第19話 夢

 二人は教授の家を後にした。行く先も決めずとりあえずぶらりと歩き出す。


「残念だけど、教授に見せるのは明日になりそうだな……」


 あの妻と思われる人に見せても、二人が望む結果になるかは微妙なところだった。パニックを起こされるかもしれない。やはり最初に見せるべきなのはあの教授なのだ。


「これは……マズいことになったかもな。一日砂音が家に帰らなければ、あいつが俺たちにやられたこと、周りの小人達に知られること事になってしまうかもしれない」


「あぁ、だが……今日砂音と学が森に遊びに行ったことは誰にも知られてねぇはずだろ? 一日くらいならバレずにやり過ごせるんじゃねぇか」


「そうだな……」


 また前回のように騒ぎにはなりそうだが、その原因が学にあると分からなければとりあえずすぐに危機的な状態になることはなさそうだ。


「それよりも問題はそいつを明日までどうするかだな」


 郷子は学のバッグに目を向けて言った。


「……さっき見た時そいつは呼吸をしていた。つまり死んでない。そのうち目が覚めたら叫んで仲間を誘い出すかもしんねぇ」


「……確かに」


「別に仲間じゃなくてもそれ以外の人間に知られるのもマズイだろうな。誰から話が伝わるかわからねぇ。アタシ達は一人暮らしじゃないしお互い家に持ち帰るのはリスクがありそうだ」


「あぁ……じゃあ仕方ない。明日まではどこか人がこない場所にでもそいつを隠しておこう」


「そうだな……で、どこがいい? どっかその辺に埋めちまえばいいか」


「え……いやいや待て。そんな事したらこいつ死んでしまうかもしんないだろ」


「そうか……?」


 郷子はきょとんとした声で答える。小人の命などまるでどうでもいいように。


 学は頭を巡らせた。どこかいいところはないだろうか。


「……一応思いついたぞ、あそこに隠す事にしよう」




 それから二人は再び山に立ち入り、三十分ほど歩いた場所にある滝の前へととやってきた。


「ここなら叫んでも滝の音に声がかき消されるはずだ」


 滝は絶えず大きな音を辺りに響かせている。この付近に隠せば声で発見される危険性は低くなるはずだ。


「だが、普通にここにホムンクルスがやってきて目で見つけられるなんて可能性もあるんじゃねぇか?」


「あぁ……。でも、それを言ったら完全に安全な場所なんてないさ」


「まぁ……」


「俺はそんなにあいつらがそこらをうろうろしているとは思わないけどな。そうだったらもっと目撃情報があってもいいはずだ」


 そこから、郷子は滝のすぐ傍にある草むらにめぼしを付けたようだった。


「よし、ここでいいか」


 学はバッグから虫かごを再び取り出した。中の小人には特に変化はないようだった。死んでいるわけではないようだが、いまだに目は覚ましていない。


「このままじゃあ抜け出すかもしんねぇ。針金で巻いておこう」


 郷子はバッグから針金を取り出すと虫かごを縦にグルグルと巻き始めた。


 そして草むらの中に置く。


「じゃ、今日はもう帰るか……」


「そうだな……」


 何だか小人を一人にして放置させるのは不安だったが、いつまでもそこにいるわけにもいかない。学と郷子は帰路につく事にした。




 自宅に帰り、学は夜飯の時間を迎えた。


「ごちそうさま」


「何、もう食べないの?」


「あぁ……」


 学の母が突っ込むのも無理はなかった。学は好物である肉じゃがにさえほとんど手を付けていなかったのだ。


 学は箸を置くと席を立った。


「もしかして風邪? 具合でも悪いの?」


「い、いや……たぶんそんなんじゃないと思うけど……」


「ふーん……?」


 何だろう。学は何だか母に見透かされているような気がして、そのまま逃げるように食堂を出ていった。




 学は二階自室に戻ると座布団に座り、テーブルの上に肘をついて頭を抱えていた。


 その後一体どのくらいの時間が経ったのだろう。下階で電話が鳴る音が響いた。


 そしてしばらくすると階段を誰かが上がってくる音がした。


「学」


 母、恵津子が襖を開けて顔を出してくる。


「あんた……電気もつけずにどうしたの?」


「え……」


 辺りはいつの間にか暗くなっていた。学はそんな事も目に入っていなかったらしい。


「あぁいや……そういえば暗いな」


 学は立ち上がると真上にある丸い蛍光灯から伸びるヒモを引っ張り電気をつけた。


「……何か用?」


「あんた砂音ちゃんのこと知らない?」


「え……」


 その瞬間、学は自身の心臓が大きくドクリと動いたのを全身で感じ取った。


「もう夜の八時なのに……まだ家に帰ってきてないって東山さんから電話があったんだけど」


「そ、そうなんだ……俺は知らないけど」


 恵津子は腕を組んで「そう……」と呟き少し困った顔をした。


 学はまた座り、恵津子と目を合わせないように顔を伏せた。


 バレていないとはいえ、学には前科がある。疑われても仕方のない事態だろう。実際今回も学のせいなのだし。


「どうしたのかしらね……またいなくなるなんて……」


「そうだな……で、でもあいつの事だからまたひょっこり帰ってくるんじゃないかな」


「そうだといいんだけどね……」


 恵津子は踵を返すと再び一階へと戻って行ってしまった。


 学は「うぅ……」と頭を抱えた。またこんな事になってしまうなんて。しかも今回は事故ではない。完全に学の意思によってもたらされた結果である。罪の意識も一段と大きい。


 しばらくすると、恵津子がまた学の部屋へと上がってきた。


「……どうしても帰ってこないなら明日捜索することになるって。今日はもう遅いしね」


「……そう。心配だな」


 恵津子は下階へと下っていった。


 ほっと胸をなで下ろす。とりあえず今日は砂音の死体が見つかることはなさそうだ。




 気づくと学は金づちを手にしていた。


 目の前には砂音がいて苦しそうに、しかし笑顔を作り出している。


 学はそんな砂音に容赦なく金づちを振り下ろす。


 ゴン! ゴン! グチャ! グチャ!


 乾いた音が次第に水気を含んだ音へと変わっていく。


 砂音の後頭部に開いた穴。学はその中に手を突っ込む。


 中をかき回すように探り学は頭の中から小人を取り出した。


 小人……いやそれはよく見ると小さな砂音だった。


「砂音……?」


 ぐったりとした様子の小さな砂音。しかし彼女はいきなり頭を上げて目を見開いた。震える手を学へとの伸ばしてくる。


「私……学の事……信じてたのに……」


「うっ……うわあぁぁ――ッ!」




「はっ……!」


 学はその瞬間目を覚ました。上体を起こし自身の胸を辺りの服を掴む。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 荒ぶる呼吸。周りの状況を見て学はやっと今の状態を把握した。


「夢……か」


 いや、本当にそうだろうか。砂音は学の事を信じると言っていた。それに比べ、学は砂音の事を信じられずにあんな行動をとってしまった。


 時計を見ると午前六時だった。外から雀の鳴き声が聞こえてくる。


 まだ起きる時間ではない。しかし学はふとんから出て立ち上がった。


「本当にこのままでいいのか……」


 そして箪笥から服を取り出して着替えを始めた。


 何をしようだなんて気持ちが定まっているわけではない。でもいてもたってもいられなくなってしまったのだ。


 準備が終わると音を立てずに階段降りて家族を起こさないようにして家から出た。


 向かう先は砂音の小人を隠した滝だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る