最終章『黒曜のサナトリウム』(3)
最期の閃祈に、これまでの経緯と真実を伝えた。
あきら一族の秘密。
黒曜館の成り立ち、そして使命。
彼女が黒曜機関で生まれた実験体の、四九人のうち一人であること。
俺も、そこで生まれた実験体だったこと。
……俺自身と、遺伝子的には兄妹であることも伝えようとしたのだが。
これまでの彼女と自分が、どういう関係だったのかを思い出して、やめておいた。
なぜなら俺達は――
「ん、どうかしたんですか?」
「いや。私達は〝医師と看護師〟だろうな、と」
「当たり前じゃないですか。ずっと、そうだったんですから」
おかしなことを言いますねぇ、と。
閃祈は困惑しながらも、その穏やかな微笑みを浮かべたままだった。
……彼女の言うとおり、だ。
いまさら兄妹よりも、ずっと相棒の方が、俺達らしいのだから。
それからしばらくして。
俺は、俺以外のことを、すべて話し終えた。
*
「最期に言うべきことがある。本当にすまなかった。君個人に謝罪しても許されることではない。私は今までの〝君たち〟に対して、あまりにも非道極まる行いをしてきたのだから」
謝罪を口にしながら、俺は閃祈に向かって頭を下げた。
しばらく彼女は口を開かず、じっと俺の姿を眺めていたのだが……やがて縁側から腰を上げて俺の真正面に立つ。
そして、まっすぐ見つめながら返答した。
「……わたし達は先生を恨んでなんかいません。むしろ感謝しています。たった一年しか寿命が無いことを内緒にしていたって、全然気にしてませんから」
「それは何故だ? 俺は、ずっと君たちに隠し事をしてきたんだ。それも一度だけじゃない、四八回にも及んでいる。君には、俺を謗る資格がある」
「だって、とても幸せだったんですから。むしろ感謝したいくらいですよ。まあ黒曜館の生活が、いきなり今年で終わってしまうのは至極残念ですが……すでに、わたしの中は幸せだった記憶に満たされていますから」
閃祈は〝自分たちは楽しかった〟と言っていた。
たとえ自分の命が一年限りだったとしても、四八人の異なる自分が、それぞれの一年を謳歌したことを「よかった」と思っていたのだ。
そして、それは彼女だけではなく。
神楽坂命砥という、四八年を共にした俺もまた「楽しかった」と思えたのだから。
――最期の閃祈は懐に手を入れながら、俺に尋ねた。
「それに先生は、自分のことを隠していますよね?」
「なに?」
「わたしの胸元に嵌め込まれている黒曜石は、おそらく貴方の物なのでしょう?」
「それ、は……」
「さて。わたしは貴方が、わたしから手に入れた黒曜石を、いま手にしています」
閃祈が懐から手を取り出して、握り込んでいた掌を開くと、たったひとつ残された〝最後の黒曜石〟があった。
どうやら俺が〝書斎にある机の引き出し〟に保管していたものを、彼女は勝手に取り出していたらしい。
……そんなことまで可能なほど、明確に記憶を引き継いでいたのか。
そう思っていたのも、束の間。
月明かりが真っ黒な〝それ〟を照らした途端、どこか柔らかく暖かい煌めきを感じた俺は、すっかり彼女の手から目が離せなくなってしまった。
なぜなら。
それは、とても尊い光だったから。
三原色から生まれた〝漆黒(きざし)〟という、未来と希望の白紙(こくばん)だったのだから。
「――この黒曜石こそが、貴方に用いられる予定の、最後の与命四九年式黒曜石です」
潺は、こうなることを予見していたのだろう。
命を理解した俺が、閃祈に自分の命を与える未来を。
そして、そうなったときの対処すら。
***
『約束の期間を終えたら、次の四九年間を惰性のまま生きて、そのまま死のう』
そう、かつての俺自身は考えていた。
だから、俺が『生きよう』とする意志を見せたのなら――閃祈によって『四九年分の素敵な人生が、貴方には用意されている』と伝えることを、潺は計画したのだろう。
俺が〝寿命を設ける仕事〟から〝生きる〟ことの価値を見つけられたのなら。
俺自身が己の人生に〝意味〟を見出す可能性があったから。
それは〝死ぬことができる〟からこそ〝生きがい〟があるという祝福。
いままで死ねなかった不老不死患者(イモータル)によって教えられるであろう、生と死の尊さ。たとえ寿命が〝閃光〟のように儚い一年だったとしても、次代に遺して伝えるものがあるかぎり、次に新しく生まれる命も幸せでありますようにと〝ささやかな祈り〟を捧げながら後に世を去れるなら――人生一〇〇年越えも悪くないだろう。
……未来を俺たち二人に託してから、示方潺は姿を消した。
一一六年分の黒曜石を一個、神楽坂命砥に譲渡して。
四九年分の黒曜石を四九個、示方閃祈達に託していたのだ。
***
「生きてください、神楽坂先生」
