第22話 牧師再び

 学が山を下り滝の前へと戻ると、そこには郷子の姿があった。


「郷子……」


「お前……何をしている。なぜアタシの家に来なかった。なぜ朝っぱらからここにきて、そいつを持ち出している」


 郷子はピリピリとした視線を学が持つ虫かごに目を向けているようだった。


「ごめん……なんか気になっちゃってさ」


「そいつ……起きたのか」


「あぁ……」


 郷子はカゴの中を一瞥しながらも、学の前へとやってきた。


「……まさかとは思うが、そいつに感化されてそいつを逃がそうとか、そんなことは思ってないわけだな?」


「あぁ……思ってないよ。そう思ってたら、俺はもうこんなところには来ないだろ」


 すると郷子はふぅと一息ついて表情を緩めたようだった。


「……そうか。それもそうだな。ならいい。早いとこそいつを教授の元まで持っていこう。もう昼の十二時だ。教授は家にたどり着いてると思うぞ」


「あぁ」


 学が郷子の方へと歩み寄ろうとしたその時だった。


「……!」


 学は郷子の後方から現れた一人の人物を目撃して動きを止めた。


「なんだ?」


 郷子は学の普通ではない態度に気づき、後方を振り向いた。


「お、お前は……! 牧師!」


「HAHAHAHA、やはりキョウコさん、あなたが連れ去っていたのデスか!」


 そこにいたのは森の教会の牧師だった。以前郷子が金づちで顔面を潰したはずだったが、綺麗に治ってしまっている。おそらくソルトと同じ方法によるものだろう。


「てめー! 祖国に戻ってたんじゃねーのかよ!」


「いけませんねぇ。我々の姫を拉致するなど」


「姫……?」


 学はソルトを一瞥した。まさか彼女は小人の中でそんな身分の高い存在なのだろうか。


「おとなしく姫を渡してくださーい。さもないと私たちも力で行使するしかなくなりまーす」


「ふざけんな!」


 郷子はバッグから金づちを取り出し牧師に向けて構えた。


 前回は牧師はなぞの説教を始めすぐにやられてしまったが、今回はなんだかやる気のようだ。郷子に体を向けて何かの拳法のように両手を構えている。


「きょ、郷子」


「行け! ここは私が何とかする! 教授にそいつを届けるんだ!」


「わ、分かった……!」


 学は虫かごを手にしたまま踵を返して走り出した。


「逃がしませーん!」


 牧師は学に向けてまっすぐに向かおうとする。その前に郷子が立ちふさがった。


「アタシを無視すんじゃねぇッ!」


 郷子は金づちを振り下ろしたが、牧師はそれを腕で受け止めた。


「な、何……!」


「甘いでーす」


 牧師はもう片手で人差し指を立てて左右に揺らす。甘いとか言いながらも牧師の腕からは明らかに骨が折れたような音がした。


「こんの!」


 続いて郷子のローキック。しかし、がっしりとした体格の牧師にはあまり効いた様子がない。


 次の瞬間、牧師は「ふん!」と、郷子に掌底を繰り出した。


 その攻撃は郷子の腹部に直撃した。郷子は「ぐふっ!」と声を上げ後方に吹き飛ばされる。


 ちらりと後方を確認した学はその光景に足を止めた。


「郷子!」


 すると牧師はそのまま学に向かって駆けよってきた。


「い、行けと言ってるんだ……!」


「くっ……!?」


 確かに牧師はもう郷子にかまう様子はないようだ。ならば助けに行く必要もないだろう。


 学は再び足を回転させ始めた。


「HAHAHAHA!」


 牧師はその荘厳そうな恰好とはミスマッチに、まるで陸上選手のように正しいフォルムで学を追いかけてくる。


「くっ……」


 学は腕にソルトの入った虫かごを抱えながら走っている。無茶苦茶に揺らすわけにも行かず、うまく走ることが出来ない。このままではいずれ追いつかれてしまう。一体どうするべきか。


 そうだ。追いつかれてしまうならいっその事ここで奴を倒すしかない。


 しかし一体どうやって倒す? 郷子は牧師と一戦交えたが負けてしまった。牧師は体格が大きく一筋縄にはいかなさそうだ。


 そうだ……。


 学はひらめいた。牧師はソルトの事を姫と言っていた。だとしたら絶対に傷つけるわけにはいかないだろう。人質として有効ははずだ。


 そしてどうせ牧師の体は不死身のようなもの。迷わず金づちを素手で受け止めていたし、おそらく自身の体を傷つけることもあまり抵抗はないはずだ。


 学は近くの崖に向かって走り、たどり着くと踵を返し虫かごを牧師へと向けた。


「止まれ! それ以上近づくと、こいつをここから落とす!」


「む……!?」


 とりあえず牧師はいう事を聞いた。足を止めて学と対峙する。


「マナブさん……なかなか卑怯な真似をしますねアナタ」


 しかし、牧師はジリリと学に向けて距離を狭めてきているようだった。


「俺は本気だぞ!」


 学は虫かごを崖の上へと突き出した。そのおかげか牧師は動きを止めた。


「マナブさん、それでここからどうしようというのですか。お互い動けなくなりましたが」


「ふん……お前、ここから落ちろよ。どうせその体はあとから治せるんだろ」


 牧師はその言葉にしばらくあっけにとられたような顔をしていたが、


「なるほど……仕方ありませんね。分かりました」


 しばらくすると諦めたような顔をして、崖へと近づいてきた。


 そこで気付いてしまったが、学は牧師を脅すために崖から離れることが出来なかった。


 牧師との距離が縮まり場に緊張が走る。


「学……その牧師さんは悪い人じゃないんだよ。もうやめようよこんなこと」


「うるさい……お前は黙ってろ!」


 ソルトから掛けられた言葉を学は一喝した。


 牧師は崖の場所に立つと下を見下ろした。躊躇しているように見える。もしかして飛び降りる事が恐ろしいのか。それともチャンスがないかと伺っているのだろうか。


「さぁ! 早く飛び降りろ!」


 その煮え切れない態度に学は虫かごを揺らして牧師に向かって叫んだ。


 するとその時だった、バタタタタと何か機械音のような物が学の耳に入ってきた。


「なんだ……?」


 音のする方向は崖の下からのようだった。近づいてくる。


 学が崖下に目を向けると、なんと崖下から小型のヘリコプターが姿を現した。


「あれはラジコン……? いや……」


 その瞬間そのラジコンから何か光る弾のようなものが放たれた。


「こ、小人が乗っている!?」


 その射出された弾は学の腹部に直撃した。


「ぐあっ!」


「ま、学!」


 それはおもちゃのような威力ではなく殺傷能力のある兵器だったようだ。学の腹部からは血が滲んできた。


「隙アリでーす!」


「うっ!」


 気付けば牧師がすぐ傍まで迫っていた。手にしていた虫かごを掴まれ蹴り飛ばされる。


「ぐふっ!?」


 そして蹴り飛ばされた先には何もなかった。学の体は崖に放り出されてしまったのだった。


「うああああ!?」


 重力のままにどんどん加速し落ちていく体。数秒後に学は下の森に突っ込んだ。ガサガサと枝葉を突き抜けていき、その先には地面があった。


 地面との衝突の瞬間学は思わず目を瞑った。


 ものすごい衝撃が体に走った。ベキ! という嫌な音もした。


「うぐぐ……」


 おそらく足の骨が折れた。それに加え頭も強打してしまった。しかし、なぜだか大した痛みは感じなかった。ただ学の意識は静かに遠のいていった。


「HAHAHAHAHA!」


 牧師の笑い声だけが学の頭に響いていた。




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