条件25 お客様にはサービス精神旺盛なもてなしを

「魔族になっちゃいなかった、だって?」

シシリアは素っ頓狂な声をあげた。

東端の収容所では、騒ぎはすでに収束しつつあった。

ほとんどの捕虜たちが回収された捕虜部屋の廊下を、フェンネルとシシリアは歩いている。

「脱走のきっかけは、捕虜の一人が魔族になったからだと言っていたじゃないか」

「そうです。けれどそれは彼らの勘違いだったのですよ」

「勘違い? 」

「ええ」

捕虜たちの聞き込みをしたフェンネルによれば、今回の暴動の大筋はこうである。

とある捕虜部屋の兵士が歯痛を訴えて医務室へと行った。

そして数時間経っても戻ってこない。

捕虜部屋の者たちは噂した。

——彼は数日前から、どこかおかしくなかったか。

——食事の際、彼の歯は尖っていなかった。

——そうだまるで牙のような……。

——眠る時に唸っていたような。

「その連想が連想を重ねて、彼が魔族になったんだと勘違いしたのでしょうね」

件の歯痛は、単なる虫歯だったらしい。

夜間痛が酷くて唸っていただけだし、歯が尖って見えたのは後付けの錯覚だ。

そして捕虜たちの大半は、暴動の発端すら知らなかったのである。

「なんだそれは……」

がっくりだ。

シシリアがうなだれる。

「体の不自由な者は軒並み舌を噛んで自害までしてるんだぞ。そこまで手の込んだ放棄だったのに——それじゃあ結局、ただの集団ヒステリーじゃないか」

「そんなものでしょう。少しの変化でさえ、彼らには大きな刺激になるのでしょうね。彼らは常に魔族になるという不安の中にいるのですから」

「そういうものか」

シシリアは肩をすくめた。

「しかし連中も早まったものだな。捕虜施設の中にいれば、魔族になることなどそう滅多にないだろうに」

と、捕虜部屋の窓から小さな悲鳴が聞こえた。

「? 」

捕虜の一人がシシリアを見て震えている。

「じ、人狼っ……! 」

ふむ。

とシシリアが一瞬考え込む。

そして捕虜を振り向いた。

捕虜は恐怖のあまりシシリアから目が離せないでいる。

「ぐるる……——」

シシリアの喉から掠れた唸りが漏れる。

さわさわと。

顔の輪郭に沿って銀色の毛並みが包み込んでいく。

瞳が大きく見開かれ、ギラギラと輝く。

赤い唇から白い牙が伸びてくる。

「があっ! 」

とひと吠え。

「ひいいぃぃっ!! 」

捕虜が部屋の隅まで吹っ飛んだ。

「……シシリア。あんまりサービスしないように」

「なぜだ。私はこの施設の業務に貢献ボランティアをしただけだぞ」

「いやそうですけど——」

捕虜は恐怖のあまり失神している。

「なんだ。収容所は人間を驚かす所だろう」

「なんて乱暴な。ちゃんと意味があるんですよ!」

「驚かすことにか? 」

「これはね、人間を人間のまま保つシステムなんです」

自分は魔族ではない。

自分は人間だ。

故郷に帰りたい。

魔族になんかなりたくない。

そう思っているうちは、人間は魔族にならない。

魔窟の中心部であれば話は別だが、ここは端の端。魔力が薄く、人間に浸透し変化させるほどの量は無いに等しい。

「てなわけで、むやみやたらと脅かしているわけではないのですよ」

フェンネルは医務室の扉を叩いた。

「失礼します。ラルフ、怪我は治って——ってあれ。いない……」

「ラルフってぇのは、隣で寝てたにーちゃんかい? 」

ベッドの上で水を飲んでいた人間が言った。

「あのにーちゃんは変なもんでも食ったんかね。医務官サンが居なくなったら飛び起きて、死ぬとか殺されるとか言って出てったぞー」

「はあ。あなたは……。捕虜の脱走劇があった割にはピンピンされてますが……」

呑気ともいう。

「俺ぁ昨日から風邪ひいて脱走どころじゃなかったんでぃ」

彼はフェンネルを見て首を傾げた。

そして一言。

「お前さん、人間——じゃねーよなぁ……」

ひくりとフェンネルの頬が攣った。

「私はホムンクルスです」

「ホム……いやいやそりゃないでしょ、おにーちゃん」

笑いながらぱたぱたと手を振る人間。

「だってホムンクルスってのは瓶の中の赤ん坊じゃねーか」

「そう。人間の手で硝子の密閉瓶から出されることなく液体漬けにされた赤子。それは私の同胞です」

ふう、と額に手を当て俯向くフェンネル。サラサラの白髪が横顔を隠す。

芝居じみている。

シシリアは思った。

(遊んでるな、フェンネル)

「あなたはホムンクルスについてよくご存知のようですねえ」

「えっ、」

「私の同胞は人間たちに瓶詰めのまま成長を止められ、道具のように使役されている奴隷だと聞いております。ああなんと嘆かわしきかな。しかし私はこの頭脳を持ったまま自らの足で歩いていける。あなたたたち人間の所業から我が同胞を助けるためですお分かりか」

