見知らぬ天井⑥
○ ◎ ●
怒られた。
怒鳴られた訳でも叩かれた訳でもないが、斧を取り上げられて何処かに隠されてしまい、ついでに向こう一週間は療養という名の謹慎処分を言い渡された。
笑顔で。
「……大した事無いのにな」
ダイニングテーブルに腰掛け、包帯を巻き直された腹を撫で擦りながら、シンは小さく呟いた。
時刻は午後七時を回ろうかという頃で、この修道院では丁度夕食の時間帯でもある。ティセリアはキッチンに立って手際よく働いているし、彼女には心を開いているらしい双子もそれを手伝って、ちょこまかと忙しそうに動き回っている。偉そうに座って待つしか無いシンとしては、非常に肩身が狭い思いなのだが、やる事が無いと言われれば黙ってそれに従う他は無い。と言うか、どうして双子が手伝うのは良くてシンが手伝うのはダメなのだろう。そんな事を思わないでもなかったが、少なくとも今はティセリアに反論や口答えの類をする気にはなれなかった。いつもと変わらない笑顔なのに、伝わってくる“圧”が半端ない。端的に言うとおっかない。
ティセリアに限らない、あの女性特有の凄みとは一体何なのだろう。師匠もそうだった。
いそいそとテーブルの上に皿を並べていく双子の片割れを眺めつつ、そんな思考を遊ばせていたシンだったが、何だかんだでいつも屈してしまう自身の情けなさも併せて思い出してしまい、思わず小さな溜息を吐く。
……と、
「ん?」
そこで違和感を覚えた。
師匠とは誰だ。自分には師匠が居るのだろうか。
少なくとも今の自分は、ティセリアと双子、それから昼間に話した翁くらいしか知り合いは居ないのに。
「……」
何とも気持ち悪い感覚だった。頭の中で、急速に離れていく“何か”を掴もうと躍起になり、シンの眉間には自然に皺が寄っていく。
が、ふと視界の外で何かが跳ねるのを気配で感じ取り、その思考は幾ばくもしない内に霧散してしまった。咄嗟に視線を其方に向ければ、皿を並べていた双子の一人がシンのすぐ隣にまで来ていて、脅えた表情のまま固まっていた。どうやら彼女はシンの前に皿を置こうとして、そこでシンの表情を見てしまったらしい。
「ああ、いや」
何ともバツ悪い気持ちに襲われ、シンは慌てて何か言い繕う言葉を探す。が、残念ながら気の利いた言葉は何も出て来なかった。
「……何でもない」
結局シンが出来た事と言えば、誤魔化す事くらいだった。双子が硬直して動かない事を良いことに、その小さな頭に手を伸ばしてワシワシと撫で回す。
思えば、双子がこんなに長時間、シンのすぐ近くに居る状況は初めてな気がする。彼女のサラサラした金髪はあっという間にグシャグシャに乱れ、シンの手の動きに合わせて彼女の頭も前後左右に揺れ動く。シンはそんなに力を入れたつもりは無かったが、彼女にとってはそうでもなかったらしい。やがて彼女の手から、持っていた皿がぽろりと落ちた。
「あ」
「……!!」
がしゃん、と派手に砕け散る音。咄嗟にシンは椅子を蹴立てて立ち上がり、双子の脇の下に手を突っ込んで抱き上げる。ついでにその場でクルリと反転し、自らの身体を壁にして、双子の片割れを飛び散る皿の破片から庇う。咄嗟の行動だったのであまり上策だったと言える自信は無いし、寧ろ思い付く限りの対応策の中では下策に近かった。普通に皿を掴み取れば良かっただろう、と自分自身に呆れながらも、シンは腕の中の双子に目を落とした。
「大丈夫か?」
双子の片割れは、何が起こったのかいまいち把握出来ていないようだった。シンの問い掛けに答える様子も無く、彼女はただただその身を硬直させてシンの顔を見返してきている。否、見返していると言うよりは、たまたまシンの方に顔を向けた状態で固まっている、と言った方が正しいだろう。
まぁ、これまでの事を考えれば、この状況はやや急過ぎる接近と言えなくもない。元々彼女達はシンの連れだったらしいとは言っても、少なくとも今のシンにその実感は無く、彼女達も遠巻きに観察してくるだけだったのだから。現にシンだって、今こうして接している双子の名前がヒナギクなのかホタルなのか、改めて考えないと分からない始末だ。
