刹那の休息⑦

「ティセリアは?」


「仕込みの最中」


 プリッシラが親指で示した先はキッチンで、成程、確かに其処からは美味そうな匂いが漂ってきている。耳を澄ますと、やや調子外れだが楽しそうな鼻唄が微かに聞こえてきた。


 ……中々、テンションが上がっているらしい。


「あの子の”必殺シチュー”は絶品だからね。売り上げも凄く伸びるのよ」


「ああ、まぁ、そりゃそうでしょう」


 彼女の作るシチューの美味さは、言われるまでもなく知っている。考えた事は無かったが、金が取れるレベルと言われても納得出来る。売り上げ云々はともかく、”凄く美味しい”という話をしているのは分かったのだろう。双子もしたり顔で頷いていた。


「しかし、”必殺シチュー”?」


「命名の事? ウチの常連さんの内の誰かが言い出して、何時の間にか定着したのよ。”必殺シチューあります”って、表に出しておいたらお客が殺到するわ」


「ほう」


 ヒナギクとホタルが不意に椅子から飛び降りて、カウンターの内側に入って行った。何をするのかと視線で追うと、彼女達はグラスを一つ取り出して、それに水を注いでいた。喉が渇いたのだろうか。そんな事を考えていると、彼女達は水をなみなみと注いだコップをシンの所まで運んで来て、目の前に置いた。給仕の真似をしてみたらしい。孟母三遷とは言うが、このくらいの子供には、環境の影響はやはり大きいのだろう。


「……ああ、すまんな」


「うん」


 ふんす、と鼻など鳴らしながら、双子はちょっぴり得意そうだった。そのまま元の席に戻るかと思いきや、シンの膝に手を掛けて、二人揃ってよじ登ってくる。


「こら、お前ら――」


 たじたじになりながら紡いだシンの抗議は、どすんと遠慮無しに背中を預けられる二重の衝撃によって遮られた。椅子の背もたれ宜しくシンの上体にもたれ掛かった二人は、そのまま顔を上げて、シンの顔を逆さまに見上げてくる。


 “兎と人参亭ラビット・アンド・キャロット”に来て以来、双子の行動パターンは少し変わった。具体的には、やや過剰なくらいに距離を詰めて来るようになって、少しだけ我儘になったのだ。


 "散々心配させられたから、その反動が来たんだろうね"と軽い調子で言ったのはティセリアだ。彼女曰く、自分達の気持ちの変化に戸惑っているのは双子も同じで、それがまた彼女達の大胆な行動に繋がっているのだと言う。


 "これくらいなら、大丈夫"?


 "これくらいでも、大丈夫"?


 自分達の行動に対するシンの反応を観察し、何処まで甘える事が許されるのか、何処までやったら怒られるのかを見極めているのだと。


「あー……」


 眠たげな半眼気味の金と紅。パチリと開いたアーモンド型の紅と銀。


 心の内を見透かそうと、真っ直ぐに見つめて来る二対の双眸オッドアイ、シンは咄嗟に目を逸らしてしまった。


 彼女達が悪い事、危険な事をしようとしたなら、一切引かずに嫌われ者になる覚悟がある。が、愛情の類を求めて歩み寄ってくるその視線に、どう対応すればいいのかシンには分からない。


 その結果、彼女達は自分達の行動を"問題無し"と判断したようだった。視線を下ろし、改めて背中を預け直して、二人はご満悦な様子だった。小さな内からあまりベタベタさせると将来的に良くないんじゃないかと思い、やっぱり止めさせようと口を開き掛けるが、


「二人は本当にが好きねぇ」


 まるでそれを見越していたかのように、プリッシラが口を挟んで来るのだった。 


「ティスにも結構懐いているけれど、貴方の傍だと完全に寛いじゃってるもの。ほら見て? ご満悦」


「……」


 見ろと言われても、シンには彼女達の二人の頭頂部しか見る事が出来ない。シンの視線には気付いているだろうに、今度は二人共、シンの顔を逆さまに見上げてくる事は無かった。ヒナギクは玉座に身を埋める女王そのものだし、ホタルはニコニコして掌を振っているプリッシラに対し、小さく手を振り返している。完全に我が物顔である。

