第五章
彼らの仕事の性質上、結晶士の宿舎は城門近くにある。
その裏手。大きな学校のような建物が、結晶士の訓練所だった。
学校のようとはいっても、何棟かの校舎があるというわけではない。建物は一つだ。その一つが大きいわけだが、グラウンドもある。
「出動がないときはここで勉強も教えてくれるんだよ。もちろん訓練所だから、トレーニングするところが多いんだけどね」
建物内の廊下を歩きながら、サギリが説明する。
訓練所の中には、ハナが思っていたよりも人がいた。見ない顔のハナが珍しいらしく、じろじろ見られる視線がいたたまれない。ブレザー姿も珍しいのだろう。この世界にない形だ。
「早く制服が来るといいねー。その服だと、ちょっと寒そう」
女王様から服を始めとしたいろいろなものを用意してもらったが、ハナはなるべくこのブレザーを着るようにしていた。
元の世界とつながるものは、これしかないのだ。必要以上に大事にしていた。
そうしてサギリは一つのドアを開ける。
「遅いですよ!」
響いた声に、耳がキーンとなった。
部屋の中で待ち構えていたのは、一人の女性だった。
金の髪を頭の高い位置で団子にし、メガネをかけたつり目の女性だ。その鋭い目は、ハナを射抜いている。
「『獣』はこちらの予定を待ってくれるわけではありません。いつ、いかなるときも、対処できるようにしておかなければなりません」
そう言って彼女はメガネの端をくいっと上げた。
「結晶士の指導をしてますリアンです。あなたがハナですね」
「はっ、はい!」
「女王様よりあなたの指導をするように仰せつかりました。結晶士はいつだって人手不足……。あなたには一刻も早く、一人前の結晶士になってもらわなければなりません。覚悟しておくように」
ハナのこめかみを汗がしたたり落ちたのは、部屋の暑さのせいだけではないだろう。
この部屋は、なぜだかとにかく暑かった。ハナの長そでのブレザーでも街中ではちょうどいいくらいだったのに、暖房でも効いているのだろうか。
「この部屋はいくら結晶を出しても平気なように、暖炉の熱を多く引いています。思う存分、力を発揮していいですよ」
リアン先生はそう言って手の平より少し大きめの結晶を出した。しかし部屋の暑さでその結晶もすぐに水になってしまう。
「リアン先生の針状結晶はすごいんだよ。国で一番って言われてる」
こっそりとサギリがささやいた。
「さぁ、あなたの結晶を見せてみなさい」
ハナはごくりとつばを飲む。できるだろうか。
あれ以来、一度も成功したためしがなかった。
サギリは「そのうちできるようになるよー」と言ったけれど、自信がない。これまでただの中学生だったのだ。いきなりこんな異世界に連れてこられて、すごい力があると言われても、実感が湧かない。
だけどリアン先生の目は、強くハナを見つめている。できないなどと言える雰囲気ではない。
ハナは覚悟を決めて、両手を前に掲げた。
「はぁ!!」
部屋にハナの声が響く。だが現れたのは、小さな氷のかけらだけだった。
「……ふざけているのですか?」
「ふっ、ふざけてなんかいません! わたし……どうしてもできないんです……」
きっとあの時出せたのは、まぐれだったのだ。もしくはなにかの間違い。
やっぱり自分には特別な力なんてない。ハナはそう思ってしまう。
うつむくハナの耳に、リアン先生のため息が聞こえた。
「本当に結晶士としても力がないのならば、たとえかけらだけでも出すことはできません。大丈夫。あなたは立派な結晶士ですよ」
リアン先生の顔はあいかわらず無表情のままだ。
だけどその言葉に、ハナは勇気付けられた。そう思わせるだけの力があった。
「リアン先せ……」
「それにわたくしの指導を受ければ、どんな落ちこぼれだって一人前になれます。いや、してみせます」
リアン先生のメガネの奥がギラリと光った。
その勢いに、ハナは思わず一歩後ずさる。
「じゃ、あたしたちは下のカフェで待ってるねー」
言うが早いかサギリたちはパタンとドアを閉めて行ってしまった。
カツリとヒールを響かせて、リアン先生がハナへと近づく。
「さぁ、始めますよ」
後にも先にも、こんなに怯えたハナの表情は見たことがない。
*
一時間後。訓練所一階のカフェには、ぐったりとテーブルに突っ伏すハナの姿かあった。
「だいじょーぶー?」
「……大丈夫じゃない」
ポンポン頭を撫でるサギリに、ハナは顔を上げないまま答える。
サギリのあははと笑う声に、ハナは顔をしかめた。
「リアン先生はきびしいからなー」
アルペングローの言葉にジウもこくりとうなずいた。
ハナはのろのろと顔を上げる。
「結晶士の道は、遠いんだね……」
さっきまでの訓練を思い出していた。
「逃げるだけじゃなくて結晶を使いなさい!」
リアン先生の怒鳴り声が響くが、ハナはそれどころではない。
ハナは部屋の中を所狭しと逃げ回っていた。リアン先生の生み出す結晶が、次から次へと飛んでくるのだ。
