第15話 殺そう
帰り道、学は既に暗くなってしまった道を自転車を押しながら郷子の家を目指していた。
「くそがっ! あのじじい!」
郷子が道端にある小石を勢いよく蹴り飛ばす。かなりイライラした様子だ。学があの時止めなければ郷子は教授に掴みかかっていたのではないか。
「信じてもらえなかったな……だけど、あそこで飛びかかってたら、もう一生話なんか聞いてもらえなかったと思うぞ」
「ちっ……お前に言われなくても分かってんだよそんなこと」
本当だろうか。学には何だか疑わしく思えた。
「あの教授、頭が良すぎたんだよ。だから簡単には信じない。合成なんて言われてしまった。他の村人ならもっと反応も違ってたのかもしれないけど……」
「……だが村人に見せるわけにもいかねぇ。村人はホムンクルスの可能性がある。それに誰か村人が信じたとしても、それがうまく世間に広がっていくとは思えねぇ。田舎者の戯言と言われるだけさ」
「……そうかな」
「簡単には信じない、まともな判断が出来ると世間から認められている大学の教授だからこそ見せる価値があったんだろ?」
「そっか……」
そこからはしばらく会話もなく二人は歩いた。たまにしかない外灯が二人を照らす。
学には色々思う所があったが、何も言わずただ足を進ませていた。
虫の声がやけに騒がしい。そして自転車がどこか曲がっているのか、タイヤが回転する度にキイキイと鉄と鉄の擦れる音がする。
そして郷子の家まで残り半分くらいまでの距離になった時だった。
郷子は「なぁ……」と呟き、その場に立ち止まった。
学も「何だ?」と立ち止まり、郷子の方を見る。
「このまま終わるわけにもいかねぇ。そうだよな学」
「あぁ……それはそうだけど。これ以上どうすれば……」
「どうすればって、考えて分かんねぇか?」
「え……」
「本当はお前にだって分かってんだろ。あの教授でも確実に信じさせる方法」
学は口ごもる。それは、以前から学の中にもある考えだった。しかし、それはあまりにも恐ろしすぎて口に出すことはなかった考えだった。
「学……砂音を殺そう」
郷子がその言葉を口にした瞬間、まだ九月の半ばだというのに妙にひんやりとした風が二人の間を抜けていったように学には感じられた。やはり郷子も同じ事を心の奥で考えていたのか。
「そしてあいつの頭の中からホムンクルスを取り出して捕まえる。いくらあの教授でも現物をその前に突き付ければ信じないわけがねぇ」
「で、でもそんなことって……!」
「知ってるだろ学。砂音はもうホムンクルスに脳を摘出されてしまったんだ。殺すとは言ったけど、これは本当の殺人じゃない。もう本当の砂音はとっくに死んじまってんだからな」
「それは……そうかもしれないけど……」
「中のホムンクルスだって別に殺すつもりはねぇ。捕まえて教授に見せるだけだ。たぶんな」
「たぶんて……」
学がしばらく返答に躊躇っていると、
「んだよ。ビビってんのか?」
郷子は学に近寄りガンを飛ばしてきた。
「……あぁ、そうだ」
その言葉に郷子は「けっ」と半ば呆れた様子で学から離れた。腕を頭の上で組んで歩き出す。
学もそれに合わせて歩き出した。
「それもあるけど……」
「けど……なんだよ」
「最近思う事があるんだ。ずっとあいつと遊んでて、あいつのことそんなに悪い奴には思えないっていうか……」
「は……?」
「あれは砂音じゃないかもしれない……けどその中身の小人だって悪い奴じゃないかもしれないじゃないか」
すると郷子はいきなり学の胸倉をつかんだ。二人の足が止まる。
「てめぇ……何言ってやがる」
郷子は眉をひそめ学にまじかに顔を寄せて睨み付けている。
「あいつの頭の中のホムンクルスは砂音の脳を奪ったんだぞ。あいつはあのイカレた牧師の仲間でもあるんだ。そんな奴のことをよくも擁護なんて出来たもんだな!」
何の反応もしないままの学に郷子は腕の力を抜き掴み上げた学の服を降ろした。
「……お前、どうしちまったんだよ。もしかしてまだ砂音がどこかで生きているかもなんて考えちゃったりしてんのか? あの洞窟でのこと考えてみろよ。あのホムンクルスが口から出ていったあと、お前、砂音を起こしにいったじゃねぇか。そしたらどうだった? あいつは完全にもぬけの殻だった。空っぽだったんだ」