閃祈が黒曜石を、俺の手に握らせる。
ふたつの手は、互いを決して離すことはなく。
俺は、彼女と触れ合った温もりから、いままでの暖かい日々を思い出した。
「わたしが――いえ、これまでの〝わたし達〟が、貴方に『この世界を生きてみたい』と思わせられたのなら。その手に握った黒曜石を、どうか自分に」
*
「いままで〝君たち〟がいてくれて、本当によかった」
「はい。わたしも、わたし達も、貴方と出会えて嬉しかった」
かつては死んでもいいとさえ思った。生きるのが面倒だったから。
いまは、まだ死にたくないと願った。生きるのが楽しかったから。
「これから俺は、俺らしく生きることができるのだろうか。それが一番の気がかりなんだ」
「できますよ、きっと。だって、わたしも〝わたし達〟だけじゃなくて、皆との想い出があったからこそ、わたしは〝わたし〟になれたんですから。先生も同じなんです」
「なんだ。答えは、もう君が出していたんだな」
「はい、先生。貴方も最初から〝貴方だけ〟で出来ている訳じゃない。はじめて出会った人から、いままで出会った人すべてが、貴方を〝貴方らしく〟している欠片になっているんです。だから貴方は皆を、他人を〝生きる理由〟にしたっていい」
他人のせいにして、生きるのではない。
誰か(みんな)のおかげで、俺は生きようと決意したのだ。
「俺は、ずいぶんと無茶をしようとした挙句、いらない気遣いまで考えていたんだな」
「そのとおりです。いままで先生は滅私奉公が過ぎました。というより医者の不養生ってやつですね。悩んでいるときくらい、素直に他人を頼ったっていいんですから。大体、他人のために働く職業に就いておきながら、どうして矛盾したことを考えているんですか……」
「君の言うとおりだ。もっと早く、打ち明けていればよかった……は、はは」
「せ、先生が笑った!?」
「いや、おかしくてな――ははっ。本当に、我ながら優柔不断が過ぎる」
閃祈は目を大きく見開いて、俺の笑顔に驚愕する。
他人を前にして笑うのは、少々気恥ずかしいものがあったが……しばらく俺は、自分自身の馬鹿馬鹿しさに、笑いを堪えることができなかった。
「うっわ。先生が笑ってるのなんて、はじめて見ましたよ。きっと歴代の〝わたし達〟も、こんな先生は見たことが無いですよ」
「はっ、はは――そりゃあ笑うさ。なにせ四九年間も苦悩し続けた答えが、こんなにも簡単なことだったんだから。すこし周りを見渡してみたり、他人に軽く相談すれば済む話だったのに」
「そうですねぇ。先生は真面目過ぎたから、余計に混乱しただけなんですよ」
「……俺は真面目なのか?」
「くそ真面目ですが、なにか?」
「普通だと思っていた。たしかに、笑うことが不得手だという自覚はあるが」
「そんなレベルじゃないでしょう。わたしだけじゃなくて、黒曜館の皆が、貴方は冗談が通じないと思ってますよ。いつも仏頂面で、それが崩れたところは滅多にないですし」
閃祈は苦笑しながら、他人から見た俺のことを容赦なく評してくれた。
そんな評価に俺はショックを受けながらも……自分なりの生き方を、ひとつだけ決めてみたのだ。
「これからの俺は、すこし遊び心を取り入れてみるべきかもしれないな。いや、是非そうしてみよう」
「遊びが過ぎて、灰城さんみたいにならないでくださいね」
「そこまではない、というか無理だな」
「いえいえ、それはどうでしょう。案外はっちゃけると、どこまでも行っちゃいますからね。わたしだって、最初期の自分は先生と似たような感じだったのでしょうし……」
「待て――〝俺と似たような〟とは、一体どういうことだ?」
俺が抗議の声を上げつつも、閃祈は黙して、心配の眼差しを向けたままである。
仕方ないので、一応、忠告だけはありがたく受け止めて。
しばらく俺は、未来に想いを馳せたのだった。
……そうだな。
将来の夢といったような、自分自身の具体的な理由だけで、人生を謳歌できなくとも。誰かに『生きて欲しい』と願った自分が、これからも一人の医者として、誰かの人生を見届けたいと願ったのだから。
その生きがいを誇らしく思わないで、どうするんだ。
生きがいを見出したのなら、文字通り〝一生懸命やり遂げてみせろ〟――神楽坂命砥。
四九人の閃祈達が、精一杯、幸せに生きてきたのだから。
自分にだって出来ないわけがない。
寿命の限り、人の間を取り持ちながら生きてやる。
幸い、それができる職業に就いているのだから――人外から人間限定の医療にシフトするのは、すこしばかり面倒かもしれないが。
……もう迷うことはない。
俺は頬から力を抜いて、自然な表情を浮かべながら、彼女に尋ねた。
「それにしても。本質的には君と同じだったんだな、俺も」
