条件05 いかにして異世界転移? 下
「早いとこ帰るぞマーヤ」
俺はマーヤの腕を引っ張ってずんずん進む。
人生五十年、どころか人生百年時代の昨今。
これほど長く女子トイレにたむろすることも無いだろう。稀有な人生経験をした。
科目棟の昇降口を目指しT字路を左に曲がる。
「あれ、プールに行くなら右に曲がらなきゃ」
「なんでプールに行くんだ」
「雨で水泳部はお休みでしょ。セバスチャンさんがかわいそうよ」
なんのために撃退したと思っているのか。
「あいつは大丈夫だ。ほら、どことなくタコっぽかっただろ」
「そおかなあ……」
「……。マーヤ。思うにあいつは陸の生物じゃないんだ。ほら、肌がぬめぬめしてただろ」
「そっか、陸の生き物は皮膚が乾いてるもんね」
カエルしかりイカしかり。
濡れた皮膚の陸上生物もいるかもしれないけどそれはそれ。
「だから水の中にいないと苦しいだろうに、あいつ、俺らと会話するために我慢して……くっ。無茶しやがって」
「! だからプールに……! 」
信じた。
俺とて伊達に天然娘の幼馴染をやっていない。
「やっぱりリョータロは優しいわね」
マーヤがきらきらした瞳で俺の方を見てくる。
「俺は、優しい、ぞ! 」
うっ。そんな目で俺を見るなっ。
それでも変なものに関わりたくない気持ちの方が勝った。
昇降口まであともう少し。
マーヤは大人しく付いてくるが、後ろ髪を引かれるという表現がぴったりの様子だ。
そりゃあ俺だって、やりすぎたかな、とも思う。
何も窓から放り投げなくたって良かったかも——。
ぴちゃん。
「……? 」
水滴が、俺の鼻先を濡らす。
「あら、水漏れ? 」
「なんで廊下が——」
二人して天井を見上げて。
べちょり。
ズブ濡れの黒髪が俺の顔面に垂れ下がった。
「よぉぉーーくぅぅぅーーーもォォォォオオオーー」
「ッ出たァァァァーーーーーー!?!! 」
「あいたっ! 」
後ろにいたマーヤに全力でぶつかる。
二人して床に転がる。デジャヴ。
そいつは床に着地すると、頭を持ち上げた。
その顔は、よく見るアレだった。
「あたし………キレイ………??? 」
な——なんで。
学校の怪談に2度も出くわさなければならないんだ——!
「ええ、綺麗よ」
凛とした声が放たれる。
「マ……マーヤ……? 正気か……!? 」
「もちろん」
にっこり。
「粧いとは、少しでも身なりを綺麗にしようという想いそのものだと思うんです」
「いいい今その話いる? おおおお前なんでそんなにおおお落ち着いてられんの? 」
噂のサトリ世代の権化がここに。
「身なりを綺麗にするのは、自分のためでもあり、そして相手のためでもある、両者が不快なく過ごすためのもの。あなたの真っ赤な口紅には、そんな想いが込められていると私は見ました」
そうだろうか。見た目こんなに怖いけど?
咄嗟に俺の頭の中でバラエティ番組が放映される。ご近所の皆さんに聞きました。口裂け女メイクは怖いと思いますか? ご近所の皆さん十人がシールを貼っていく。怖いに十票、全員一致!
