刹那の休息⑧

 ティセリアは何も言わない。何も言わないと言うか、硬直していると言った方が正しい事に気付いたのは、数拍置いてからの事である。軽く目を見張り、何か酷く驚いているようだ。特別な事を言ったつもりはないので、逆にシンの方が困惑してしまう。


「んー……」


 ややあって、ティセリアは漸く口を開いた。


「其処まで言われちゃ、しょーがない、かなー?」


 にまぁ、と口の端を緩ませて、けれど本人は努めて「何でもありませんよ?」というていを保とうとしている、そんな表情だった。はたから見れば喜んでいるのは丸分かりだが、それを指摘するのは憚られるので、シンは何か言う代わりにトーストの欠片を口の中に放り込む。


 大人達が盛り上がっているのを見て寂しくなったのだろうか。台拭きをしていた筈の双子がスルリと纏わり付いてくる。きっと真面目に仕事していたのだろう、二人共話の流れは分かっていない様子で、珍しいモノを見るようにティセリアの顔を見上げていた。それで漸く自身を顧みたティセリアは慌てて手の甲で口許を隠し、そんな彼女を見てプリッシラはケラケラと笑った。


「ほんと、信じられないわぁ。貴女って結構愉快な性格だったのね?」


「あれ、変だな。"愉快"って褒め言葉じゃないと思うんだけど?」


「褒めてるわよ。スッゴいベタ褒め」


 正直、シンもティセリアと同意見だ。"愉快"と言うのは褒め言葉ではないと思う。しかしやっぱりこの会話の波の中を上手く泳ぎ切れる自信はなかったので、丁度良い所にいたホタルの頬を軽くつまみ、クニクニと弄んで我関せずを気取ってみる。


「うぁー?」


 良く分かっていない様子ながらも、特に抵抗はしない現実逃避先ホタル。不覚にも緊張が解された感じがあって、シンは思わず彼女を構う手を増やし、両手でその顔を挟んでムニムニとマッサージしてやった。くすぐたかったのかホタルはケラケラと笑い、ヒナギクは後ろから、ギュッと背中の服を強く握って来る。


 出来ればそのまま、双子に集中していたかったのだが、


「そう言えば、ねぇ、シンちゃん?」


 プリッシラはそんなシンのささやかな願いを許してくれないのだった。


「"郷に入っては郷に従え"って言うでしょう? おもてに出る訳にはいかない貴方達はともかく、ティスにはその義務があると思うんだけど」


「あ、ちょっ、プリッシラ、その話は」


 何やらティセリアが慌て始めるが、プリッシラはお構い無しだ。視線でティセリアを見るように示してきて、シンは素直にそれに従った。シンには分からなかったが、ティセリアには分かっているのだろう。隠すように自らの胸元を腕で庇い、回転椅子をクルリと回して後ろを向いてしまう。


「どう思う?」


「?」


「服装よ、服装」


 Tシャツにジーンズというラフな格好に、エプロンを合わせただけ。長いプラチナブロンドがうなじの辺りで束ねられているのは、彼女の料理する時のいつものスタイルである。今はそれに加えて三角巾を被っているのは、プライベートな調理ではないからだろう。プリッシラの手伝いでひたすらキッチンに籠っているから、今は自然とそんな格好で居る事が多い。


 質素だが清潔で、キッチンを預かる者としては問題無い格好のように思える。


 何が問題なのか分からず、軽く首を傾げてみせると、プリッシラは実に楽しそうに言った。


「この子、此処の制服を着てくれないのよねぇ」


「制服?」


「そ、制服」


 つまり、プリッシラが着ているのと同じ服、という事だろうか。


 ワイシャツにスカーフタイ、細身のベストにスキニー、腰に巻くタイプのロングエプロン。プリッシラは骨格こそ男のそれだが、細身で手足が長く、全体的にスラリとしているので、そういった服装をしていると洒落て見える。


 ティセリアも、まぁ似合うのではないだろうか。部分的には大きく膨らんでいるとは言え、肩は華奢で腰は細い。メリハリの利いたその体型は、プリッシラとはまた別の方向で良く似合うような気がする。


