第26話 どーせバカですよー
学は再び意識を取り戻した。すると、何だか体全体、隅々まであまり感じたことのない感覚に捕らわれている事に気付いた。
この浮遊感は……。
目を開く。すると視界がピンク色に包まれていた。手を動かしてみると大きな抵抗を感じる。
学はピンク色の液体の中にいるようだった。それに気づいた瞬間、呼吸がやばいと一瞬もがいたが、何故か平気だった。肺の中には液体が満たされているはずなのに苦しくない。
『目が覚めた?』
するとソルトらしき声が聞こえてきた。
見ると学は液体で満たされた縦長のカプセルの中に入っているようだった。
そのカプセルの外を見る。するとそこは何だか格納庫のような場所で、床には数人の小人が立っていた。そのうちの一人はソルトだ。
自身の体を見ると学は何も着ておらず全裸のようだった。思わず学は自身の手で股間を隠した。それと同時に気付いたのだが、学の傷はすっかり治ってしまっているようだった。
骨折した足も、穴の開いた腹も、強打した頭も全部元通りだ。どこにも痛みは感じない。どうやら学の入っているこのカプセルこそが体を回復させる装置のようだった。
学はソルトの言葉に返事をしようとしたが、声が声にならなかった。水中にいるからだろう。
『待ってて、今養液抜くから』
ソルトの言葉に隣にいた小人が何かカプセルの前にある機械の操作を始めた。
すると、カプセルの下から大量の気泡が出てきた。これは水が抜かれていっているのか。
そして、頭まで水が抜かれた時、学は息が出来なくなった。いきなり溺れていたような感覚に襲われたのだ。
「う、おえええええ!」
胃からではなく、肺から水を吐き出した。
「ごほっ! ごほっ!」
続いてとめどなく出てくる咳。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
無茶苦茶苦しかったが、なんとか普通に息をする事が出来るようになった。
すると次に、学を囲っていたカプセルのガラスが下にスライドを始めた。完全に下まで下がりガラスが見えなくなると、ソルトが再び声を掛けてきた。
「どうかな調子は」
「あ、あぁ……すごいな。体がぐちゃぐちゃになってたはずだけど、すっかり治ってる」
「そう、よかった。痛いところとかはないんだね?」
「いや、ちょっと待て……これは……」
「え……」
「眼が……視力が回復してる……」
学はメガネが必須となっていたのに、今は何も掛けずに視野がはっきりしている。
「あぁ、それに浸かるとそういうのも治っちゃうから」
「へぇ……」
学が左右を見渡すと、そこには学が入っていたのと同じカプセルが横にも並んでいるようだった。そして隣のカプセルの中には砂音の体が入っていた。学と同じ全裸の姿でだ。
「ちょっと学~、あんまりジロジロ見ちゃ駄目だよ」
「あ、ご、ごめん」
学は砂音の体から目を反らしてソルトに目を向けた。ソルトは砂音の体を見られて恥ずかしい、なんて感覚はあるのだろうか。
「砂音の体も大丈夫なのか?」
「あぁ、うん。まだ少し調整に時間が掛かりそうだけどね」
「そうか……」
「タオルと服、そこにあるから」
ソルトが示した先を見ると、台車の上にタオルと衣服が置かれているようだった。
「じゃ、私は外で待ってるよ」
そう言ってソルトは部屋を退出する。とは言っても、研究員らしき白衣の人物たちはその場に残るようだった。学の知らない言語で会話している。言葉は通じないのかもしれない。
学はカプセルの台から降りると、自身の服に手を伸ばした。
その服は崖から落ちた時についた汚れや血なんかも除去されて綺麗にクリーニングされているようだった。腹に開いた穴も塞がっている。
白衣の小人は学に何か指示をしていた。どうやら部屋から出ろと言っているらしい。
服に着替えて扉の前に立つと、扉が横に開いた。その先には通路が続いていた。
「着替え終わった?」
学が下を見るとソルトがそこにはいた。屋根のない四輪車に乗っている。
「あぁ」
「じゃあこっちに来て」
砂音の乗る車は人の歩行ペースほどの速度で走りだした。学はとりあえずその姿を追う。
「あ、あのさ」
車に乗って走るソルトに学は声を掛けた。
「ん……?」
「その……ありがとう。助けてくれて」
