見知らぬ天井⑨
咄嗟にシンは司教を放り出し、同時に踵を返して、直ぐ後ろに立っていたティセリアを掻っ攫いながら、聖堂の奥に向かって跳んだ。
ズン、と鈍く重々しい足音。着地の衝撃に土の粉塵を巻き上げながら、巨大な何者かの気配が聖堂の戸口の前に立ったのは直後の事だ。
「大丈夫か!?」
「あ。うん」
いきなり手荒に抱き抱えられたにも関わらず、ティセリアは相変わらずマイペースを崩していないようだった。何処かボンヤリした返事を返してくる彼女にいっそ感心しつつ、シンは抱えていた彼女の身体を床の上に下ろしてやる。
「何だあいつは? どっから出て来た?」
「大きいね。上から降りてきたみたいだけど、ひょっとして屋根の上にでも居たのかな」
冷静に分析しているティセリアの声を聞きながら、シンは聖堂の入口に目を遣った。跳ね散らされた
「……下がってろ」
「え? でも」
「いいから、行け。ヒナギクとホタルが、間違ってもこっちに来ないよう見張っててくれ」
この騒ぎだ。もしかしたら双子にも聞こえているかもしれないし、その所為で不安になっているかもしれない。ティセリアなら二人の宥め役に適役だ。ついでにティセリア自身も安全な所へ避難させる事も出来る。
後は、シンがこの厄介な客共を通さなければ問題無い。
「……分かった。確かにシンなら大丈夫そうだしね」
双子の話が出ると、ティセリアも納得したようだった。少しの間、その場から動かなかったが、やがてシンの言葉に押されるように居住区に向かって後退りし始める。
「でも、無理だけはダメだよ。いざとなったら、逃げてもいいんだからね?」
「あいよ」
飽くまで聖堂の入口に目を向けたまま、シンはやや大きめに応えてみせる。それで少しは安心したのだろう。ティセリアの気配が段々と遠退いていき、やがて感じ取れなくなった。
(さて)
これで気掛かりは無くなった。狭いとばかりに聖堂の扉を引き千切り、重い足音を響かせながら聖堂の中に踏み込んできたそいつの巨体を
「……何喰ったらそんなにデカくなれるんだ?」
見上げんばかりの体躯は、二メートルを軽く越えているだろう。中でも膨れ上がった上半身は、その半分以上を占めている。しかもただ膨らんでいる訳ではない。そいつは腕や肩、腰や脚など、身体の至る所を鋼鉄で覆っていた。両肩から脊髄に伸びているコードに、関節や補強部分から顔を覗かせている棘のようなボルト。頭の上半分も覆う赤い光を放つ鉄製のゴーグルは彼から表情を奪っていて、人間味を感じさせない。異様に長く、太く発達した両腕は、最早完全に機械で出来ている。長さを余らせて床に拳を突いているその様は、ヒトと言うよりも大型の猿に近い。
「エイプマン! エイプマン!! 何をしている!? さっさと行け!!」
“
成程、確かに言い得て妙だ。
目の前のシルエットは、まさに機械仕掛けの類人猿そのものだ。
「ソイツを叩き殺せ!! 八つ裂きにしてしまえ!! この私を殺そうとした不信心者だぞ!?」
『……オ゛ー』
月明かりが照らす薄闇の中、ゴーグルの赤い光が緩慢に動く。
……それと、同時に。
その鈍い動作の裏で、鈍いとは言えない俊敏な動作で、鋼鉄の丸太のような腕が振り上げられるのをシンは見た。
「は──?」
轟音。
風を無理矢理引き千切る音と共に落ちてきた巨腕が、今の今までシンが居た場所を粉々に叩き割った。
さながら、目の前で小さな爆発が起こったかのようだ。仮にシンがその場から一歩後退らなかったら、本当に爆発に巻き込まれた死体のようになっていたかも知れない。
想像以上に速く、そして重い一撃だった。そして何より恐ろしいのが、腕の動きが身体の動きに連動していない事である。起こりが見え辛く、対処しにくい。
相手にとっては単に腕を振り回すだけでも、その質量と速さは、シンを問答無用で叩き潰すだろう。
『ル゛ーー!』
そんな事を考えている内に、更にもう一撃。
先の一撃を紙一重で躱したのが、却って災いしてしまった。エイプマンの腕の長さからすれば、シンの一歩分など誤差のようなものだ。彼が少し頑張って腕を伸ばせば、シンは再び彼の暴力圏内の中に納まってしまう。
「くそ……ッ!」
思い切り後方へ跳ぶしかなかった。土竜みたいに叩き潰されたくなかったら、エイプマンの腕でも届かない所まで逃げるしかない。明らかに上半身に比べて比率の小さい下半身から察するに、彼は動き回るよりもその場で止まって戦う事の方が得意な筈だ。とにかく彼の腕が届く範囲の外を逃げ回っていれば、少なくともやられる事は無い筈である。
……が。
『ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!』
ぶわっ、と。
動かないと思っていた巨体が、何の前触れも無く、宙を高く舞った。エイプマンが両足で地面を蹴り、跳躍して距離を詰めて来たのである。
「冗談だろ」
お前、跳べるのかよ。
空中のエイプマンが両の拳をガッチリ組み合わせるのを目の当たりにしながら、シンは思わず呟いた。それは現実逃避に近い思考の空白で、シンがそれから我に返った時には、エイプマンの巨大な拳鎚が、空を引き裂きながら振り下ろされている最中だった。
回避は、もう間に合わない。
(南無三……!!)
