立方体とホワイトボックスたる白い立方体。厳重に封印されていた事から察するに相当な危険物だったようだが、それは果たして如何なるものか? その形状から見て何かを中に封印しているのか? それとも”コア”という名称や先代聖女の例から、何かの”核”と見なすべきか? 具体的な事は何一つ分からないし、調べられる手段も皆目見当が付かなかった。ホワイトボックスが失われた事により、この二つが揃って作用するものなのか独立しているものなのか、それすらも分からなくなってしまった」


 アイツ、この話になると急に早口になるよな。あと目を逸らさなくなるよな。


 そんな陰口を叩かれそうな、何処か異様な様子である。


 講義じみた男の話に早くも飽きて来たのか、女の態度は既に投げやりになっていた。視線に逸らし、唇を曲げ、さながら講義を真面目に受けない学生である。


 流石に聞いていない事が分かったのだろう。男が纏う雰囲気は一気に不機嫌なものに変わってしまった。


「どうした。つまらないか?」


「オメーの話が話し方がつまんねーんだよ」


「ふん……!」


 高ぶった感情を吐き出すかのように、男は髪をグシャグシャと掻き回す。


「……で?」


 不機嫌というよりは呆れた様子でそれを眺めていた妹だったが、少し経ってから先を促すように口を開く。


 どうやら、男の癇癪が収まるのを待っていたらしい。


 気が合わない様子ながら、流石兄妹であるだけの事はあって、彼女は兄の扱い方には慣れている様子だった。


「結局その話がどう発展して、アイツを執拗に追い回す理由になんの?」


「……それを順を追って話そうとしたんだろうが」


 対して、男は未だ不機嫌だ。


 声を掛けて来た妹を肩越しにジロリと睨むと、文字通り嫌みったらしく吐き捨てる。


「どうして黙って人の話を聞く事が出来ないんだ?」


「Aを聞かれてBとかCとかの話を始めようとする方が悪いんだろ」


 妹が部屋に入って来た時とは立場が逆だ。それでも従来の性格が活きたのか、兄の方がそれ以上ヒートアップする事は無かった。


「奴が逃げ出した日、私の研究室が壊滅したのは覚えているな?」


「アイツが逃げ出す時に破壊工作していったんだろ。はは、ざまみろ」


「ふん」


 馬鹿にしたように、男は鼻を鳴らす。


 反抗的な妹の態度に苛立ったのかと思いきや、


「していない」


「……は?」


 そんな事は無い様子だった。


「奴は破壊工作などしていない。あの爆発は奴ののものだ」


「いや、待って、え……!? だって、アイツは、強化深度ステージも並程度の只の雑魚だったろ!? あんな阿保みたいな爆発……——」


「重要な研究対象、と言っただろう」


 漸く望んだ反応を引き出せただろうに、兄の反応は素っ気無い。


 片眼鏡モノクルをキラリと光らせて、兄は書類仕事に戻ったのだった。


「奴はブラックボックスに選ばれたのさ」



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