「わ、悪かったってぇ! 疑ってよぉ〜」

「ついでには私は性別もないのでおにーちゃんではありません取り消してもらえますかね」

「すっすまねえオネーチャン! 」

「オネーチャンでもないって言ってるでしょうこの耳は意味のない突起ですか」

やっぱり収容所ってのは、無闇矢鱈に驚かす所なんじゃないだろうか。

シシリアはそう思った。

「あ、フェンネル様にシシリア姐さん。お疲れ様でーす」

開け放った医務室の扉の前を通りかかった従業員——もとい看守が、二人に向けてぺこりと頭を下げる。

オークだ。

その後ろには部下だろう、ガーゴイルと赤鬼がタオルを持って続いている。

——故に、ここで働く魔族は『人間の考えた一目でそれとわかる魔族』が就くことが多い。

と、またもシシリアに向けてうだうだ宣うフェンネルに、

「つまり、収容所の職員は容姿採用ってことか」

毛並みを元に戻したシシリアは身も蓋も無いことを言った。



荷馬車が山道を行く。

ゴトゴトと、道のでこぼこがそのまま尻に伝わる。骨が痛い。

正座になってみたけど、足の甲が打撲するだけだったので諦めた。

「おいセバスチャン。なんでお前は馬の背中に乗ってんだよ」

「なんじゃい。貴様も乗るか? 」

……そっちの方がマシかもしれん。

尻的な意味で。

「じゃあ遠慮なく」

「来るんかい。わし的にはマーヤ様の方がやる気が上がるんじゃが」

「うるせえ」

セバスチャンとダンデムしてから気づいた。

馬に乗ると太もものうちがめっさ痛い。

鞍と擦れた肉がねじれてやばい。

やばい。

「アルターさん。先ほど言ったことなのですが」

(? )

背後からマーヤの話す声が聞こえた。

アルターの隣で体操座りをしている。

その向こうには、縛られた捕虜たち。

「私たちを助けるためには、本来、捕虜の方々全員を殺さなくてはならなかったのですよね」

「……ま、そうですねぇ」

アルターは言った。

「姐さんやユリアユリウスならまだしも、俺は兵士じゃねえんです。俺は斥候。そして専門は隠密行動だ」

アルターは棍棒を抱いて座っている。

「罠に情報操作、暗殺、卑怯な手口はお手の物。正々堂々戦うにゃ、元人間で魔族になっても木男止まりの俺じゃ腕力が無さすぎる」

やっぱり、アルターって元は人間だっのか。

どうして魔族になったんだろう。

魔窟に迷い込んだのか。

(それとも——)

捕虜のリーダー格が言っていたことを思い出した。

……やめよ。考えるの。

俺たちがどうこう詮索していい問題じゃない。

「でも、暗闇の中でさっさと片付けるのは得意なんですわ。木男は眠らない種族だ。夜目も効く」

だからああいう戦いになるのだと、アルターは言う。

「だらな。さっきみてぇに人質を取られたら、速攻で片付ける以外の道がねえんです」

逆に。

暗闇に乗じて襲うのであれば。

誰よりも優れているということだ。

あの時、暗闇の中でアルターに倒された四人の捕虜たち。

彼らは絶命していた。

セバスチャンの見立てによれば、ほぼ即死だという。

アルターが皮肉げに言った。

「正面きっての戦いじゃあこの世で一番弱い自覚はあるんでね」

……それだけ強いのに?

なんて思ってしまう。

だって俺は見てた。

あの暗闇の中、アルターが拳ひとつで戦うところを。

「では、彼らの死は——私が行ったようなものですね」

マーヤがあの場所にいたから。

彼らは死んだ。

そう言いたいのか。

「はー、」

とアルターがため息をついた。

これ見よがしだ。

「あのねえお嬢。そりゃあ、お前さんが一人で城下町を出たのが原因だよ。でもなあ。そもそもお前さんらを人質にしたのはあいつらだ。んで戦闘になって殺されたとしたってな、そんなのはあいつらだってわかってたことだし、俺も人を殺すことは承知でやってんだ。兵士を仕事にするってえのはそういうことですぜ」

そういえばアルター、マーヤのことも俺のことも、サマ付けで呼ばなくなったな……。

「アルターさんが兵士だということは、わかっています」

マーヤは言った。

若干声がくぐもっている。

振り向くと、マーヤは膝に口元を埋めていた。

「けれどこれは、私のケジメの問題なのです」

けれどその瞳はまっすぐ前を見ている。

強い光を宿して。

(…………ふーむ)

ちょっと安心したような。

そうでもないような。

——あの四人が殺されたとき。

マーヤが引き下がったのが意外だった。

確かにあの場で話し合いを持ちかけたって黙殺されただろうけど。そんな猶予もなかったけど。

マーヤらしくないとは思っていたのだ。

「そうかい。じゃあ、そういうことにしておこうか」

アルターは空を見上げて言った。

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