「……ヒナギク?」
シンがそっと呟いた名前は、反応が無い相手に改めて呼び掛けたと言うより、彼女の名前がどちらなのか考えていたのが口から漏れたと言う方が正しかった。要するに偶然だったのだが、その偶然は幸運に微笑まれていたものだったらしい。シンがその名前を口にした瞬間、双子――ヒナギクは、抜けていた魂が急に戻って来たかのようにビクリと身体を震わせた。初めてシンが直ぐ近くに居る事に気が付いたように、焦点が合った目でシンの顔をジッと見つめてくる。
パタパタと、キッチンから足音が聞こえて来たのは丁度その時の事だった。
「二人とも、大丈夫? 凄い音がしたけど」
ティセリアと、キッチンでその手伝いをしていたもう一人の双子の片割れ──ホタルだ。音からティセリアは大体の状況を把握をしている様子だったが、ホタルの方はそうでもないらしい。彼女は一応ティセリアの背後に隠れるような位置取りはしていたものの、気が気でない様子でティセリアの後ろから大きく身を乗り出し、シンとヒナギクの方を見ていた。
「……いや、すまん。皿割っちまった」
先ずは抱き抱えているヒナギクを下ろそうと考えたシンだったが、床の上には割れた皿の破片が散らばって居るのを思い出した。ヒナギクの身体を抱え直し、キッチンの入口に立っているティセリアとホタルの所へ運んでいく。いきなり抱え直されて驚いたのだろう。ヒナギクは一瞬の硬直の後、今までの逃げ回りっぷりが嘘のようにシンの服を掴んでしがみついて来た。
「そんなのどうでも良いってば。そんな事より、怪我は?」
「ん、ちょっと待て。ほら」
ティセリアとホタル……と言うよりは、ホタルの下に辿り着いたので、シンは抱えていたヒナギクを下ろそうとする。しがみつくのに必死だったのか、彼女は少しの間、シンから離れてくれなかった。やがてホタルがその服の裾を引っ張り、そこでヒナギクは漸くシンの服を離して床の上に降りる。
そのまま定位置であるホタルの隣に戻ろうとしたヒナギクだったが、それをシンは肩を掴んで引き留めた。
近くで皿の破片が飛び散ったのだ。どこか切ったりしているかもしれない。ヒナギクとホタルが着ている、色合いが違うだけでデザインは同じである衣服は、倭国の民族衣装である“キモノ”を現代風にアレンジしているモノだそうだ。袖などは大きいから、手を含めた上半身はわりと厳重に守られているが、反面足の露出範囲は大きいから、少し心配だった。子供らしいスタイルと言えばそうなのかも知れないが、袖は掌を覆って尚余るくらい大きいのに、下半身は丈が短いとは何だかチグハグな感じがする。どうせなら、長いか短いかのどっちかで統一すれば良いのに、と思うのはシンのセンスがおかしいのだろうか。
「何処か、怪我は?」
「……!」
訊いてみると、ヒナギクは慌てたようにプルプルと首を横に振った。ホタルはそんな彼女を少しの間暫く見つめた後、シンに視線をスライドさせてジッと見上げて来る。何だか責められているような気分になりつつも、シンはティセリアに視線を移した。
「大丈夫だ。怪我は無い」
「良かった」
ニコニコと笑いながらそう言いつつも、ティセリアはその場から動かなかった。手を伸ばして、丁度自身とホタルの間に滑り込むような形になったヒナギクの髪を指で梳くように撫でていたが、それ以上は特に動きを見せない。いつもの彼女なら、料理中は用事が済んだらテキパキと作業に戻りそうなものなのだが。
其処まで考えた所で、シンはふと、彼女の意図に気付けたような気がした。
「その、何だ。俺も、怪我は無い……?」
「うむ。よろしい」
確信は無かった上に何だか言い慣れなくて語尾が疑問系っぽくなってしまったが、それにも関わらずティセリアは楽しそうに笑った。
その後は皿の破片の片付けやら配膳やらがティセリアの指導の下進められ、程なくして夕餉の時間が始まった。