「……そもそも人間というのは〝一人で生きられる〟訳ではないと思います。誰かと繋がりを持たなければ生きていけませんから。わたしと先生だけじゃない、誰だって同じように家族や友人をはじめとした、たくさんの人との生活から、自分を〝自分らしく〟してもらっているのでしょう」
――あなたは一人じゃない。
使い古された、実に青臭い台詞だが、それこそが俺以外にも当て嵌まる正解(じょうしき)だった。それは黒曜石の有無に関わらず、誰にでも言えたことなのだから。
「家族か。兄妹が当て嵌まるな」
「あかりちゃんと輝くんは、ああ見えて〝他人の振り見て、我が振り直す〟を実行してますからねぇ……えぐいって言えば、それまでですが。意外と互いの個性というものを、双子だからこそ尊重しているのかもしれません。双子って言うと、いつも〝どこが似てるの〟って、何度も聞かれることが鬱陶しいと言ってましたし」
「いや、そっちではないんだが」
「はい?」
まあ、いいだろう。
そのことは俺の胸に閉まっておこうと決めたのだ。それに打ち明けることが多すぎても彼女が受け入れるのに困るだけだ。これから先は長いのだから、ゆっくりと一つずつ昔話をしていけばいい。
「……それ以前の話だな。厳密にいえば、俺達は人間ではないのだから」
「それを言ったら台無しですよ。でも、まあ一緒ですね。たとえヒトならざる人外であっても、きっと孤独には耐えられませんから」
「そう、だな。まさに俺が、そうだった」
「ふふっ。先生って、意外と寂しがり屋さんだったんですねぇ」
閃祈は、からかうように笑いながら言ったのだが。
それこそ、お互い様だろう。彼女達も家族がいないことを気に病んでいたのだから。
なにより俺達二人は〝黒曜館の相棒同士(きょうだい)〟とも云えるから。
俺も、彼女との離別は〝半身が別れる〟ような気がして――正直、とてもつらい。
……だが、それでも。
「本日をもって、黒曜館を閉館にする。お勤めご苦労様、示方閃祈看護婦」
「お世話になりました、神楽坂先生。これからのわたしは、ミステリアスな美少女ではなく、そうですね……人生経験豊富な一歳児としてやり直しますか――ふふっ」
「なぜ、そこで笑うんだ?」
「わたしが退職する前に、黒曜館の方が終わっちゃいましたから。実は、いままでのわたし達って〝こんな職場、いつか絶対に辞めてやるぅーっ!〟とか意気込んでいたらしいですし」
「なるほど、君達らしい。ずっと辞めずに勤め続けた〝惰性〟というところがな」
「そこは根性ですから! わたしの皆勤、すこしは褒めてくださいよぉ!」
必死な声を張り上げる閃祈の姿を見て、また俺は笑ってしまう。
「ははっ……閃祈。黒曜館を離れても、また会える日を楽しみにしている」
「ええ。そのときまで、先生も息災で」
「君こそ風邪を引くなよ、ブラックナース」
「いえいえ、先生こそ――って、人外は風邪を引かないんじゃないんですか?」
閃祈は首を傾げながら、俺の言葉に疑問を抱く。
そんな彼女に、俺は肩をすくめながら精一杯ふざけてみたのだ。
「俺なりの冗談(ジョーク)だよ。四九年前に思い付いて、今日はじめて使ってみたのだが……どうだ、面白かったか?」
「盛大に滑ってますからね、それ……あ、退職前に有給休暇分の給与は頂きますよ。勤め先がなくなりますし。というか四八年間分の有給を使った記憶が――まさか」
「……その、同じ姿といえども、君たちは一人一人が別人だろう?」
「…………」
「すまん、実は有給一回も使わせてない。あと、そもそも半年未満しか勤めていない君に、有給は付与されて……ない」
「………………」
「待て、待ってくれ。その黒曜石を握りしめた右腕を振りかぶって、一体どうしようというんだ?」
「――いっぺん、貴方みたいなブラック雇い主は死ぬべきかなって」
「ちょっ、やめろ、やめてくれ――!!」
***
これから、俺は〝どうなるんだろう〟
不安と心配で、胸が一杯になる。
それと同時に、頭の中では〝未知への期待〟が膨らみ始めているのだ。
黒曜館から離れた自分は、きっと何も知らない世界で苦労するだろう。
でも、だからこそ俺は〝新しい俺〟になれる。
新しい居場所、新しい隣人を通じて……いまみたいな、自然な笑顔を綻ばせる日が来るかもしれない。
これからの四九年を、自分なりに頑張って生きてみよう。
俺が、俺に誇れる、俺になるために。
――ふと、上を仰ぎ見てみる。
すると偶然、一筋の流れ星が夜空を閃いていた。
手にしている黒曜石の煌めきと、まるでそっくりだった。
そういえば。
願い事は、それが消える前にするものらしい。
俺は、その黒曜石(ねがい)を胸元に翳した。
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