条件02 いかにして異世界転移? 上

 数分前。

 俺たちは普通に下校途中だった。

 やっとこさ来た夏休み。

 午前中で終わった終業式のあと、委員会があったから弁当を食べた。

 放送室の掃除だった。

 大掃除は昨日だったのだが、顧問の先生が風邪で休んでしまって、監督できる手の空いてる先生もいなかったから、別の日に移行したってわけ。

 放送室の掃除が終わって、職員室に鍵を返して、顔なじみの先生と軽く挨拶をした。

 放送委員はクラスに男女二人ずつ。

 荷物を取りに教室に戻ると、その片割れであるマーヤが待っていた。

 二人で廊下に出てみれば、学校はなんだかシンとしていた。

 このクソ暑い中、久々に雨が降ってた。

 誰もがロッカーのものを持ち帰って、掃除もされて、屋内スポーツ以外の部活は中止になっていたから静かだった。

 雨が降っていたから、蛍光灯の消えた廊下は薄暗い。

 マーヤと俺、二人分。

 湿度の高い空気に、ぺったぺったと上履きの音。

 なんだかお化けでも出そうだなぁなんて不吉なことを思った、その瞬間ときだった。

「あれ? 」

 マーヤが足を止めた。

「どした? 」

「今ね、なにか聞こえた気がしたのだけど……」

 振り返ると、女子トイレ。

「誰かいるんだろ」

「でも先生、言ってたわよねぇ。科目棟を使うのは私たちが最後だから、出るときに一階の鍵をかけといて〜って」

 マーヤの人差し指にかかっているのは科目棟の鍵だ。

 科目棟には家庭科室や美術室などの科目室と、図書室や放送室がある。

 部活をしている生徒たちに用があるのは教室や職員室、下駄箱のある本館。

 だから放課後になると科目棟の一階の扉は閉じているのだ。

 今日は放送室の掃除があったから、たまたまゴミ捨てのために一階の扉の鍵が空いている。

 そうこう話をしているうちにリターンして女子トイレに近づく。

 確かに物音がするような——。

 俺たちは耳をすませた。

 しく……しく………しく………。

(———!? )

 マーヤも気づいたのだろう。

「な、泣いてるみたい……」

 誰もいない校舎。

 女子トイレから漏れる、泣き声。

 背筋を寒気が走った。

(怪談じゃん!? )

 隣のマーヤがトイレに入ろうとするのを止めた。

「おいおいおい、なんで行くんだ」

「ここ閉めちゃうよって言ってこなきゃ」

「ほ、ほっとけって! 」

「でも、泣いてるから心配だしー」

 その言葉で俺は現実に帰った。

 そうだ、怪談なんてあるはずない。

 誰かがここで泣いてるんだ。

「ほっとけって。泣いてるってことはさ、そっとしておいて欲しい時だってあるだろ。それに二、三階の連絡通路は空いてるんだから、一階の鍵がかかってたって閉じ込められることないし」

 科目棟の一階の表口は地上と通じているが、二階より上の、本館との連絡通路はいつも鍵が開いている。

 わざわざ本館じゃない、誰もいない科目棟のトイレを選んだのだ。

 そんなの、誰にも聞かれず心置きなく泣きたいからに決まってる。

 人間そんな時もある。

「そうかしら……。なら、それもまた優しさね」

「おう! んじゃ帰ろっか! 」

 本心を言おう。

 だって怖いし。

 けれどこの次にマーヤがもっと怖いことを言った。

「ねえ、でもやっぱり変よ」

「へ、変? 」

「トイレの個室の扉がね、全部空いてるのよ」

「……は? 」

 扉が、空いてる?

 学校のトイレの入り口には扉がない。

 マーヤは入り口に半身突っ込んでいるから、どうやらそこから、トイレの壁に貼られた鏡が見えているらしい。

 俺は恐る恐るトイレの中に頭を突っ込んだ。

 女子トイレだとか、そんなものは頭から吹っ飛んでいる。

 異様にピンク色で圧倒されるタイルたち。

 鏡に映るトイレの便器は全部で三つ。

 つまり、全てのトイレの個室の扉が開け放たれている。

 ——誰もいない。

「しく……しく……ヒック……ズズッ………しく………」

 泣き声は続いている。

(怪談だ——!??! )

「戻るぞ、早く行くぞマーヤ! ……って、ええ——!? 」

 てけてけとマーヤがトイレの中に入っていく。

「なななななな何してくれちゃってんのお前! 」

「お節介かもしれないけど、泣いてるから」

「正気か!? 俺、お前が川に落っこちたり木の虚に足突っ込んだときは引っ張ってあげられたけど、お前が呪われたり鏡の中に連れ去られたらさすがに引っこ抜けねーぞ! 」

「もー、それはちっちゃい時の話じゃないの〜」

 いや、多分もう小学生だったから大して昔じゃちっちゃくない。

「呪われるだなんて……たとえこの身に呪いを受けようとも、それもまた私の行動が引き寄せたものだもの」

 耐えるってのか? 学校の怪談に?

