見知らぬ天井⑦
「──普通だったら、如何にも正義の味方っぽいセラフィムがベリアルを懲らしめて、目出度し目出度しで終わるんだけど。でもこの話は少し変わってて、最終的にセラフィムとベリアルは和解するの」
「あれ、そうなのか」
「あ。もしかして、予想外しちゃった?」
「まぁ、な」
悪戯っぽく笑われながら言われては、若干の悔しさも滲んでくる。が、ものの見事に予想を外してしまった訳だし、此処は正直に頷いておく事にした。
とは言え、それだけと言えばそれだけだ。予想と違っていたからと言って宗教に興味が出る訳でもないし、ティセリアの話にワクワクする訳でもない。
ただ、彼女がこの話が好きだという事だけはシンにも良く分かった。何となく、今の彼女は普段の二割り増しくらいで楽しそうに見えたからだ。
「メリア教の旧教典に記されている内容だから、一般的にはあんまり知られていないんだけどね。でも、私は結構好きだな」
「そうか」
掻き回していたシチューを匙で掬って、口元に運ぶ。ティセリアには悪いが、やはりシンにとっては宗教云々の話より此方の方が何倍も重要だ。
そんなシンに運も味方したらしい。不意に、聖堂の方で扉を叩く音が聞こえてきた。
どうやら来客のようだ。誰だか知らないがナイスタイミングである。
「お客さん? こんな時間に誰だろ?」
「俺が出るか?」
流石にこの時間に女が出るのは不用心だ。
そんな考えからの申し出は、けれどあっさり断られてしまった。
「大丈夫。だってシン、訪ねて来るような人居ないでしょう?」
「む」
それを言われると確かにそうだ。と言うか、ティセリアに悪気が無いのは分かるが、言葉だけ聞くと凄まじく高威力な指摘だった。早い所記憶を取り戻して、知人やら友人やら家族の存在を思い出そう、と内心で改めて思う。
その間に、ティセリアは席を立っていた。パタパタと軽やかな足音を残して、ダイニングから出て行ってしまう。
パタン、と扉が閉まる軽い音。
途端にやって来たのは、ダイニングに
「……」
「……」
「……」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
匙も皿も木で出来ているので、大した音も響かない。寧ろ沈黙をより一層強調しながら、ただ静かに食事の時間は流れていく。
当然と言うべきか、心穏やかに食事を楽しむという雰囲気ではなかった。
(……何だってんだ……?)
視線を感じる。
ティセリアと話している時は、まだそこまで気にしないで済んでいた。けれど彼女が居なくなって静かになると、それらは急激に威力を増してシンの横っ面に突き刺さって来る。
けれどシンがそっちを見返せば、途端に二人は視線を逸らしてしまうのだ。慌てたように俯いて、それまで止まっていた手をギクシャクと動かし始めるのである。
「……お前ら」
声を掛けると、彼女達の肩が大きく跳ねる。
何故だろう。その様を見ていると、シンは何だか無性に腹立たしい気持ちになっていくのを抑える事が出来なかった。
誓って言うが、シンには彼女達を怖がらせるつもりなんて微塵も無い。
なのに彼女達はいつもいつも、過剰なくらいに脅えてばかり。目が合えば即座に逃げるし、声を掛ければ身を竦ませる。そのくせシンの周辺をいつもチョロチョロしていて、放っておけば何時までもその場に残り続ける。
話したい事があるなら、話せばいいのに。それとも過去のシンは、彼女達にとってそんなに怖い存在だったのか。
「……言いたい事があるんなら、言ってくれないか。そんな風に見つめられても、お俺には前らの考えている事が分からないんだ」
「……」
「……」
返事は返ってこない。まぁ、予想はしていた。
敢えて言葉は重ねずに、シンは彼女達が口を開くのをジッと待つ。ただでさえ萎縮しているのに、下手に何か言えば更に縮こまってしまうのは目に見えている。
食事の手を止め、シンは二人が喋り出すまで彼女達の観察でもしている事にした。
(それにしてもコイツら、見事に対称だな……)
流石は双子と言うべきか、彼女達の容姿は殆ど同じと言って良かった。痛々しいくらいに真っ白な肌の色に、将来を期待させる整った顔立ち。触れれば簡単に折れてしまいそうな華奢な体格に、シンの目にはやや奇妙に映る衣服。
(……いや、衣服はわざと合わせてんのか)
ボタンの代わりに使われている紐や腰帯、それぞれ頭に巻き付けている飾り布。全体的にゆったりとしていて、何処か優美な印象を受けるその服は、シンやティスが着ているものとは明らかに文化が違う。恐らく、東洋のものだろう。シンには服の似合う似合わないなんて判別が付かないが、彼女達の場合は良く合っていると思う。
