最終章『黒曜のサナトリウム』(2)


 平成三〇年、四月一日。

 とうとう最期の一年がやってきた。

 今年の亜人共同体からは、まだ不老不死患者についての話が無い。

 前振りもなく、いきなり手術を要求されるのだろうか? 

 ――いや、それはないはず。

 毎回のように手術日自体は突然訪れるが、不老不死患者の紹介と予約については、これまでの四八年間に一度の例外もなく、四月の時点で連絡されていたのだから。

 今年だけが例外というのは、おかしい。

「まさか」

 ……不老不死でもない俺が〝最後の患者〟だとでもいうのか?

 はじめから、手術する患者は四八人に限定している等の疑惑があった。

 黒曜館は、潺から計画を託された〝あきらちゃん〟に頼まれて事業を始めたのだから。そういった〝示方潺の意地悪〟に、彼女達が自覚の有無に関わらず加担している可能性が高い。

 もし、そうなのだとしたら。

「潺さん。やはり黒曜館は、貴女が仕組んだ〝俺の療養所〟でもあったんだな」

 かつて死の瀬戸際にあった実験体に、不老不死少女が『生きろ』と強要した。

 それは、いまになっても続いていて――

「俺の負けだよ……〝母(せせらぎ)さん〟」

 黒曜館における生活が、いつのまにか楽しくなっていた。

 毎年、たくさんの患者が来てくれて、そのうち一人は不老不死を抱えた人外。

 彼ら、彼女らとの触れ合いを通じて、いつしか生きがいのようなものを感じていたのだ。

 ……さらにいえば。

 示方閃祈という存在は、うるう年の三六六日目になると、途方もない喪失感を憶えるくらい、大切な家族だと想っていることに気付いた。

(あきら達には悪い言い方だが。彼女たちが閃祈の亡骸を迎えに来るたび、俺は憂鬱な気分になってしまうくらいだ……)

 きっと潺の予想どおり、俺は『まだ生きていたい』と願いはじめている。

 それと同時に――


          *


 俺は自身の胸元にある黒曜石へ、そっと手を伸ばす。

 潺の使用登録自体は、彼女の使用直後から解除済みだった。

 つまり神楽坂命砥(おれ)を、使用者に再登録することが可能になっている。

 ――この黒曜石を、閃祈のモノと交換するのだ。

 そうすれば彼女は〝俺の黒曜石〟に残されている〝四九年分〟の寿命を得られる。

 歴代の閃祈に託された想いを背負って、最後の彼女は一年の向こう側を超えられるのだ。

 だが問題は、彼女から取り外した与命四九年式黒曜石の方だった。

 俺は彼女に、それを使ってもらえれば〝同じ四十九年間〟を生きることができるのだ。

 が、しかし。


 ――四八年間、ずっと閃祈達を見殺しにしてきた自分が、いまさら彼女に図々しく命乞いをするのか?


 最後の閃祈だけ、自分の命を譲渡しておきながら、なに食わぬ顔で〝彼女の持ってきた四九個目の黒曜石〟を、自分のために使ってもらおうとするのは――

「烏滸がましいことだろう、それは」

 そんな恥知らずな真似をしてまで、俺は生き延びるべきではない。

「俺のことはいいんだ……それより」

 示方潺の模造体(クローン)であり、俺の大切な妹――仕事の相棒。


「……生きて欲しい。最後の閃祈(いもうと)だけでも」


          *


 それは最期の閃祈が、はじめて黒曜館に訪れる直前の出来事だった。

(……これは)

桜の花弁が、書斎の窓際に落ちていた。

 春に咲き誇り、そして儚く散ってしまうことが、どうしようもなく俺に〝彼女たち〟を想起させている。

「俺は、閃祈に命を譲渡するために生きてきたのか? それとも、まだ生きていたいと、そう思っているのか?」


〝あのとき死んでいればよかった〟

 

そんな思いとは相反する感情が、俺の中から溢れ出そうとしている。

「――これからの皆は、どう生きるのだろう?」

 四九年の寿命を得た彼ら彼女らの、人生という名の物語。

 だが、自身の黒曜石を譲渡した俺には、それを読むことはない。 

 ……もっと彼らのことを知りたい。

「忘れろ、俺」 

 脳裏に浮かんだ言葉を否定して、必死に堪えたのだが。

 結局、その本音は口元から零れ落ちてしまった。


「――まだ。死にたく、ない」


 はじめて。

 俺は神様に命乞いをしてしまった。

 生きる理由が見えてしまったから。

 限られた人生を謳歌する皆を、もう二度と眺められなくなるのが、とても怖くなってしまったから。

 しかし、俺が生きていたとしても、その未来(さき)に閃祈がいないのでは――

「……いや。そもそも生きる理由が、自分にないのでは話にならない、はず」


 誰かの人生を見ていたい、すなわち〝他人のせいにして生きる〟

 本当に、それでいいのか? 


          * 


「閃祈。どうか幸せになってくれ」

 迷いがあった。

 逡巡は幾らでもした。

 だけれど俺は、自分を死なせて、彼女を生かすと決意した。

 ……手術台に横たわる、示方閃祈の寝顔を眺めながら。

 俺は、そっと彼女に呟いた。

「君を遺して先に逝ってしまう俺を、どうか精一杯、許さないでくれ」

 ……俺が君たちにしてきた隠し事は、どう足掻いても償えるものではないのだから。

 彼女の胸元に嵌め込まれた黒曜石を取り外し、俺自身のモノと入れ替える。

 こうして、彼女に〝四九年の寿命〟が設定された。

 そして俺には〝一週間の寿命猶予〟が設定された。

「ひとつ、黒曜石が余ったな……まあ、いいか。どうせ使い道なんて、たかが知れている」

 俺は、彼女から取り外した黒曜石を、いつも通り〝引き出しの中〟にでも入れておこうと思いながら……最後の七日間を、どう過ごすのかを考えた。

 はず、なのだが。

 結局は〝いつものように〟閃祈との日々を過ごしていた。

 診療所の医師として、彼女とともに患者を診察する。

 ただ普通に生活しているだけで、いつのまにか最期の日は訪れたのだ。


         ***

 

 俺の余命が尽きる、最後の夜になった。

 あらかじめ閃祈には〝大事な話がある〟と言って、縁側の方へ来るように伝えてある。

 春を迎えたばかりの外は、すこし肌寒かったから。

 やがて約束の時間が訪れると、俺達はそれぞれ上着として浴衣を羽織りながら、縁側に向かっていた。

「遅いですよ、先生」

「すまない、すこし遅れてしまった……そうだな、適当なところに腰掛けていい。なんなら、座布団も敷いておこう。すこし待っていてくれ」

「あ、それなら敷いておきましたから――ほら」

「……ずいぶんと手際が良いな」

「大切な話があると言われれば、事前に準備もしますって。さ、わたしはここに座りますから。先生も隣にどうぞ」

「了解した」

 俺たちは並んで、そっと静かに縁側へと腰掛ける。

そこから星々が鏤められた夜空を眺めながら、俺は話を始めたのだ。

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