「ううん、そんなの気にしないで」
二人はそのまま通路を進み、突き当りの扉へとたどり着いた。
するとその扉は自動でゆっくりと左右に開き始めた。
その瞬間、学はまぶしい太陽の光を感じた。
「こ、ここは……」
学はその先に広がる光景に驚いた。
「す、すごい……」
その空間の広さは学校の校庭ほどだろうか、ドーム状のその空間の中にはコンクリート造のように見える多くの建築物が立ち並んでいた。その高さは小人からすれば高層であろう学の身長を越える建物も点在している。その隙間には人間が通れそうな広い道路や小人しか通れそうにない細い道路までが張り巡らされていた。
よく見るとその建物の窓や影には小人がいて、学の方を見ていた。
「こんな街が作られていたなんて……」
どれくらいの人口なのだろうか。建物の数からしても数千人はいるように思える。
そういえば、ここは天井がある屋内だというのに妙に明るい。
天井を見上げると、中央に丸いボールのような物が強い光を放っていた。電球? いや、あれは人工的に作られた太陽ということか。
「こんな街、いつからここにあるんだ……?」
「私達カイゼム人がこの地球にやってきてから二百年程度らしいよ。もちろん私はその当時に事なんて知らないけど」
「そんな前から……」
二百年も前からこの土地に住んでいる宇宙人。それはもはや宇宙人と言えるのだろうか。砂音の何代も前から地球で生まれ地球で育っているということになるのではないか。カイゼム人の寿命がどの程度なのかは分からないが。
「ここからまっすぐ街を横断して反対側に行こ。その先にある道から帰ることが出来るから」
「帰ることが出来るって……俺をこのまま帰すつもりなのか?」
「うん」
「……」
学達はそのまま街を縦に横断した。多くの小人達が学、そしてソルトへと目を向ける。
その目を見て学は思った。この街で学に味方してくれているのはソルトだけなのではないだろうか。学はあまり歓迎されていないようだった。
「なぁソルト。いいのかそんな事して」
「え……?」
「俺はあまりここの住民に歓迎されてないように見えるけど」
「……それは、みんなは学の事よく知らないから」
「いや、俺はお前を拉致して教授に引き渡そうとしたんだから、実際敵みたいなもんだろ」
「それは……そうだけど……」
「ソルト、お前はこの国の姫なんだろ? かなり偉いんだよな。だから無理に意見を通して、個人的な判断で俺をそのまま帰そうとしてるんじゃないのか。国民の意思に反して」
小人を殲滅しようとしていた学がこんな発言をするのはおかしいかもしれないがソルトはこれでいいのだろうか。
「言ってたよなお前、人の記憶を消せるって。俺を殺さないまでも、記憶を消して帰す事は出来るんじゃないのか」
するとソルトはしばらくの沈黙のあと学へと目を向けて言った。
「……私ね、本当はもっと前からこの事、学に知ってほしかったんだ。そしてそれを受け入れてほしかった。でもこんな事になるまでそれが出来なくて……それは学を本気で信じていれば出来ることだったのに……」
学はその瞬間、以前砂音と山を登ったときの事を思い出した。砂音は崖から滑落する手前何かを言い出そうとしていたようだった。もしかしたらその時に言おうとしていたのではないだろうか。
「……だから私は今度こそ学を信じたいんだ」
……しかし、そんなの無茶な話である。
「信じたいって……なんだよそれ」
「え……?」
「一体どんな根拠があって俺を信じることが出来る。俺の記憶を残して帰してもお前達に不利益しかないんじゃないのか」
するとソルトは少し微笑んで「ううん」と首を横に振った。
「私はそんな事ないと思うよ。相手を疑っていたら、きっとその先にあるものには届かないと思うから」
「その先にあるもの……?」
砂音が何を言っているのか学にはいまいちよく分からなかった。
「私は人を信じる力を信じてる……いや、違うかな。本当はただ単純に学を信じたいだけなのかも」
「ふん……お前はバカな奴だな。宇宙人のくせに」
学の呆れるような言葉にソルトは舌を出した。
「どーせバカですよー」
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