顔立ちも一緒。体格も一緒。着ているものも一緒。
これで“配色”までが同じだったら、誰にも彼女達の見分けは付かなかっただろう。
(……白と黒、か)
例えば、衣服。一人は白い服を着ているが、もう一人は黒い服を着ている。
例えば、髪。それぞれ肩に掛かるくらいの長さのそれは、白服の方が金色で、黒服の方が銀色だ。
シンの記憶が正しければ、確か白服を着た金髪がヒナギクで、黒服を着た銀髪がホタルだった筈だ。顔立ちが余りにもそっくりなので普通だったら見分けが付かなかっただろうが、髪の色さえ確認出来れば間違う事は無いだろう。
そして、目。この双子の最大の特徴として、左右の目の色が違う、というものがある。二人共、片方はまるで血のように紅い目なのだが、金髪白服は左目が金色、銀髪白服は右目が銀色なのである。
「あの……」
「ん?」
だんまりを決め込んでいた内の一人が、恐る恐る顔を上げたのはその時だった。銀髪と黒服。ホタルだ。
彼女に触発されたのかヒナギクも顔を上げ、シンは二人の視線を真っ向から受け止める形となった。
「その、えと……」
シンと目が合うと、ホタルは一瞬、怯んだように視線を逸らし掛けた。が、どうやら思い留まったらしい。何とか目を逸らない状態のまま、踏み留まる。
(へぇ……)
少し、感心した。やたら怖がる理由は今は置いとくとして、怖いものから逃げずに立ち向かうその姿勢は、シンは嫌いではない。
黙ったまま、シンは彼女が言葉を続けるのを待つ。やがて、言葉が纏まったのだろう。小さな声でおずおずとした調子だったが、ホタルはしっかりと言葉を紡いでみせた。
「……その、シンは、キオクソーシツってやつなんだよね?」
「ああ」
「ボクたちのことも、わすれちゃったの……?」
「……」
咄嗟に、言葉が出て来なかった。
生半可な気持ちで答えを返すには、ホタルの声は余りにも真剣で、切実な響きを含んでいたからだ。
“小さいからと言って誤魔化そうとしてはいけない──”
“目の前の生き物は、此方が思っているよりずっと賢い──”
脳裏に囁き掛けるものがあり、シンは素直にそれに従った。居住まいを正し、覚悟を決めて、ゆっくりと口を開く。
「すまん」
たった一言。短い謝罪。紡ぐ事が出来た言葉は、それが限界だった。
しかしそれでも、双子にとっては十分だったらしい。ホタルは表情をじわじわと落胆の色に染めていき、ヒナギクはうなだれるように視線を落とす。
「……そっか」
言葉尻を震えさせながらも、ホタルはその一言だけで終わらせようとしていた。
気を遣わせまいという配慮なのだろうが、しかし後が続かない。「何でもない」とでも続けようとしたのだろう。口をゆっくり開き掛け、けれど其処で、限界を迎えた。
「──ぁ……」
ぽろりと、その頬を涙が伝う。
ハッとしたようにそれを拭って、それが逆に彼女自身の感情を認識させてしまったらしい。ポカンとしていた表情がくしゃりと歪み、ホタルはそのまま、嗚咽を零すように泣き出した。
「っく……ぐすっ……うぅぅ……っ」
ヒナギクも、それに呼応するように肩を震わせ始める。
思わず目を背けたくなる光景だったが、自分が不平不満を言える立場に無い事くらいはシンにも理解出来ていた。
「……ティセリアの奴、遅いな」
口にしたのは適当な口実だ。立ち上がり、踵を返して、シンは泣きじゃくる二人に背を向ける。
逃げるのか、という頭の中の自身の声は、歯を食い縛る事で強引に噛み潰した。
だって、だって、俺が彼女達に何をしてやれる? 薄情にも彼女達の事を忘れてしまった、俺に。
「ちょっと、見てくる」
そそくさと部屋の外に出て、後ろ手で扉をそっと閉じる。双子の嗚咽は聞こえなくなったが、耳にはハッキリと残っていた。
「くそ……っ」
腹が立つ。何に対してなのかは全然分からないが、とにかく無性に腹が立つ。
シンが放った、言葉の結果。二人がみるみる失望の色に染まっていくその光景が、瞼の裏に灼き付いて離れない。分かっている筈だったのに、覚悟していた筈だったのに、シンは逃げ出した。逃げ出してしまった。
ガキは苦手だ。記憶を失くす以前はどうだったのかは知らないが、少なくとも今のシンはあの二人が苦手だ。脆い爆発物のような存在を、どのように相手にすればいいのか分からないから。
「……」
ぐすぐすと泣いている声は未だに続いている。扉が遮っている筈だから、きっと幻聴なのだろう。
例え幻聴でも聞いているのに耐えられなくて、シンは逃げるようにその場から歩き出したのだった。
○ ◎ ●
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