見知らぬ天井②
何も分からない。何も思い出せない。
こういう状態を指し示す言葉を、自分は一つだけ知っている。が、それが今まさに自分の身に降りかかってきているだなんて、認める事が出来なかった。
「初対面、だよな?」
「……」
「俺とアンタは初対面……で、合ってるよな?」
「……その様子だと覚えてるって訳でもなさそうだな?」
「何だって?」
「んー、こっちの話」
ほんの数秒間。彼女の顔から柔らかい微笑が消えて、妙な空気が場を支配する。悲しそうと言うよりか、何処か落胆しているように見えた。
「……えっと、じゃあ改めて自己紹介するね。私はティセリア。ティセリア・クラウン。みんなからはティスって呼ばれてる」
とは言え、それもほんの数秒の事でしかない。
自らの胸に手を当てて自己紹介する彼女は、既に先程と同じ様子に戻っていた。
「ティセリア」
「ティスでいいよ?」
「ティス」
「うん、いい感じ」
ただ愛称で呼んだだけなのに、彼女──ティセリアは嬉しそうな様子だった。何しろ相手は極上の美人だったし、そんな彼女が手放しで喜んでいるのを見ると、何だか此方は気恥ずかしい気分になってくる。
何なんだろう、この反応。どういう態度を取ればいいのか分からない。
「それで、貴方は?」
「え……?」
奇襲が来たのは、正にその直後の事だった。
「名前は? 私は貴方をどう呼べばいい?」
「……あー……」
それはそうだ。何しろ初対面の相手に名乗られたのだから、次は自分が名前を尋ねられる事になるだろう。考えてみれば、否、考えてみなくとも、自然な流れである。ただちょっと、此方に問題があるだけで。
(名前。なまえ。ナマエ……──)
「……?」
何とも言えない沈黙と共に、時間だけが過ぎ去っていく。ティセリアの笑顔も、次第に怪訝なものになっていった。
「あー……」
きっと、此方は相当に余裕の無い表情をしていたのだろう。少し時間が経った後、遂にティセリアが口を開いた。
「どうしたの?」
「思い出せない」
「え?」
腹を括って口に出してしまえば、意外とあっさり言い切ってしまえた。
目をパチクリさせているティセリアに向かって、もう一度、はっきりした口調で繰り返す。
「思い出せないんだ」
「それは、えっと……」
流石にこれは予想していなかったらしい。ティセリアは明らかに困った様子で、此方に掛けるべき言葉を探している。その間にも此方は記憶の引き出しをこじ開けようと躍起になっていたものの、それは恐ろしく頑丈で、ビクともしなかった。
此処は何処なのか。どういった経緯で此処に居るのか。
分からない事は山積みだが、それ以前に解決せねばならない問題がもう一つある。
「俺は……誰だ?」
記憶喪失。
どうやら自分は、そういう状態に陥ってしまっているらしかった。
○ ◎ ●
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