第33話 桜の湯
照久はよく桜の湯と言う銭湯に行く。子どものころから町にあった銭湯だから、造りが古臭く、浴室の壁や床のタイルはすっかり色あせている。だが、そんな古さを気に入って、照久は桜の湯が好きだった。
照久と同じように落ち着いた雰囲気を好んで桜の湯に来る客は多い。そのため古い銭湯にしてはめずらしく、桜の湯はいつも混んでいた。だが、四時過ぎから六時までの間は客足がぱったりと途絶える。
照久はその時間が穴場だと思って銭湯に通っていた。
その時間にはいつも決まって同じ客が着ていた。引き締まった体つきをした男で、四時から六時の間に桜の湯に行くと、彼はいつも先に来てサウナに入っていた。
最初のうちはただの客だと思っていた。サウナに入って隣り合っても、男は何も言わず、サウナに取り付けられたテレビを見ていた。他の入浴客にからんでくるような悪質な客ではなかった。だが、照久は奇妙なことに気づいた。
照久が四時から六時のどの時間に桜の湯に行っても、男はサウナにいるのだ。照久が浴室に入るとすでにサウナにいて、照久が浴室を出るまでずっとサウナに入っている。ゆうに三十分はある。いくらサウナが好きでも長すぎる。
あるとき、四時を過ぎた直後に照久は桜の湯に行った。服を脱いで浴室に行くと、サウナには男の影があった。照久は長風呂をしながら男の様子を観察した。
男はサウナでじっと座っていた。
のぼせそうなった照久が風呂を上がっても、男はサウナを出てこなかった。
照久は脱衣所でコーヒー牛乳を飲みながら、ときどき浴室をのぞいた。
男はずっとサウナに入っていたが、六時を過ぎたころ、急にいなくなった。
どうやら他の客はあの男を避けるために四時から六時には銭湯に来ないようだと、照久は納得した。だが、照久はむしろその時間に銭湯に通いつめるようになった。男を不気味に思う一方で、好奇心も抱いていた。
そして、照久は気づいた。男がサウナにいる時間帯、サウナに取り付けられたテレビでは大相撲中継が放送されているのだ。
もしかすると男は相撲を見ているのかも知れない。照久は番頭に頼んでテレビのチャンネルを変えてもらった。すると、男はすぐにいなくなった。再びチャンネルを戻して待っていると、男はいつしか元の位置に戻っていた。
「ごめんよ。チャンネルを変えて」
照久が謝ると男はうっすらと笑みを浮かべ、首を横に振った。
それからも、男は四時過ぎになるとサウナに現れた。幕内力士が土俵入りする所から、最後の取り組みが終わるまで相撲を見て、満足そうに肯いてから姿を消すのである。
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