いきなり追い込まれて、やけっぱちになったのかもしれない。せめてもの意地で、何とか抵抗したかったのかもしれない。
唯一つだけ確かなのは、シンが次の瞬間に行った行動は、頭の中でグダグダと考えたものではない、と言う事だ。
『……防ぎきれない強撃には、此方も同じ強撃で対抗する事──』
地を蹴る。逃げる為に適当な方向へ跳躍するのではなく、僅かに前に出る事で位置を調整する。
『単純なパワーで劣るなら、相手の打撃にとっての“最高の環境”を崩せ。相手の不完全な一撃に、此方は最高の一撃を以て対抗しろ』
突き上げるように、或いは撃ち抜くように。ただ力を込めて思い切りやればいいというものじゃない。全身の筋肉を束ねて統括し、ある瞬間を以て一気にバネの如く弾けさせるのだ。
『ただ攻撃を当てるだけでは駄目だ。打つべき芯を見極めて、その中心を打ち抜く事』
目は閉じない。風圧もプレッシャーも全て呑み込んで、自らが狙うべき打点を一瞬で判断、凝視する。
目を逸らしてはならない。勝機は、活路は、全てこの一瞬の中に。
「──破ッ!!」
轟音。
靴底を真上に突き上げるようなシンの蹴り上げが、振り下ろされたエイプマンの拳鎚を真正面から迎え撃ったのは直後の事だった。
ぶつかり合った互いの一撃が衝撃を撒き散らし、ビリビリと大気を震わせる。自分の放った蹴りの衝撃、それからエイプマンの打ち下ろした拳鎚の衝撃がシンの身体を駆け抜けて行く。
一瞬である筈なのに永遠にも思えるような時間が過ぎ、そして──
『の゛オ゛!?』
シンの蹴りが、エイプマンの拳鎚を弾き返した。
勢いを殺し切れなかったらしく、エイプマンの巨体が空中で縦に一回転。受け身も取れず、重たげな音を立てながら頭から床へ叩き付けられる。勢い余って空中に跳び上がる形になっていたシンは、それに一拍分遅れる形で着地した。
「……ふぅ」
静寂。
ややあってからシンが溢した安堵の息は、思ったよりも大きくその場に響いた。
「──馬鹿な……」
司教の声が聞こえた。シンが其方に目を遣ると、開け放たれた扉に隠れるような位置取りで、阿呆のように口を開けて突っ立っている彼の姿が見えた。
「重量級のサイボーグの一撃だぞ……? 並みの人間が対抗出来る訳……いや、待て……!?」
彼はシンの顔を見て何やらブツブツと呟いていたが、やがてハッとしたような顔をする。
「……そうか、そうか! さては貴様、貴様も”ブーステッド”か……!?」
「ぶーす……?」
またもや知らない単語が飛び出して来て、そろそろウンザリしてしまった。記憶喪失になると、知らない事、知らない言葉、思い出すべきものが一挙に押し寄せてくるから困る。
当たり前な話だが、司教はシンの言葉に答えてはくれなかった。代わりに忌々しそうに舌打ちをすると、彼は床の上に仰向けに倒れたままだったエイプマンに怒声を飛ばした。
「この猿! 一体何時まで寝ているつもりだ!? さっさと起きて其処の身の程知らずを始末しないか!!」
『オ゛ー……』
今までピクリとも動かなかったエイプマンが、その言葉を受けてのそりと動き出す。長大な腕を床に付き、緩慢な動作で立ち上がる。確かに派手にコケていたが、元々彼は単に攻撃を弾かれただけだ。シンだって、これで終わりとは思ってはいない。
「……つっても、全然効いた様子が無いんじゃな……」
「ソイツは”ブーステッド”だ! 念入りに始末しろ!」
『ア゛ー』
答えるような声と共に、巨体が揺らめく。シンの背筋に悪寒が走った次の瞬間、再びエイプマンが巨腕を振り上げ、シンの脳天目掛けて振り下ろしてくる。
「!」
すかさず、シンはその場から一歩横に移動した。避けたシンの肩を掠め、巨腕が床を打ち砕くや否や、すかさずもう一つの巨腕がシンの頭上へ落ちて来る。慌てず、これもまた最初と同じ動きで回避する。
続いて一撃、二撃、もう一撃。前後左右に避けるシンを追い掛けるように、シンの前に、左右に、巨腕が落ちる。大きく跳ばず、全て紙一重で回避するシンの動きに躍起になっていくように、巨腕が落ちてくる間隙はどんどん狭く、小さくなっていく。その様は、初めは緩慢に、次第に苛烈に弾丸を吐き出していくタイプの重火器に似ていた。
轟音。轟音。轟音。轟音。
鉄塊が雨霰と降り注いで来る暴力の嵐。
拳圧に引き千切られた風が轟々と唸り、シンの髮や服の裾を煽る。周りの床や長椅子は瞬く間に粉砕されてしまい、今では風圧に翻弄される細かな破片となってしまっている。
それでも、エイプマンの一撃はシンの身体を捉えない。捉える事が、出来ない──
(これなら、行けるか……!?)