 

「……我慢させてばかりですがね」


 カウンター席の椅子は高く、片膝に一人ずつ子供を乗せて支えるとなると、これが結構バランスが悪い。二人が落ちないよう、膝の筋力でカバーする必要があった。


「面倒見るからには、もっときっちり、ちゃんとするべきなんでしょうが。不甲斐無い事ばかりで」


「そーだそーだ。もっと言ってやれー」


 瞬間、さながら最初から会話に参加していたかのようなタイミングで、明後日の方向から返事が返ってきた。同時にバターの香りがフワリと鼻腔を擽り、コトリと皿ががカウンターに置かれる音がする。


 プリッシラから視線を外し、シンはカウンターの奥に目を遣った。


「心配性で-、悲観的でー、必要以上に気にしぃでー、それからそれから……」


「……おはよう」


「あ、うん。おはよう」


 ティセリアである。直前までズケズケと人のダメ出しをしていた事なんてまるで無かった様子で、ニコニコと挨拶を返して来た。


 住み慣れた場所を捨て、窮屈な潜伏生活を強いられても、彼女はまるで頓着していない。寧ろ、何処か楽しんですらいる様子だった。


「どうしたの、そんな暗い顔して。取り敢えず美味しいもの食べて元気出そ?」


 バターたっぷりのトーストは陽の光を浴びて黄金に輝き、カリカリに焼かれたベーコンやその上に乗せられた半熟の目玉焼は見るからに美味そうだ。付け合わせの野菜は色が鮮やかで美しく、その皿の横に添えられたコンソメスープは温かそうな湯気を立てている。


 シンが起きてくる時間を、予め見計らって居たのだろうか。


 いつも通りの、、シンの朝食だった。


「さぁ、どうぞ。召し上がれ」


「……」


 "何もしなくても美味い飯が出てくる"というこの状況は、人間を一人ダメにしてしまうには十分な劇毒だ。今は甘んじて受けるしかないにしても、絶対に慣れてはいけない。今は精々、店の雑用を手伝うくらいしか出来ないにしても、いつかは胸を張って飯を食えるような仕事を見付けてやる。


 心の中で密かにそう誓いながら、シンは両膝に双子を乗せたままカウンターに向き直り、目の前に置かれた朝食と向き合った。


「「「いただきます」」」


 手を合わせ、挨拶。声が三重に重なったのは、膝の上の双子が、シンと同じタイミングで双子が真似をしたからだ。


 雷獅子戦以降、シンの記憶に関しても少しだけ進展があった。自身の正体や過去に関しては相変わらず分からないままだが、嘗ての習慣やクセのようなものが、ふとした拍子に表に出て来るようになった。


 ”頂きます”という、食前の挨拶もその一つだ。この辺りでは馴染みの無い習慣らしく、それ故に物珍しいのか、近頃は双子やティセリアまでもが真似をしている。


 記憶喪失である筈のシンが周囲から真似されるというのは、考えてみると少し奇妙な話だった。


「どう?」


「どうって?」


「此処での生活、少しは慣れてきた?」


 ティセリアは相変わらず、食事中のシンに話し掛けるのが楽しいらしい。


 ザクリとトーストに齧り付き、香ばしい風味と共に咀嚼しながら、シンは掃除に戻ったプリッシラの方へ視線を遣る。双子も目敏く、プリッシラの様子に気が付いたようだ。彼女達はシンの膝から飛び降りると、プリッシラに手伝いを申し出ていた。


「……アイツらは、もう慣れてるみたいだな」


「プリッシラは子供好きだし、ヒトをやる気にさせるのが上手いから。多分、この中じゃ最短で慣れたんじゃないかな、あの子達」


 どうやら、何かミッションを与えられたようだ。ヒナギクとホタルはどことなく楽しそうな様子でクルリと踵を返すと、そのままカウンターの内側に駆け込み、ティセリアの後ろを通り抜けて厨房へと消えていった。


