第7話 もぬけの殻
そのまま走り続けて十分ほど。郷子は学が思った道と違う道へと進み始めた。
「あれ……お前の家ってこっちだっけ」
「あぁ、アタシの父は死んでしまったからな。今はおじさんの家で暮らしてんだ」
「あ……そ、そっか」
そういえばそんな事情があったのだった。学はあまり聞いてはならない事を聞いてしまったのかもしれない。
そこからさらに数分走ったところに郷子の叔父の家はあった。山と畑に挟まれた二階建ての家で表札には鹿崎と表示されている。そこは学にも見覚えのある家だったがそれが郷子の叔父の家だとは学は知らなかった。
「ちょっとこれ持って」
学は郷子に補助バッグを渡された。この中には先ほど牧師の顔面を殴った血のこびれついた金づちが入っているはずだ。
「ここで待ってろ」
郷子は門を開き、玄関の扉を開け、家の中へと入っていった。
学はふとその家を見上げ、郷子の境遇について考え始めた。
学は以前から知っていたことだが、郷子は兄弟もおらず元々父と二人きりで生活していた。彼女の母は郷子が生まれた時に死んでしまったらしい。この歳にて両親共に失くしてしまうなんて。なかなか波乱万丈な人生を送っている。母親が二回も離婚している学も人の事を言えたものではないが。
「待たせたな」
郷子は数分で家から出てきた。その手には金属バットが握られており、首からはカメラが提げられていた。
そして車庫の横からママチャリを引っ張り出してきた。
「アタシは走り疲れた。お前が漕げ」
郷子は門から自転車を出すとハンドルを学に向けてきた。
疲れているのは学も同じだったが、反論するのはやめておいた。
「分かった」
学はバッグをカゴに乗せ、自転車へとまたがる。
郷子はバットを手にしたまま後輪の上にある荷台に腰を掛け、片腕を学の腰に回した。
「じゃあ出発だ」
学は「あぁ」と返事をすると再び教会に向けてペダルを漕ぎ始めた。
「っていうか郷子、お前なんで俺が襲われること分かったんだ」
学は前方に目を向けたまま、郷子に声をかけた。学には郷子に対してまだまだ聞いておきたい事がたくさんあるのだ。
「あぁ、知ってたっていうか疑ってたのさ、砂音のことをな。おそらく学がホムンクルスの秘密を知ってしまってんじゃねーかとも思ってた」
「そうなのか」
どうやら郷子は大方のことを把握していたらしい。
「だからお前等のことをこれまで監視してたんだ。まぁ、実際にお前を襲ったのは砂音自身じゃなかったが」
「……って事はあの牧師がホムンクルスってことは知らなかったのか」
「あぁ」
「……その他には? 一体誰がホムンクルスなのか知ってるのか?」
「いや、残念だけど、アタシもそれ以上は分からねぇ。砂音のことも、疑い始めたのはあいつが崖から落ちたっていうのに無傷で帰ってきたからだ」
つまりつい先日、学がこの羽月村に引っ越してきてからということか。
「え……っと、つまりホムンクルスは不死身なのか?」
「さぁ。完全に不死身なのかは知らねえが、とにかく体を回復させる手段があるみてぇだな」
砂音の体がすぐに体が回復してしまった事には只々不気味さを感じていたが、不死身なんてよく考えればかなり厄介そうな相手である。
それにしても……。
そこで学は郷子の発言に対して違和感を覚えた。
「しかし、お前なんでそんなことを知ってるんだ? 他のホムンクルスは誰だか検討もつかないんだよな?」
誰がホムンクルスさえ知らないのにそんな情報だけ知っているというのはおかしな話である。
「あぁ……実は、アタシの父はホムンクルスに殺されたんだ」
「えっ……」
学はその言葉にハンドルを持つ手が一瞬ブレてしまった。
「約二年前、ホムンクルスに脳を奪われ体を乗っ取られてね」
「それが死因……? 確か砂音からはガンだって聞いたけど」
「確かにその体はその後ガンで死んだけど、実際父が死んだのは脳を奪われた時だろ」
「まぁ……そうか」
人の生死をどうやって判断するのかと言われれば普通に考えれば脳が生きているかどうかだろう。体だけ生きていても、それはもう死んだことと同義だ。
「ある日突然父の腕にあったはずの火傷のあとがすっかりなくなってしまってたんだ。消えるはずもないはずの痕だったはずなのにな。今思えば、その時すでに小人に成り代わっていたんだろうな……」
郷子の言葉は重く、何だかそれ以上ズバズバ聞いていくのは憚られた。聞くとしても今ではないだろう。
「とにかく……教会まで急ごう」
学はペダルをいっそう強く踏み込んだ。
やはり自転車に乗っているだけあって、戻りは随分と時間を短縮できた。
教会の面する道路の向かいに自転車を止める。
自転車から降りると郷子が手にしていたバットを学に渡してきた。
「これはお前の武器だ」
「あ、あぁ……」
たぶんそうだと思っていたがやはりそうなのか。学はこれまでまともに喧嘩すらした事がないというのに、これから下手したら殺し合いになってしまうかもしれない。
郷子がカゴに入れていたバックを手にし、手で合図をした。二人はそのまま無言で教会入口へと近づいて行く。
心臓がバクバクと自身にその音が聞こえそうなほどに稼働している。さっきは郷子は勝てていたが、あれはただの偶然かもしれない。牧師は丸鋸なんてものを手にしていた。あんなもの、一撃でも食らえばひとたまりもないだろう。
「学、お前が扉を開けろ」
正面口までたどり着いた郷子は小声で学に命令した。