「や、やめろ……」
「あれは寝ていたとかそういう次元じゃなかった。あれは死体だ! 砂音はあいつらの道具に成り下がっていたんだよ!」
「やめろよッ!!」
学は叫んで郷子の手を振り払った。
「……お前の気持ちも分からないでもねぇ。だがな、もっと現実をみろ。お前の頭は今感情に支配されている。お前は自分で言ってたじゃねぇか。自分は論理的思考回路を持てる人間だってな。それを思い出せ」
学は黙り込む。どうしても郷子の言うことに納得が出来ないようだ。
「もういい……自転車返せよ」
「え……」
するとしびれを切らしたのか、郷子は自転車のハンドルを学から奪うとそれに跨った。そして横目で学を見る。
「腑抜けめ。もうお前とは話す気も起きねぇ。だがな、いつまでもこんな調子でいられると思うなよ。あいつらは今日にでもアタシ達の脳を奪いに来るかもしんねぇんだからな」
郷子は学をその場に残したまま自転車を漕ぎだし夜道を走り去っていってしまった。
次の日の朝、郷子の家に行ったが、すでに学校に向かってしまったと郷子の叔母に言われてしまった。
仕方なくそのまま学校に出向いた学。そして隙を見つけて教室外で声を掛けてみたのだが。
「あんだよ、お前どっちか決めたのか」
「いや……」
「優柔不断男。話しかけてくんじゃねぇよ」
学そう言われると言葉を続けることが出来なかった。
「お前が手伝わないならそれはそれで構わないさ。私は一人でもやってみせる」
郷子は学から目を背けて教室へと向かって行ってしまった。
その日の帰り道、学は郷子と一緒には帰らなかった。一人では危ないというのに気づいた時には郷子は教室の中にはいなかったのだ。
砂音と帰るわけにもいかず、学は一人で帰路についていた。
それにしても本当に郷子は砂音を殺してしまうつもりなのだろうか。
学が牧師に捕まってしまった時、郷子が襲撃してきて牧師を動かなくなるまで殴った。あのあと牧師は姿を消してしまいどうなったのかよく分からないが、あれは普通の人間ならば致命傷だったかもしれない。既に郷子は殺人を犯したようなものだ。
だとしたら案外郷子は簡単にやってのけてしまうのだろうか。
でもあの時とはわけが違うのだ。砂音はこれまで毎日のように一緒に過ごしてきた相手だ。
そんな相手を簡単に殺してしまうなんてこと、少なくとも学には出来そうもなかった。やりたいわけがなかった。
家に帰ると母の恵津子が居間にいた。
「ただいま」
「あぁ、おかえり」
一言声を掛けて自室に上がり座布団に座る。そしてふと学は考えた。
なぜ学はこんな目にあっているのだろう。どうしてこんな危険な村に住んでいるのだろう。
そうだ、この村に学が帰ってきたのは母、恵津子の離婚が原因であった。
恵津子は恋愛が絡むといつも感情的で、論理的な言動が出来ないでいた。その結果、恵津子は二回も離婚することになり結果この地元に戻ることになってしまったのだ。
そんな母を端から見ていた学は感情的になることを嫌い、常に論理的に行動するよう心がけるようになった。
すると学の成績は上昇し、人間関係の立ち回りもうまくいくようになった。論理的な考えは学を裏切ることはなかった。論理的な考えこそが学を不幸から遠ざけ、幸せを運んできてくれる考えのはずなのだ。
しかし学は郷子に言われてしまった。今のお前は感情的であると。
確かにそうだったかもしれない。このまま感情に流されてしまったら、学には大きな不幸と後悔が訪れることになるのかもしれない。
「そうだ……論理的に、論理的に考えるんだ……」
学は自身の感情を捨てて考え直すことにした。
「……だとすれば」
するとそこにはどう考えても導き出される答えがあった。
砂音の脳はすでに小人に奪われ、小人の秘密を知っている学たちは現在命を狙われている。
その危機的状況から逃れるためには砂音の正体が小人であると世間に暴くしかない。
そしてその正体を暴くために今出来る唯一の方法は……。
学は上体を後ろに倒して仰向けになると天井を見つめた。
「そんな事……分かってるさ……」
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