第44話 先客
交通事故を起こしたことが原因で三ヶ月ほど前にバス会社をクビになった文紀は、個人タクシーの運転手へと転向した。運転する車は大型から小型に変化するが、二種免許は無駄にならないと思って、その仕事を選んだ。
事故をした日に走っていた道に差し掛かった。
背筋がぞくぞくした。嫌な思い出がよみがえってきたせいか、額に油っぽい汗が滲み出してきた。ウインドウに飛び散った血の色が脳裏を過ぎると、頭が鈍く痛み出した。
そう言えば、と文紀は思った。
あの日、事故を起こす寸前にも、こんな感覚を感じていた気がする。
首筋にすうっと風を感じた。生暖かい空気が襟足をなぜ、鳥肌が立った。
あの日と同じだ。体が重くなってきて、ハンドルを握る手がしびれる。
赤い文字で「交通事故多発地域」と書かれた警告板の横を通り過ぎると、また一段と体の不調は悪化した。
単なる体調不良と言うよりも疲労感に近い感覚だった。たとえるなら、酷いクレーマーの相手をした後みたいな、気分の悪さと体の重さだ。誰もいないはずの後部座席から殺気立ったプレッシャーを感じる。
三十メートルほど先で、手を上げている女の姿がヘッドライトに照らされた。
あと一人だけ乗せたら仕事を切り上げて家に帰ろうと心に決めつつ、文紀は車を路肩へ寄せ、女の前で止めた。
開閉ボタンを操作し、後部ドアを開く。
ドアが開いても女は乗ってこなかった。振り返って見ると、戸惑うような表情を浮かべていた。タクシーに乗ったことがないのだろうかと、文紀は首をかしげた。
「どうぞ、乗ってください」
文紀が声をかけると、女は困惑した顔をした。
「えっと、でも、あの……」
「もしかして、近場までですか?」
女は何も答えない。
「かまいませんよ。ワンメーターでも遠慮なさらず乗ってください」
「いえ、そうじゃなくて」
「もしかして、その逆ですか。あんまり遠距離だとキツイかも知れません。体が冷えたのか、少し調子が悪くて。どこまでですか?」
「そうじゃなくて、その人は……?」
女は後部座席を指差した。もちろん、そこには誰もいない。
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