六人掛けの大きめなテーブル。双子はシンと席を一つ挟んだ席とその正面の席を占拠し、ティセリアはシンの正面に腰掛ける。
ティセリアと、それの真似をする双子の“お祈り”が済んで、それから漸く皆が食事にありつく。
「頂きます」
肉や野菜がゴロゴロ入った具沢山のシチュー、野菜のサラダ、少し固い黒パン。全体的に味わいが柔らかくてまろやかな気がするのは、恐らくティセリアの味付けの影響だろう。美味いし、怪我した身体の活力になっている感覚がある。一体どうやっているのだろうか。
「朝にも言ったけど」
「?」
千切った黒パンをシチューに浸して頬張っていると、不意にティセリアが口を開いた。
「シンってやっぱり倭国の人なんだね」
「どういう事だ?」
「その“頂きます”って言葉。何だろうって気になってたんだけど、倭国の食事前のお祈りみたいなものなんだって」
「へぇ」
「記憶に無い?」
「ああ」
口の中のものを呑み込んでしまってから、改めて「頂きます」と小さく呟いてみる。祈りの言葉だと言われてもピンと来ないし、この言葉に纏わる記憶も特に思い出せないが、口にしてみるとしっくり来て、なんだか言い慣れている感じがする。祈りと言うより挨拶みたいなものではないだろうかと、シンは内心でそんな事を考える。
こうして改めて自身を振り返ってみると、シンは確かに記憶を失くなってしまったが、無意識の中に記憶の残滓が結構残っているらしい。機械のメモリを消去したと言うより、紙に書いた文字を消しゴムで乱暴に消したような印象だ。
「誰かから聞いたのか?」
「うん。
「赤鼻?」
「ああ、えっと。ウチに良く訪ねて来るお爺さんが居るでしょう? 鼻が赤くて大きい……」
「ああ、あの爺さんか」
昼間に話した、あの翁の事だ。
直ぐに思い当たって、けれどその直後にシンは怪訝な顔をしてしまった。
「……赤鼻?」
「うん。鼻が赤くて大きいから、赤鼻。そう呼んでくれって。実は私も、あの人の本名を知らないんだ」
「はは。なんだそりゃ」
言いながらも、シンの脳裏には彼の人懐っこそうな笑顔が浮かんでいた。飽くまでも想像だが、確かにあの爺さんならそんな事を言いそうな気がする。
倭国の風習に詳しかったり、シンの身体に眠っていた戦いの記憶を指摘したり。
一体何者なのだろう。まだ出会って間も無いとは言え、シンはあの翁の事を何も知らない。
「あの爺さん、近くの街から来てるんだよな」
「うん。デルダンの
「ふぅん……」
王国フレイガルドの首都デルダンは幾つかの区画に分けられており、
デルダンは嘗て農業を中心として発展し、その後恵まれた資源を武器に工業都市として栄えた歴史を持つ。今でこそ街の経済の中心は海辺の工業区画に移り、王宮や街並みも時代に合わせて大規模な変化を遂げたが、元々は今の農業区画こそがデルダンという街の中心であったらしい。
……なんて、これらも全部、ティセリアから教わった知識であるが。
「皆、信心深いんだな。一体何の神を信仰してるんだ、此処は?」
「創世記に出て来るベリアルとセラフィムだよ。だから一応、此処はメリア教の修道院って事になるのかな。でも、あの人達は別に神様なんて信じてないし、宗教に興味なんて持ってないと思う」
「……あー……」
ベリアル。 セラフィム。
当然ながら、全く聞き覚えの無い単語だ。元から宗教には全く興味なんか無いのだから、気紛れで踏み込むような話題ではなかったのだろう。
「簡単に説明するとね」
シンの様子に気が付いたのだろう。ティセリアはが直ぐに言葉を付け足してくれた。
「ベリアルは黒い破壊の神で、セラフィムは白い創世の神。まだこの世界が出来たばかりの頃、この二柱の神はその支配権を巡って、戦ったんだって」
「ほぉ」
何だか、オチの読める展開だ。
きっと、如何にも正義の味方っぽい
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