リアン先生の使うのは、針状結晶。先の尖った氷の結晶が、ハナめがけて飛んでくる。一つ一つは小さいし、部屋の温度のせいで当たる直前に溶けてしまうが、怖いものは怖い。
「あなた星状六花でしょう!? 盾を使いなさい!」
「そんな、ことを、言われても!」
さっとしゃがみ込んだハナの頭のすぐ上を、針状結晶がかすめていった。
星状六花の氷の盾を出して、この針状結晶を防げというのは分かる。だがどうやっても出ないのだ。
ハナだって最初は結晶を出そうとがんばった。だけどどうあがいても手の平サイズの結晶が出ただけで、とてもじゃないが自分の身を守れそうもない。
リアン先生はため息をついて、ハナへと向けていた手を下ろした。
「まったく……。今日のところはこれまでにしておきましょう。次回までに、せめて結晶を出すことを恐れなくなるようにしておきなさい」
それでようやく開放してもらえたのだった。
「まぁまぁ、これでも食べて元気出して? 訓練所のシフォンケーキ、おいしいって評判なんだよ」
サギリがずいっと差し出してくれた皿には、ふわふわのシフォンケーキが乗っていた。紅茶の葉が入っているようで、角の立ったホイップクリームが添えられている。
甘いものには抗えない。ハナはフォークを手に取り、シフォンケーキを口にした。
「おいしい……」
「でしょ? あたしもここのシフォンケーキ大好きなの」
頬杖を付いてにっと笑うサギリに、ハナは疲れが取れていくようだった。
おいしいケーキにホットショコラ。そしていやされる友達。
友達、と言っていいのだろうか。ハナは少し悩む。
宿舎ではサギリと同じ部屋だ。日中の行動もジウとアルペングローを加えた四人で過ごすことが多い。
だけど友達と言うには、まだ少し違和感がある。あのとき助けてくれたのがアルペングロー班ではなかったら、接点もなかったのだろうし。
「しっかしまぁ、そんな調子で明日から大丈夫かー? 明日からは一人だぞー?」
「え……。みんないないの……?」
「あたしたちは、明日からは外での仕事があるから」
すまなそうに言うサギリ。
そうだ。一緒に過ごすことが当たり前になっていて忘れかけていたが、結晶士は『獣』と戦うことが本分。街中でまったり過ごしているほうが珍しいのだ。
「夜には宿舎に帰ってくるから」
申し訳なさそうにサギリが言う。
遊びではないことはハナも分かっている。ハナはうなずくしかなかった。
*
あいかわらず、結晶を出せない日々が続いた。
「ここまでの生徒は初めてです……」
リアン先生も息も絶え絶えだ。
落ち込むのはハナのほうなのだが、そうも言われると言葉にできない。
リアン先生はできると言ったけれど、もう自信がなくなっていた。こんなにやってもできないのだ。才能がないのかもしれない。
「あまり根を詰めすぎるのも良くないですね。少し休憩にしましょう。ついてきなさい」
そう言ってリアン先生は部屋を出ていく。ハナも慌てて後を追った。
連れて来られたのは、一階のカフェだった。ランチタイムでもティータイムでもない時間だからか、店内は閑散としている。
リアン先生がトレイを持って戻ってきた。トレイに乗せられたカップをハナの目の前に置く。
「ホットショコラで良かったかしら」
ハナはうなずいてカップを手に取る。
落ち込んだ心に、ホットショコラの甘さが染み渡っていく。自分でも思った以上にへこんでいたようだ。
「あなたは、この世界の住人ではないという話でしたね」
「えっと、はい……」
いきなりなんの話をするのだろう。ハナは少し身構えた。
「そう警戒しなくてもいいわよ。アルデリアの話でもしようと思っただけだから」
そう言ってリアン先生はミルクティーを一口飲むと、頬杖を付いた。
「この国に住むのは、力を持つ結晶士と持たない一般人。でもどちらか片方だけでは駄目なのです。結晶士は『獣』から国を守るため、一般人は彼らと結晶士の生活を支えていくため、どちらも欠かすことのできないものです」
宿舎と訓練所の往復の毎日で、アルデリアのことなどよく知らなかった。
続きが気になる様子のハナに、リアン先生は薄く笑って口を開く。
「百聞は一見にしかず。実際に見て回ったほうが分かるだろうし、楽しいでしょう。案内してもらいなさい」
誰に、と聞き返そうとしたときだった。カフェの入り口が勢いよく開く。
「ハナー! ただいまー!」
サギリが駆けてきて、座っているハナの頭をぎゅっと抱き締める。
「早く帰ってこれたから、探し回っちゃった。ねぇハナ、明日は遊ぼう! あたしたち、非番なの。ねぇリアン先生、いいですよね!?」
「いまその話をしていたところです。そろそろ制服もできるころでしょう。行ってらっしゃい」
「やったー!」
サギリはハナの肩に手を置いて、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
なにがなんだか分からないハナは、ただ目をぱちくりさせるばかりだった。
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