 ……と、シンはそう思ったのだが。


「だって、私には絶対似合わないもん」


 どうやら、ティセリアの意見はまた違うようだった。


「プリッシラが着ると綺麗でも、私が着ると太って見えるし。あとワイシャツだから難易度高いし」


「何でワイシャツが難易度高いんだ?」


「ボタンが閉まらないし、無理に留めても、どっかのタイミングで弾け飛ぶから」


「……あー……」


 納得をそのまま声にしたシンの反応は、或いはとても間抜けだったかも知れない。


 頑なに振り返らないティセリアの声には何処か哀愁が漂っていて、それは恐らく実際に経験があるからだろう。男であるシンにとってはいまいちピンと来ないが、ティセリアからすれば嫌なものなのかも知れない。


 一度プリッシラの方に目を向けると、「あちゃー」と言わんばかりに目元を掌で覆っていた。シンがよりにもよってワイシャツの話に掘り下げたのは、悪手の部類だったらしい。


 いやいや、分かるか。


 そう言いたい所だったが、それは飽くまでシンにとっての話だし、今何より大事なのはシンに地雷を踏み抜かれて落ち込んでいるティセリアのフォローだろう。


「まぁ、そういう事なら無理に着る必要も無いんじゃないか」


 ティセリアと言うよりはプリッシラに向かってそう言って、シンはカップのコンソメスープに口を付ける。片手は未だホタルの頬を摘まんだままだったが、後ろのヒナギクの自己主張がいい加減激しくなって来たので、回転椅子を回転させて彼女の方に向き直り、膝の上に抱え上げる。


「俺自身はプリッシラが着ている服もお前には似合うと思うし、見てみたいとも思うけどな。嫌がるのを強制したいとも思わない」


「……」


 ちらり、とティセリアが此方を振り返った。何を考えているのかは分からなかったし、また考える余裕も無い。ヒナギクを羨ましがったホタルが無理矢理膝の上に乗って来ようとして、そちらに意識を向けなくてはならなかったからだ。


 ヒナギクがバランスを崩さして落ちないよう気を張りつつ、ホタルも支えて迎え入れる。敵の動きやそのは幾らでも読めるが、この小さな暴れん坊達は次の瞬間何をするか分からなくて気が抜けない。


「……シンは――」


「それに、その格好も俺は好きだぞ。ラフな分、本人の魅力が光ってる」


 ニコニコとご満悦な様子で、一先ず大人しくなった双子の様子を見てホッとする。あんまり暴れるなよ、と言い含めてから、シンは改めてティセリアの方に視線を向けた。


「すまん、何か言ったか?」


「ぅ、あ、ぅ……」


 珍しく言い淀むティセリア。此方の言葉に対して咄嗟に上手い返しが見つからなかったらしいが、まさか言い回しが分かりにくかったのだろうか。


「褒めたつもりなんだが」


「……ほ、ほーぉ?」


 ティセリアが身体の向きを少しだけ戻した。隣のシンに対して完全に背中を向けていたのを、回転椅子を少しだけ動かして、カウンターに向き直るような形になった。


「シンは自然な感じが好きな感じですか」


 どことなく不自然な感じがするのは相変わらずだったが、まぁ、少なくとも、悪い方に転がっている訳ではないようだ。


 少しホッとした。こういう時、気の利いた事を言える自信は全く無いので、不安だったのだ。


 安心すると気も大きくなって、特に考える事無く口を開いた。


「まぁな」


「……ぅ……?」


「なんて言うのかな。機能性重視ってのは、仕事に慣れてるプロって感じがして格好良いし」


「あぅ」


「その中で、さっきも言ったが本人の魅力が光るのがいいな。ふとした拍子に色気を感じる事があって、俺としてはグッと――」


「ぅあ、ストップ、ストップ」


 制止された。それも単なる制止ではなく、シンに向かって身を乗り出して来て、口元を人差し指を当ててくる徹底ぶりだった。


 思ってもみなかった行動だったので、思わず彼女の言う通りに口を噤む。そうでなくても唇を塞がれているので、声を出す事が出来ない。


 くくく、と押し殺すような声が聞こえた。視線だけ動かして其方を見ると、プリッシラが顔を背けて口元を抑え、必死に笑いを堪えようとしているのが見えた。


「……何でもかんでも、素直に言えばいいってもんじゃないんだなー?」


 ティセリアが口を開く。表情はいつも通りの笑顔だったが、声が少しばかりぎこちない気がする。怒っているのだろうか。


「もっとさ、時とか場合とかさ。あるでしょ?」


 ねぇ? と軽く首を傾げて、同意など求めてくる。


 褒める事に時と場合なんてあるのかと逆に聞き返したかったが、実際にそうする事は叶わなかった。理由は単純で、彼女の人差し指に口を閉じられて喋れなかったからだ。ついでに息も非常にし辛い。この状態はいつまで続くのだろうか。


