2章 魔窟の村人Aはケモミミ角ありetc.

条件06 真夜中の遠吠え

 月光が満ちていた。

 魔王の領地、その最西端。

 銀色の天の恵を一滴とて通さない、真っ暗な森の奥深く。

 ぴくりと身じろぎする者がいた。

(——来たな)

 次の瞬間、動き出す。

 風より速く。

 林よりも静かに。

 森を抜け、が月光の下に姿を現した。

 たっぷりとした銀髪。

 濃い灰色や白の混じった美しい髪をなびかせ、ひたすらに走る。

 それは、まさに一匹の美しい獣。

 少し陽に焼けた肌に、鋭い光を帯びた大きな瞳。

 山や狩りという言葉が似合う野性味の滲む横顔は、しかし誇りに満ち、気品すら感じさせる。

 そして。

(! こちらか)

 ぴくり。

 耳が動く。

 銀糸の髪に埋もれるように、ふわふわとした毛並みの耳が生えていた。

 明らかにヒトのものではない。

 獣の耳だ。

 彼女は月夜の晩をひたすらに走る。

 自らので。

「今夜は、満月か」

 彼女が誰ともなく呟く。

 烟るような睫毛に縁取られた緑色の瞳に、月が映る。

「グルル……」

 機嫌よさげに喉が鳴る。

 彼女の走る速度が増した。

 飛び交う蝙蝠と自らの鼻を頼りに道を行く。

 やがて蹄の音が聞こえてきた。

 彼女の行く先に、馬を駆ける一つの影がある。

「フェンネル、遅くなってすまない」

 馬の横につき、足を止めずに彼女は言う。

「今夜の宿直は西端の砦だったものでな。いささか時間がかかった」

「よくぞ来て下さいました、シシリア姐さん! 」

 男にしては高めで女にしてはハスキーな声が落ちてくる。

 フェンネル、と呼ばれた馬上の影がフードを取った。

 月下に溢れる長い白髪。

 中に浮かぶのは、女とも男ともつかない美しい顔立ち。

「こんな満月の夜に首都まで呼び出してしまい申し訳ありません」

 紫色の瞳が月を映した。

「魔王陵へお迎えに上がるには、私だけでは少々不安でして」

「構わん」

 シシリアと呼ばれた彼女は答えた。

「それより、その魔王だ。新代がご降臨なされたというのは本当だろうな」

「ええ、そのようです」

 普段は落ち着いた響のあるフェンネルの声も、今夜は興奮に彩られている。

「ところで『導き手』はどいつだ」

「………」

「フェンネル? 」

「……バミューダ卿セバスチャンです……」

「は? あのエロジジイが? 」

 大丈夫かその情報。

 とでも言いたげな視線に、フェンネルはビミョーな顔をした。

「あれでも悪魔です。選者としての能力はピカイチなはず……ピカイチ……いやピカサンくらい……」

 フェンネルの唸りにシシリアが仄かに笑った。

「ピカイチとはいかずともピカ『チュウ』くらいにしといてやれ。あれでも二百年生きてるんだ」

「まあそうですけど。——全く、トップが空席の時こそ皆で力を合わせ国を支えねばならないというのに」

 遠い目をするフェンネル。

「こんな時なのにアルターはどこかへ行ってしまわれるし……」

「ふ……。構わん、やつは我ら四天王の中でも最弱」

「やめてくださいその四天王どうせろくな四天王じゃないのでしょう」

「よくわかったな。私らがガキの頃のマンドレイク育て四天王だ」

「なんです、それは」

「マンドレイク。知ってるだろ、お前ほどの賢者なら。ほら、土から抜くとき、すごい泣き方する植物」

「はあ、まあ。育てて売りにでも出したんですか? 」

 マンドレイクは薬の原料になる。

「いけませんよ、正規の流通でないのに売ってしまっては」

「違う。育てるだけだ」

「? 」

「まあ、なんだ。吊られた男のヒトのアレを痛めつけるとだな、まあ途中は割愛するんだが結果的にマンドレイクが生えるんだよ」

「……? マンドレイク……ヒトのアレ……? 」

 無表情だったフェンリルの顔が、さっと恐怖に引きつった。

「ヒトのアレってまさか急所……!?」

「ははは」

「なんてことしてんですか! そんな頃から悪行ですか! 」

「悪行だなんて意識はなかった」

 子供は残酷だ。

「他のやつらはやろうとしなかったな。アルターなんてビビって泣いてたな」

「そりゃそうでしょうよ!! 」

「私も今はそう思う」

 フェンネルが頭を抱える。

 馬上なので体がぐらりと揺れた。

「おい、危ないぞ」

「今の初等教育は『悪行は善悪の区別がついてから』なんてことも教えてないんですか!? 本来、義務教育はまともな魔族になるためのものなのに」

