第8話 一粒だけ

 良夫の父は早くに亡くなった。

 母は商店街の一角で和菓子屋を営み、女手一つで店を切り盛りしていた。

 その和菓子屋は大福や草餅や串団子など、ごく庶民的な菓子を売っていた。一つ百円そこそこの菓子だから、売って得られる利益はわずかだ。それでも、母は菓子を作り続け、良夫と妹と弟の三人を立派に育て上げ、大学にまで行かせてくれた。

「母ちゃん、いままでありがとう。本当に感謝してるよ」

 大学の卒上証書を見せて、良夫が母に気持ちを伝えると、母は首を横に振った。

「お地蔵様がずっと助けてくれていたんだよ。お礼ならお地蔵様に言いなさい」

 お地蔵様というのは、菓子屋の隣にひっそりと立てられた小さな社に奉られた石仏のことだ。鳥かごのような社の中に、湯のみくらいの石像が置かれている。

 良夫はこのお地蔵様が苦手だった。

 普通のお地蔵様はたいていにこやかな表情をしているだろう。だが、社の中のお地蔵様は大きな目をぎろりと見開いていて、口は微笑むと言うよりも、口元を吊り上げて残忍な表情をしているように見えるのだ。

 しかし、母はこの地蔵を大切にしていた。毎日欠かさず社を掃除し、団子を供えていた。

「ほら、お地蔵様がお食べになったのよ」と、カラスか野良猫にでも盗み食いされて、団子が一つ欠けた串団子を持ってきては、嬉しそうに目を細めた。

 そんな母も年をとり、病気がちになった。

 それまで週休一日で頑張っていた菓子屋も、休業する日が増えた。母の体調が優れない日が続くと、三日くらい続けて店を閉める日もあった。

 良夫は思い切って、菓子屋をたたむよう母に迫った。

 初めのうちは母は店を続けると言って譲らなかった。だが、良夫がその土地を守っていくことを宣言すると、しぶしぶながら、店を閉める決意をしてくれた。

 とは言え、さすがに今のご時勢に団子を売っても生活していけないであろうことは明らかだった。

 ちょうどその頃、世間ではB級グルメが流行していた。

 良夫はそのブームに便乗することにした。

 内装や看板を取り変え、お好み焼き、たこ焼き、焼きそばなど、粉物を売る店を開いた。

 売れ行きは順調だった。全国のB級グルメを研究して作った料理は、うまく流行に乗り、評判になった。ところが、困った問題が起きた。

 毎日クレームが入るようになったのだ。

 内容はいつも決まっていた。九個入りのたこ焼きを買ったのに、家に帰って食べようとしたら、八個しか入っていなかったと言うのだ。

 鉄板は一列に十個の穴があり、良夫はその手前の九個だけを使ってたこ焼きを焼いている。焼き上がれば、一列分をトレーに乗せるだけだ。だから間違えるはずがない。トレーからこぼれ落ちたのかと床を調べてみたが、その気配はなかった。

 クレームの主はいつも違う人だったので、いたずらの可能性は低そうだった。けれど、毎日必ず、一件だけそのクレームが入る。

 良夫はお地蔵様のことを思い出した。

 お地蔵様が団子を食べると母は言っていた。もしかすると、消えたたこ焼きはお地蔵様が食べてしまったのかも知れない。

 馬鹿げた考えだと思いながらも、その考えを否定しきれず、良夫はお地蔵様の前にたこ焼きを供えてみた。すると、その日はクレームが入らなかった。変わりに、供えたトレーから、たこ焼きが一粒だけ消えていた。

 その翌日も、翌々日も、供えたトレーから一粒だけたこ焼きが消えた。

 カラスや野良猫が盗んでいるとは思いがたかった。店から顔を出し、供えてあるトレーずっと見張っていても、いつの間にか一粒だけたこ焼きが無くなっていた。

 気味が悪くてたまらなかった。だが、たこ焼きを供えるようになってから、良夫の店はいっそう繁盛した。

 そんなある日、店の前で交通事故があった。

 自転車に乗っていた子どもが、大型トラックにひかれたのだ。

 体をタイヤに巻き込まれ、子どもはほぼ即死だった。地面に大きな血溜まりができ、子どもの手足は無残に折れ曲がり、肉の間から骨がのぞいていた。地面にこすり付けられた顔は潰れた粘土細工のように変形し、鼻と頬がえぐれていた。

 その夜、シャッターを下ろして店じまいをしていた良夫は、横目にお地蔵様を見て、トレーのたこ焼きが減っていないことに気づいた。

 たこ焼きは朝に供えた状態のまま、冷えて固くなっていた。何度数えても、トレーには九個のたこ焼きが乗っていた。

 このときは不思議に思っただけだったが、後に良夫は恐ろしいことを知った。

 聞き取りのためにたずねてきた警察によると、事故の衝撃で、子どもの顔から目玉が飛び出していたのだという。そして、事故現場をどんなに調べても、眼球は一つしか見つからなかったのだそうだ。右目から伸び出た視神経の束の先は、まるで食いちぎられたかのように鈍く切断されていたらしい。

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