「なのにこんな所で、しかもみんなの前で、大盤振る舞いしてくれちゃってさ。何なのかな? 本当に何なのかな!」


 ばし、と腕を叩かれる。笑うような、困ったような、そんな奇妙な表情だ。本人も叩くつもりは無かった様子で、叩いた後に本人も驚いたような顔をしていた。


「……あー、もう!」


 結局、ティセリアは自身の感情や驚いたような双子の視線に耐えられなかったようだ。迷いを振り切るように弾みを付けて椅子から立ち上がると、クルリと優美に踵を返してシン達に背を向けた。朝陽を編んだようなプラチナブロンドがキラキラと輝いて、シンは不覚にも目を奪われてしまった。


 我ながら単純だ。恐らく、プリッシラにはバレただろう。


「キッチンに戻るよ。此処に居ると、プリッシラに弱みを叩き売りする羽目になりそうだし」


「バカね。するに決まってるじゃない」


「冷やかすんでしょ」


「アンタ、アタシを何だと思ってるの。ところで、アンタ達今夜から同じ部屋にする?」


「ばか」


 ティセリアはキッチンへ戻って行った。


 後に残されたプリッシラはまた堪えるように笑っていて、シンは若干取り残されたような気分になる。双子は先程のプリッシラの発言の意味がよく分かっていないようで、キョトンとしている。プリッシラはそこまで織り込み済みで言ったのだろうが、シンとしてはあまり気分が良いものではなかった。この後、少し話をさせて貰った方がいいかも知れない。


「……ごめんごめん、そう睨まないで。あの子にもあんな人間らしい所があるんだって、つい嬉しくなっちゃって」


「……"人間らしい"?」


「そ。"人間らしい"」


 ティセリアはプリッシラの事を友人だと言った。そんなプリッシラが彼女の事を評する内容としては、些か穏やかでない言葉だ。


 そう思う反面、納得してしまう自分が居る事もまた事実だった。否定も肯定もせずに黙っていると、プリッシラは更に言葉を続けた。


「いつもニコニコ笑ってて、穏やかで、優しくて、親切で。誰に対しても何に対してもそうで、だから逆に。人間の形はしているけれど、付き合いが長くなければ長くなる程、”らしさ”を感じ取れなくなる。そういうの、貴方は感じた事無いかしら?」


「……想像は出来る」


「多分、その想像の先を行くわ。ニコニコ笑ってるあの笑顔は、一種の障壁でね。誰もその懐に踏み込めないの。さっき、あの子の”必殺シチュー”が店の売り上げに貢献するって言ったけど」


「ああ」


「あれ、理由としては半分だけ。もう半分は、あの子自身が目当てのお客さんのものよ。あの子、時々遊びに来るついでに店を手伝ってくれるんだけど、その間は度々お客さんに呼び出されたり、店の中で堂々と口説かれたりしてるわ」


「……」


「全員玉砕してるけどね。隙だらけのように見えて、絶対に境界線は越えさせないの」


「……むぅ」


 口には出さなかったが、それもまた想像出来た。実際、シンはその一例をこの目で見ているのだ。以前、シンは彼女の事を無防備過ぎるとなじったが、それは飽くまで、シンから見た場合の話に過ぎなかったのかも知れない。


 ……一度、詫びを入れておいた方が良いかも知れない。


「貴方と、双子ちゃんが初めてよ。あの子が当たり前のように自分の懐に迎え入れてるのはね」


 いい加減立ちっぱなしなのも疲れたのだろう。プリッシラはそれまでティセリアが座っていた場所に腰掛けた。頬杖を突き、此方を見るその目付きは、何処となく物憂げだ。


「あの子があんな風に事が出来るなんて、アタシ知らなかった……」


 シンが知っている事と言えば、戦いに関する事が少しだけだ。後の事は全然知らないし、分からない。


 今、分かった事が二つある。


 プリッシラはシンとは明らかに異なる存在であるが、感性はそんなに違う訳ではないと言う事。そしてそんなプリッシラは、今、とてもションボリしていると言う事だ。どうやら後者は双子にも分かっているらしく、困ったような顔をしてシンを見上げて来ていた。俺だって慰め方なんか分からんぞ、と言いたいのは山々だったが、流石に双子に任せる訳にもいかない。