「その志は正しいかもしれないけど、もし人間じゃなくてユーレイとかだったらどーすんだ!? 」

 むん、とマーヤは白いセーラー服の胸を張った。

「子曰く。志士仁人は生を求めて以て仁を害するなし仁者、正しいことする為なら、身を殺して以て仁を成すこと有り命惜しくない

 身を殺して仁をって。

 そこまでする?

「それにね、たとえ幽霊でも同じ学校に通うのなら隣人とも言えるんじゃないかしら」

 幽霊って学校に通ってることになるの? 地縛霊とかじゃないの?

「もし悪霊であれば試練だというだけのこと。何も恐れることはありません」

 恐れて欲しい。

 あれ。試練云々って聖書じゃなかったっけ。なんで論語とごちゃ混ぜになってんの? そこんとこ大丈夫なの、マーヤさん聖人君子オタク

「だから、リョータロはここで待っててね」

「そういうわけにもいかんでしょ!? 」

「あ。声が聞こえるのは——ここだわ」

「マーヤさん!? 」

 かぽん、と。

 床の排水溝の蓋を開けた。

「あら、何かしら、この黒いもの——」

 排水溝の中から、どろりとした黒いモノが溢れ出した。

 プク、プク、プク。

 いやな音を立てて、その黒いモノが吹き出した。

「! マーヤ! 」

 俺はマーヤの腕を引いた。

「リョータロ……!? 」

 目を見開くマーヤ。

「——っ! 」

 二人の足が縺れて床に転ぶ。

 咄嗟にマーヤの肩を両腕で抱き寄せる。

 真っ黒なものがぶるりぶるりと排水溝から頭を出す。

 バチリ。目が、開く。

 そして。


「ほぷう。」

 と、それは満足げにため息をついた。

「いやぁー。転がってたら排水溝に詰まっちゃったんじゃい」

 排水溝の中からポムポムしたものが話しかけてくる。

「なんじゃー? 二人して床に固まって。プププ、わしの威厳あるこの姿に恐れをなしたというわけかのう。ケツの青い小童こわっぱめ」

 テニスボールほどの、ぽよぽよした黒い球体。

 が、排水溝から頭を出して喋っている。

 モグラ?

 にしては、ツルツルしている。

 いや。そもそも、基本的に、人間以外の動物は人語を話さない。チンパンジーのアイちゃんはやっぱりすごいし、インコも毎朝挨拶してくれるらしいけど完璧な人語を喋るに至ったという話は聞いたことがない。隣の家のポチも懸命に技を教え込んでいる飼い主が「1+1は? 」っていうと「ワン! 」って吠え間違えてくれるけど人語には程遠い。ちなみにその飼い主は最近になって諦めたのか「1×1は? 」に鞍替えした——。

 そんなことが頭の中を駆け抜けていく。

 ビバ、現実逃避。

 落ち着け、俺。

 ——で、あれはなんだ?

「…………」

「どうしたのリョータロ」

「…………」

「怖かったの? 」

「………………」

 俺はすっくと立ち上がった。

 黒風船を素通りして、トイレの奥にある道具入れからモップを取り出す。

 排水溝から、ぽよんと頭を出してる、ちみっこい黒風船。

 おめめはクリクリ。お肌はツルツル。

 俺はモップで上から押さえつけた。

「還れ」

「あだだだだだだ痛い痛い痛い!!! 」

 モップの下から声が聞こえる。

「やだリョータロ、何してるの」

「止めるなマーヤ。人語を発するだと……ますます怪しいやつだ……」

「見たこない生物だけど、目の前に居るのなら現実の生物よ。怪しくなんかないわ」

 目の前に居るから怪しくないのなら、世のテレビが映し出す夏の怪談特集やあらゆる心霊商法は成立しないと思う。

「マーヤ。俺たちは何も見なかった。いいな? 」

「リョータロ、落ち着いてってば」

 マーヤがモップの柄を引き抜こうとする。

「排水溝に隠れててびっくりした怖かったのはわかるけど、悪さしたわけじゃないわ。ね? モップを離して」

「…………………」

 モップの下から、先まで泣いていた声が聞こえた。

「そうだそうだー! 」

 よせばいいのに。

 泣いたカラスがすぐ笑う。

 俺はスゥと呼吸を整えた。

還れッ!!!はらたつ

「ああああああ戻っちゃう戻っちゃう!! 排水溝に戻っちゃう!! 」

 ギャーーーッと。

 誰もいない科目棟に、妙な生物の鳴き声が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る