動く的を追い掛けるように攻撃した所で当たる訳が無い。“逃げる相手が、自分の攻撃が届く頃には何処に居るのか”。それを予測しない事には、攻撃は何時までも対象に当たらないままだろう。拳の弾幕を張るにしても、もっと無造作に、いっそ標的に的を絞らないで撃ち込まないと駄目だ。幾ら重かろうが圧倒的だろうが、自分の残像を追い掛けてくるだけの拳なんて、怖くも何ともない。
自身のスペックの確認も兼ねて、シンはひたすら相手の拳を避けていく。それはどうやってエイプマン無力化するのかを考える時間稼ぎも兼ねていた。あれだけデカくて、硬そうなのだ。シンが闇雲に殴り掛かって、有効なダメージが通るとも思えない。最初はエイプマンのスタミナ切れを狙おうかとも思ったが、その様子が全然見えなかったので止めた。代わりに降り注ぐ拳の合間を縫って前進し、ジリジリと距離を詰めていく。
「……」
実を言えば、スタミナ切れ作戦がダメになった時点で作戦は尽きていたのだ。だから距離を詰めたのも、別に考えがあった訳じゃない。
ただ、身体が動いた。こういう時にどうすればいいのか、身体が知っているかのように。
大振りな一撃を躱すついでに地を蹴って、最後の数歩分を一気に詰める。エイプマンの懐に潜り込み、彼がそれに反応するよりも早く、その下腹に腕を伸ばす。突進の勢いと共に力任せに殴り付けた――訳ではなく、拳で下腹辺りに触れた。ただそれだけだ。
「すぅ……――」
ああ、なんだろう。
記憶は残っていない筈なのに、この感覚をシンは覚えている。今の体勢からどのように力を操って、どのように骨や筋肉を連動させればいいのか、頭ではなく身体そのものが知っている。
力むのではない。脱力する。
衝撃を敵の固い装甲に叩き付けるのではなく、その向こう側、柔らかい内臓や脆い急所へ直接送り込む。そんなイメージだ。
「──ふ……ッ!!」
衝撃。不可視の一撃がエイプマンを貫いて、その巨体を強制的に「く」の字に折り曲げる。返って来た反動は予想以上に重かった。腕が痺れて使いものにならなくなるかと思ったが、それだけの甲斐はあった。崩れ落ちるように両膝を突き、必然的に下がってきたその頭部目掛けて、シンは即座に次の攻撃へ移っていた。
「羅ァッ!!」
その場で独楽のように一回転。遠心力で十分に勢いを付けて、エイプマンの顎に渾身の後ろ回し蹴りを見舞う。それは下がって来ていたエイプマンのこめかみを強打し、強引に横倒しにして這い蹲らせる。
『あ゙う゛……ッ!?』
轟音。
頭から地面に行ったエイプマンの悲鳴が聞こえたが、何しろ頭の半分は鉄で覆われてるし、タフそうだから、死ぬような事は無いだろう。
寧ろ、再び起き上がってくる方可能性の方が十分高い。
だからシンは此処で勝負を終わらせるべく、相手の戦意を折りに掛かる。
「……おいデカブツ。まだやるか?」
倒れ伏すエイプマン、その首に容赦無く靴底を落とし、シンはなるべくドスを利かせて言葉を紡ぐ。
「今までのは警告だ。これ以上やるなら、俺はもう容赦はしないぞ」
「何をやっている!? 何時まで寝てるんだ!? 起きろ! さっさと起きてソイツを殺せ!エイプマン! エイプマン!!」
脇から司教ががなり立てている。怒声と言うよりは悲鳴に近い声だったが、シンは無視してエイプマンの反応を注視する。
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