 少し考えて、シンは考え考え口を開いた。


「”灯台下暗し”という言葉がある」


「は……?」


 キョトンした様子で、プリッシラがシンを見返してくる。少なくとも注意は此方に向いていると言う事で、シンはそのまま言葉を続けた。


「アンタは俺達がティスにとっての特別だと言ったが。俺達から見ると、アンタもアイツにとって十分特別だと思うぜ」


「……その心は?」


「さっきの会話だ」


 シンが知る限り、ティセリアが一方的にやり込められる相手なんて、プリッシラ以外には居ない。流れるように軽口の応酬を繰り広げる事も、ティセリアが子供っぽく唇を尖らせるのも見た事が無い。


 ティセリアはプリッシラを友達と言って、此処で数日過ごして尚、シンはその事に疑問を持たなかった。


 それがシンの根拠で、事実を物語る全てだろう。


「美人同士の友人なんて、映えるじゃないか」


 黙ってシンの話を聞いていたプリッシラに対して、シンはそう締め括った。


「客の中には、案外ティセリアだけじゃなくて二人を見に来ているヤツも居るんじゃないか」


 不意打ちを喰らったような顔で、プリッシラはシンの顔をマジマジと見詰めた。


 上手い事は言えないが、せめて言う事に責任は持つという気概を込めてその目を見詰め返すと、やがてプリッシラは、弾かれたように笑い出した。


「美人! 美人って! アンタ、こんな傷顔スカーフェイスのオカマ捕まえて何言ってんの!」


それに関しては、吃驚するヤツも吃驚しないヤツもいるだろうし、慣れるヤツも居るだろう。俺はもう慣れた」


「何でもかんでも素直に言ってしまえばいいってもんじゃないのよ?」


「す、すまん」


「……ボクたちはさいしょから、プリッシラはキレイだっておもってたよ?」


「あらまぁ、双子ちゃんは良い子ねぇ。今日新しいケーキを作る予定なんだけど、味見してくれる?」


「うん!」


 扱いの差が激し過ぎる。ケーキと聞いてテンションが上がった双子が膝から落ちてしまわないよう支えつつ苦笑していると、不意にプリッシラが言葉を続けた。


「まぁ、取り敢えずアナタ、今後はその喋り方で良いわよ。付け焼き刃の敬語なんかよりよっぽどマシだわ」


「……む」


 何時の間にか、敬語が抜けていた。バツが悪い気分になって首を縮めると、プリッシラはそんなシンを見て静かに笑った。


「ま、これからもよろしくね、シンちゃん。アナタがあの子の特別なら、アタシとも長い付き合いになるだろうし」


「それは、勿論」


 今の会話で、もしかしたらプリッシラはシンの何かを認めてくれたのかもしれない。ティセリアが友人と認め、双子があっさりと心を開いたプリッシラなら、シンとしても信頼出来る。


 双子が落ちないよう気を付けつつ、頭を下げる。


 ふと思い至ったのは、次の瞬間の事だった。


「……早速で悪いんだが、一つ提案がある」


「あら、なぁに?」


「ティセリアを客の前に出すのは、止めにしないか」


「……」


 プリッシラが、また一瞬黙る。


 次の瞬間、ケラケラと大笑いし始めたのも、先程と全く同じなのだった。


「当たり前よ! 今回はずっとキッチンに篭もって貰ってるわ!」


 アナタはアナタで結構可愛いわね、などと言ってプリッシラは笑い続け、シンは頬が熱くなるのを感じながらグッと押し黙る。そんな二人の顔を、双子が不思議そうな顔をして見比べる。


 シンが目が覚ましてから三日間。雷獅子と交戦してから十日間。


 いっそ怖いくらいの平穏が、緩やかに、穏やかに、流れていた。



 ○ ◎ ●

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る