 溌剌としていて元気の良いホタル。無表情ながら、自然にその背後にぴったりとくっ付いてフォローしているヒナギク。きっと、あれが本来の二人の姿なのだろう。


「俺はただ、ダラダラと過ごしてるだけだからな。慣れるも何も無い。お前らが慣れたんならそれでいいさ」


「……そっか」


 どうやら、二人に下されたミッションはテーブル拭きだったようだ。


 濡れた布巾をそれぞれ一枚ずつ持って、彼女達は店内に戻って来る。二手に分かれてテーブルを拭き始めた彼女達からはもう目を逸らし、シンは再び食事へと戻る。


 ザクリと大きく齧り付いた一口と共に、小麦の香気とバターの芳醇な風味が広がった。


「……”必殺”トースト……」


「え。……ん? それ何で知ってるの?」


「プリッシラが教えてくれた」


「プリッシラー?」


「何よ、恥ずかしがる事無いでしょ」


 シンだったら狼狽えてしまいそうなティセリアの声を受けて、けれどプリッシラは平然としている。下手に触らなければ祟られる事も無いので、シンは黙って食事に集中する事にする。


「あの名前、大仰だから止めてって言ったのに」


「そんな事無いと無いと思うけど」


「だって必殺だよ、必殺。別に誰も仕留めないよ!」


「胃袋を仕留めてるのよ、胃袋を。別にいーじゃない、それくらい料理の腕を褒められてるのよ?」


「それはそうだけど……」


 どうやら仕込みは一区切り付いていたらしい。ティセリアは会話を続けつつカウンターから出て来て、シンの隣に腰掛ける。プリッシラはプリッシラで、ポケットから取り出したリモコンを操作して、備え付けのテレビの電源を入れていた。店の天井の角、店内の何処から見られるように設置されているそれは、プリッシラ曰く骨董品らしい。


『──による調査は今後も引き続き行われる予定です。王宮は依然としてネメアの森の封鎖を続けており……』


 点くや否や、気になる単語が幾つか聞こえた。


 ネメアの森。調査。封鎖。


 視線を巡らせると、小さな画面の中に、ネメアの森を上空から捉えたらしい景色が広がっているのが見えた。鬱蒼とした緑の中に、焦土の黒が広がっているのが見える。きっと雷獅子が派手に暴れた跡なのだろう。雷を操れる時点で人間離れしているが、まさか森の一部を焦土に変えられる程の火力が出せるとは思っていなかった。我ながら、良く生き残ったものである。


「や、でもやっぱり恥ずかしいよ。名前変えよ?」


「そう言われてもねぇ。お客さん達の間で定着しちゃってるから。別に良いじゃない、”必殺シチュー”?」


「うぅぅ」


「シンちゃんだってそう思うわよね?」


「え。俺?」


 完全に気配を消していたつもりだったので、声を掛けられて狼狽えてしまった。それがどうやら伝わったらしい。恥ずかしさに耐えかねたようにカウンターに突っ伏していたティセリアが、ジトリと半眼でシンを見上げて来る。


「もう、ちゃんと聞いてた?」


「聞いてた、聞いてた」


「大袈裟だよね? 必殺だなんて?」


 どうでもいい。


 別に変だとは思わないし、実際頬が落ちる程美味いのも事実だ。名前くらい、好きに言わせといてやればいいじゃないかと言うのが正直なトコロだ。


 とは言え、それをそのまま言葉にする勇気は無かった。ベーコンを咀嚼する傍ら素早く思考を巡らせて、返す言葉を必死に纏める。


「……別に、大袈裟ではないんじゃないか?」


 結局、上手く纏まらなかった。ちょっとショックを受けた様子のティセリアの顔を見て、シンは慌ててベーコンを飲み下し、フォローするべく言葉を続ける。


「実際、俺は胃袋を掴まれている訳だしな」


「え」


「そのくらい美味いんだ。良いじゃないか。"必殺"」


「……」

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