なのに。
「——だから、あなたはとっても綺麗よ! 」
太陽も恥じらう笑顔。ひまわり畑に差し掛かれば米軍の軍曹もびっくりの足並みで一斉にこいつの方を見上げるだろう。
「……………」
口裂け女は——感動の涙を流している。
「やはり、あなた様は優しいお方じゃあ」
「この声! 」
口裂け女の真っ赤な口から聞こえたのは、セバスチャンのもの。
「お前、どうしてここに! ってかなんだその格好! 」
「プププププ。あのくらい高等悪魔のわしにはどうってこと無いんじゃ、小童。伊達に二百年ぼんやり生きていたわけではないっ! 」
悪魔生は二百年時代。
「いわんや、口裂け女に化けることくらい朝飯、いや歯磨き前よ! 」
大きな口を開け哄笑する。
髪からしたたる水滴で流れた口紅の中に、きらんと輝く白い歯。口裂け女も歯が命。
どうでもいいけど口紅を落とすか、化けるのをやめるかして欲しい。結構すごい絵面だ。
「ではマーヤ様、せめてものお礼にお納めくだされ! 」
「えっ? 」
ぐら、とマーヤの体が揺れる。
「マーヤ! 」
手を伸ばすも、俺の手は空をかいた。
マーヤが口裂け女、もといセバスチャンの方へと引き寄せられていく。
「あ——」
咄嗟にマーヤが近くの柱を右手で掴む。
「よくやったマーヤ! 引っ張るからそのまま耐えてろ! 」
「リョータロ——ぶくぶく」
ずぶ、とマーヤの左半身と頭が、口裂け女の体にめり込んだ。
「マーヤーー!? 」
「ぶくぶくごぽッぶくぶく」
「てってめえ黒風船! 何しやがる!! 」
「大丈夫じゃ小童。わしの体の中は異次元仕様。中は酸素でいっぱいじゃい」
「ぶくぶく」
「メッチャぶくぶく言ってるけど!? 」
と、ずるりとマーヤが頭を出す。
「ぷはあ」
「無事か! 」
「わーびっくりした」
「
「ふん、手を離せ小童」
セバスチャンがにたりと笑う。いい加減、口裂け女仕様はやめてくれないだろうか。
「貴様に用は無いのじゃ。ここままでは貴様も吸い込まれるぞ」
「リョータロ、危ないから手を離して」
「はあ!? 何言ってんだよお前! 」
「だって、吸い込まれちゃうって」
「そんなのお前もだろーが! お前を見捨てけって言うのかよ! 」
「私がセバスチャンに連れてかれるのは——なんかよくわかんないけど、わかるとして」
「わかってないじゃん! 」
「でもリョータロまで巻き込むわけには」
「悪いってか?! なら、お前の手を離す方が俺にとっちゃ悪いことだ! 俺は! お前がどっか連れてかれたら! 悲しむ! 」
はっ、とマーヤの目が見開かれる。
「リョータロ……! 」
——決まった。
絶体絶命のピンチに陥りながら、俺はフッと笑みを浮かべた。勿論そんな余裕は無いので頭の中で。
と、諦めに似た声が降ってきた。
「——フン、しょうがないのう」
「うわっ!? 」
セバスチャンがそう言うと同時に、ぐらりと俺の体が揺れた。
(吸い込まれる! )
黒い濁流のような、寒天のような液体が体を包む。
——これ、もしかしなくても、あいつのぷるぷるお肌か!
恐ろしい吸引力。
例の掃除機と比べたら、どちらがより長く吸引力を保てるのかなあなどと考えた。
「貴様じゃあ、ちとばかし役不足じゃろうが——ふむ。度胸と根性はあると見た。若干怒りっぽいが。粗っぽいし雑じゃが。ま、将来に期待ということじゃな」
誰に言うでもなくセバスチャンはつぶやいている。
将来に期待? 役不足?
なんの話だ。
(ていうか後半俺の悪口じゃん……)
黒い液体の中で、マーヤが俺に左手を差し出す。
「ぷはっ、リョータロ! 」
「マーヤ! 」
迷わず掴んだ。少しほっとする。
これで、兎にも角にも、別れ別れになる可能性は無くなりそうだ。
「幼馴染のよしみとはいえ、死なば諸共と飛び込んでくれるだなんて……」
「いや吸い込まれてる。俺、超吸い込まれてる」
「ぶく……ぷは。私、感動しました」
「なにが」
ごぽっ。喋ろうとして失敗する。
うわ水(推定)が口ん中に。
「子曰く。ぶく……益者三友、損者三友。
「なあ、その話、今じゃなきゃダメ? 」
言っている本人もあっぷあっぷだ。どうやら必死すぎて聞こえてないらしい。自分の息継ぎより子曰くの方が大事なの?
「リョータロの気概に、友として私も報いたいと思ぶくぶくぶく」
ぷくっ、と。
俺とマーヤは同時に、この世界で最後の一呼吸をした。
ぷるぷるで、とろとろな、黒い液体に吸い込まれる。
あとはよくある感じの異世界転移。
——考えるまでもなかった。
魔王万歳コールに包まれながら、俺はクラクラする頭で回想した。
やっぱりだ、マーヤ。
お前が助けた怪しいやつが、その優しさの見返りに魔王の座をプレゼントしたんじゃねーか。
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