条件28 だから、俺を

「正義感もいいけど、自分のことも考えとけよ」

「え? 」

「その腕。これ以上こちらに踏み込みゃ、竜になるぜ」

右手を見た。

鱗に覆われた緑色。鉤爪。

(もし、このまま俺が竜人になったら)

魔剣は振えるだろう。

人間だった頃より力はあるし、筋肉もあるし、きっと体力もある。

耳だってちょっとの小さい音も逃さない。遠くまでよく見える。夜目も効く。

(でも)

幻覚みたいに、マーヤの白い手が自分の腕の上に蘇った。

「——」

胸の奥が、ズキンと痛んだ。

もう、あの手は握れない。

こんな俺の手は醜いとマーヤが嫌うから? 違う。

たとえ醜くても、マーヤはそんなの関係ないと笑うだろう。気にも留めないだろう。

問題は俺の方だ。

この強い手で、マーヤの柔らかな手を握るのが。

——怖い。

壊してからじゃ遅いのだから。

じゃあどうする。

人間のままでいるのか。

せっかく竜人っていう、強い力を手に入れられるってのに。

マーヤを守るには都合がいいのは明白だ。

人間の体の俺よりも。

「……」

「ま、急がず焦らずゆっくり考えて——」

アルターがのんびり言った。

その、瞬間だった。

「! 」

「なんだ!? 」

顔を上げたのは同時だった。

地鳴りがする。

ゲリラ豪雨のような轟音。

「アルター、森の方から何か来る! 」

俺は目を凝らした。

竜巻……みたいな……。

森の木が巻き込まれて根こそぎ宙に舞うのが見えた。見えてしまった。

えっ。やばくない?

「——まさか」

アルターの気配が変貌した。緊張感が走る。

「坊主、嬢ちゃん連れて逃げろ! 」

「え!? 」

アルターがテントに駆け込んでいく。

「おい! 斑熊が風の実にあたった! 避難しろ! 竜巻が来る! 」

看護官たちの表情が一変した。

斑熊?

風の実?

「嬢ちゃん、嬢ちゃんはどこだ! おい! マーヤ! 」

「おい、アルター! 何が起きたんだ! 説明くらいしてくれ! 」

点在するテントの中を馳け回るアルターの肩をやっとのことで捕まえる。

「あの森には斑熊ってえのがいる。普段はおとなしいが、そいつが風の実って絵のを食べるとな、何倍にも膨らむ上に体から風出して竜巻みてぇになるんだよ」

「何それ!? 」

合体ロボじゃん。

「風の実って何?! 魔法グッズ!? 」

「この時期に人里に生える果実だ。森には生えてねえ」

アルターが舌打ちした。

「ったく、なんでこんな時期に人里に降りてきたんだ! この時期は猛獣よけの草で森から降りれないようになってんのに」

「……猛獣よけの草? 」

何か、頭の裏側でポーンと解答ボタンが押された気がする。

「それって……道を安全に通るためのものじゃあ……」

「道はついでだ。本来は斑熊を風の実に近づけないための囲い用に植えたんだよ。風の実はもともと南のモンだが、なんでか最近はここらに生えるってんで——」

アルターの声が遠ざかっていく。

それはまさか。

「——捕虜のリーダーたちが根こそぎ摘んでたアレのせいでは!? 」

「ああ?! 」

「だってほら、あの薬草、道に沿って生えてたわけだろ。あいつらが一箇所まるまる摘んだとしたら……」

「……その隙間を斑熊が通れるってか」

リーダーたちの手には、両手いっぱいどころではない量の薬草が積まれていなかったか。

アルターは頭を抱えた。

「っとにかく、竜巻が起こりゃあとはもう逃げるしかねえ! 」

「止める方法はないのか? 」

「額に出た風の実の芽を取りゃ収まるが……今は取れるやつが東にいるかどうか……」

アルターが収容所の方に視線を向ける。

「そうか、収容所の方にはユリアさんの部下の軍人さんがいる! 」

その中に空を飛べる魔族とか、風の中でもへっちゃらな魔族とかいれば、もしかしたら!

俺は収容所の方に視線を向けて——。

次の瞬間。

目を疑った。

「……なあアルター」

「いいから逃げろ」

「二本見えるんだけど。竜巻。こっち向かってるやつの他に収容所に向けて移動し始めたやつが見えるんだけど」

「いいから逃げるしかねーって言ってんだろーが! つべこべ言ってねえであの新米魔王を探せっつーの! 」

「……な、なあ、アルター」

俺はアルターを引き止めた。

「逃げろっていうけど、じゃあ、この人たちはどうなるんだ? 」

「——」

「逃げらんないよな、こんな数の怪我人」

「逃げられるやつだけ逃がす。少しでも多くの感じやを生き延びさせるのが看護官の仕事だ」

「! 」

「……いいからお前は嬢ちゃんを連れて逃げろ! 」

「まっ……そんな状況じゃむしろマーヤは——」

それきり、アルターは別のテントに走って行った。

(むしろマーヤは……)

風が強い。

ごうごうと砂煙を上げている。

軽いものはどんとん東に流されていく。

殆どのテントの天蓋がはだけて、中の患者たちが丸見えだ。

(斑熊の竜巻は……額についた風の実の芽を取れば……消える)

——竜って確か——。

どくん。

頭を過ぎった可能性に、心臓が早鐘打つ。

指の先が冷たい。

腰に下げた金属片が——熱い。

「……っ」

ごくりと唾を嚥下した。

そうだ。

俺はどちらにしろ、いつかは決めなくてはならないことがある。

魔族になるか。

人間になるか。

このまま竜になるのなら。

俺は人間じゃなくなる。

魔王の騎士であることを認めたら。

魔族であることを受け入れてしまったら。

もう二度と、マーヤの手は握れないのかもしれない。

「——っ! 」

白い手の、柔らかなぬくもり。

子供の時から十五年間積み重ねて知っている。

彼女の手が暖かいことを。

どんなに柔らかいかということも。

……それでも。

俺は、マーヤを守りたい。

「俺は、マーヤのつくる世界を見てみたい」

そのためには。

「こんなところでくたばってる暇はねえんだよ! 」

魔剣を構えた。

「小僧!? 」

アルターの姿が視界の端に現れる。

目を閉じて、消した。

(あの時)

小屋の中で、マーヤが襲われそうになったその時。

魔剣から何かが流れ込んできた。

その瞬間、俺の腕は竜になったんだ。

——なら。

「俺は……俺は受け入れるよ」

風が強まってきた。

もう斑熊はすぐそこ。

魔剣の冷めた熱に心の底から願った。

「俺は魔族で、ドラゴニュートで——魔王の騎士だ! 」

だから、俺を竜にしてくれ!

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