「王宮を出た時くらい、執務を忘れてもいいんじゃないか? 」

「今、まさに魔王陛下をお迎えするという大変重要な公務を執行中なんです! 」

「相変わらずせわしないやつだ……」

 そんなやりとりをする二つの影の行く手に、山が見えてきた。

「ああ、もう貴女の悪行は聞かなくて済みそうだ」

 フェンネルはホッとしたように言った。

「見えてきました、魔王陵です! 」

 ——夜空に狼の遠吠えが響く。

 その抑えきれぬ歓喜の叫びは、遥か魔王の領地に染み渡っていった。



 俺は耳を塞いだ。

「う、うるさい……!! 」

 魔王様万歳コールが鳴り響いている。

 どうして見も知らぬ場所に飛ばされたかまでは思い出した。

 思い出したが、だからって何が解決したわけでもない。

 時間が経ってちょっと混乱が落ち着いたようではある。

 だがむしろ、みんなの心が一つになる余裕が生まれてしまった。

「魔王様万歳! 騎士様万歳! 」

「ううううるせえええ!! 」

 思い切り声を張り上げても万民の喝采にかき消される。

 恐るべし民の力。

「どーすんのこれ!? 俺たちどーなんのこれ!? 」

「リョータロ、慌てないで落ち着いて」

 これが落ち着いていられるか。

「では深呼吸をしましょう。恐怖を飲み込むのも大事よ。ひっひっふー」

「ひっひっふー。……ってこれ出る方だよ! 」

 ついつられてしまった。

「なあ、こんなん見てもマーヤはなんとも思わないのか」

 明らかに掘りました! って感じの岩窟にわんわんと反響する音もすごいけど、万歳コールしている異世界(仮)の住人たちの見た目もすごい。

「何のコスプレ? 今日はハロウィンなんですか!? 」

 俺たちを崇めている万歳族をビシッと指差した。

 すると。

「ぎ……」

「へ? 」

「ぎゃあああああ」

 再び混乱が起こった。

「あああ騎士様が我らを指された我が体躯は魔王様と騎士様の贄に魔族よ永遠に栄光あれ」

「えっなんて? 」

 思わずあとずさる。

 早口すぎて何を言ってるかわからない。

「魔王陵よ我ら子孫のさらなる繁栄を」

「魔術をお使いなさるんだよ地は割れ空は渦巻き羊が増えるよ」

 羊が増えるのはいいことなんじゃないんだろうか。畜産農家の方々が喜ぶ。多分。

 なんて考えるほどには、俺はまた現実逃避をしたくなった。

 何にって。

 目の前の百鬼夜行に。

 口から泡を吹いて喚く男の鬼みたいな角は太くて曲がってる。

 隣で頭を抱える髪の長い女性は青い肌。

 などなど。

 明らかにヒトではない。

「うわぁ、妖怪の万国博覧会や〜……」

 グルメリポーターの口調を真似るも、目の前の光景は全く食欲をそそらない。

 他にも鱗っぽい肌だったり、ありがちに蝙蝠の羽が生えてたり。

 普通の人間っぽい人もいるにはいる。

 でも耳が尖ってたり、明らかにありえない髪の色だったりする。

「どーしよ、俺なんか下手なことしたっぽい」

 さっきよりも仮装パーティー万歳族の混乱が増している。

 でも、俺の方だって負けず劣らず混乱の最中だ。

 恐らくは生命維持機関の違う人々(?)の中に、非力な人間が二人きり。

 魔王様とか騎士様とか言われてるけど、身の安全が保障されたわけではないだろう。

 それに魔王って単語が俺らにとってはボスのことでも、こいつらにとっては生贄のこと——だなんて異文化ギャップがあるかもしれないじゃん。

 だいたい俺たちは魔王でも騎士でもなんでもない。

 少なくとも俺は普通の男子中学生だ。

 そりゃ悪さだって、思い返せばちょこまか沢山やってきた。

 死んでいざ閻魔様の前に突き出されても、自分から無罪放免を言い出せるほど、清く正しい人生を送れているとはさすがに思えない。

 でもマーヤほどじゃないが十五年間、普通に真面目に生きてきた。

 魔王軍とやらで役職ジョブを持つほどじゃないと思う。

 つまり何が言いたいかって。

 俺らが普通の人間だとわかったらさ、こいつらも、

「騙された! 魔王と騎士だと思ったのに! 普通の人間だったなんて!」

 とか言って俺たちを襲ってくるかもしれない。

 数はあちらの方が圧倒的有利。押しつぶされたら羽虫のようにプチっだ。

 前途多難。

 俺は途方に暮れた。

 何もかもあの黒風船の適当さのせいだ。

「諦めないでリョータロ」

 一方、マーヤの声音には諦めなど微塵もなかった。

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