郷子は片手にカメラを、もう片方の手には再びバッグから取り出した金づちを手にしている。
学は先陣なんて切りたくなかったが、郷子は写真を撮らなくてはならない。これは腹をくくる他ないかもしれない。
学はうなづき、一度胸に手を当てて大きく息を吸い込んだ後、
「よし……突入だ!」
声を出し、バン! と扉を押し開けた。
エントランスに人の姿は見えない。とりあえず二階に上がるべきか。
二人で階段を駆け上がり学が捕まった部屋を押し開ける。
「いない……のか?」
構えたバットを左右へと向ける。そこには誰の姿もない。
それどころではない。学を拘束していた椅子すらもなくなってしまっていた。昨日、最初に入った時のように机とソファーが何事もなかったかのように置かれている。
郷子も学の隣に立ち部屋を見回している。
「ちっ……あいつらどこ行きやがった」
「砂音の時と同じだ……血痕も、何の形跡もなくなってしまっている……」
「探すぞ! まだこの建物内にいるかもしんねぇ!」
「あ、あぁ……」
一階に下り礼拝堂へと入る。そこにもいない。事務室らしき場所にもトイレにも……。
結局教会内は完全にもぬけの殻となっているようだった。
「くそっ……もう完全に撤収されてしまったのか」
「なら……外に出て周囲を探し回ってみるか?」
教会を出ると二手に別れた。学は庭の方に、郷子は道路の方へと向かった。しかし学が向かった先には誰の姿もない。
仕方なく教会入口まで戻るとそこには入口の扉前に立ち、扉を見る郷子の姿があった。
「どうした?」
「これ、見ろよ」
郷子は何か扉に張られた白い紙を指差した。
「ん……? これは……」
学はその前に立つとその紙に書かれた文字を声に出して読んだ。
「しばらくの間、祖国アメリカに戻ります。探さないでください……」
なんだか下手くそでふざけた文面だった。探さないでくださいとは二人に対して言っているのか。
「教会に入る時はこんな張り紙張ってなかったはずなのに……」
つまり二人が中にいる時に張られたということになる。
「くそ……完全に逃げられた」
郷子は悔しそうに親指の先をガリッと噛んだ。
「あの牧師が実はホムンクルスだったなんてアタシ達が周りに訴えても言葉だけじゃ何の説得力もない。アタシ達のことなんて誰も守ってなんてくれない……きっと牧師はアタシ達が他のホムンクルスに殺されるまでどこかに潜伏するつもりだ」
学は再び郷子を自転車の後ろに乗せて郷子の家に向かっていた。さすがに疲れていたので、そのペースはゆっくりだ。
「もう駄目かもしれないな……」
あのT字路を曲がろうかという時、郷子は低いトーンでそんな事を呟いた。
「え……駄目って……」
「あいつらを完全に見失った。今分かってるホムンクルスは砂音だけだが、あいつもおそらく身を隠すだろう。学に正体がバレてたって事を知られたんだからな」
どうやら郷子は学が砂音の事を牧師に話してしまったと思っているようだった。
「いや待て、それはそうでもないかもしれない」
「え……?」
「牧師は俺が小人の事を知っているか最初確信がないようだった。だから小人と敵対している組織があってそれに自分は所属してるって言って、俺に鎌をかけてきたんだ」
「……それで? お前はまんまと砂音がホムンクルスに乗っ取られてるって話しちまったんじゃないのかよ」
「いや、俺の口からは砂音の事なんて一言も話していない。テキトウに森の中で小人を見かけたと嘘をついておいたんだ」
「……どうしてだ?」
「砂音の頭の中には小人がいるかもしれない。けど、ただ頭の中に住んでいるだけで、砂音は砂音かもしれないだろ。牧師にそれを話せば、牧師の入ってるっていう組織に砂音が捕まって実験材料にでもされてしまうかもって、咄嗟にそう思ったんだよ」
「……そうか」
郷子は学の言葉にしばらく考えにふけっているようだった。
「確かにそれなら、砂音はいなくならない可能性もある。……だとしたらまだ首の皮一枚繋がった状態にあるのかもしんねぇ。牧師ならまだしも子供が一人いなくなるってのは中々やりずらい事だろうしな」
確かに。これで砂音の親が小人に寄生されていない人間だった場合、いきなりいなくなれば大きな事件になってしまうかもしれない。小人としてはあまり騒ぎにはしたくない所だろう。
「つまり、明日……学校に砂音がやってくるかどうかに全てが掛かってるわけだな……」
「……学、一つ言っておく事がある」
「ん……?」
「お前、砂音はまだ砂音かもしれないから牧師に砂音の事話さなかったって言ったよな……」
「あぁ」
「だがもうそんなことを考える必要はねぇ。アタシの父もそうだったし、あの牧師を見てお前も分かっただろ。ホムンクルスは頭の中に住み着いてるだけじゃねーんだ。寄生し体を操縦してるんだ。脳を奪われたらもうそれは元の人物とは別人さ。砂音本人はもう死んじまってる」
砂音本人はもう死んでいる。その言葉は学の心に重く圧し掛かった。
「もうあれは砂音じゃねぇ。人の頭に巣食う寄生虫。アタシ達の敵だ」
そう言われても、何だか学の中で納得しかねない部分があった。
約三年ぶりにあった砂音は、昔の砂音と別に変わった様子はなかったからだ。
でもここでそれを言いあっても話は平行線になるように学には思えた。
学は何も反論はせず自転車をこぎ続けた。
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