幕間(3)
次のことなんて、なにも考えていなかった。
自分勝手に閃祈さんを憐れんでいて、実際は〝自分の失恋〟を遠ざけようとしていたのが、オレのやってきたことだった。
「う、うぅ」
悲しいとか、悔しいとか、一言では表現できない想いが、胸を突き刺すように傷んでくる。
零れた涙が辛くて、思わず咽掛けてしまう。
遠ざかる閃祈さんの後姿が霞んでいった。
オレが置き去りにされたようで、その実は彼女が〝行き止まり(じゅみょう)〟を迎えようとしている。
「なにも、できなかった……っ」
いや、そもそも何もしなくてよかったんだ。
ただ皆と楽しく日々を過ごすだけで、彼女は幸せだったから。
でも、オレだけが、それに満足できなかっただけで。
「……無理だよ」
いまのオレには〝次の閃祈さん〟と、仲良くやっていける自信なんて、ない。
閃祈さんの、次代に託してゆく想いを台無しにしてしまいそうな、自分が憎たらしい。
「オレは……どうすればいいんだ」
力無く呟いた、その直後だった。
「こんなところにいたんだ、テル」
いつの間にか、シエルが背後に佇んでいた。
オレは振り返って、ぶっきらぼうに彼女を拒絶しようとする。
……正直、こんなタイミングで来られても、なにも話したくなんてなかったから。
「シエル? なにか用かよ、こんな場所にまで来てさ。悪いけど一人にしてくれよ、今、オレはそれどころじゃないんだ」
「こっちが訊きたいよ、それ。どうして閃祈さんを連れて、黒曜館を飛び出したのかな? あたし、あなたを探すのに超苦労したんだから。ほら、行くよ」
「やめろ、やめてくれ。もう黒曜館には、二度と行かな――」
「は?」
「えっ?」
オレ達は互いに呆けた声を出して、顔を見合わせる。
しばらく無言のままだったが、やがてシエルの方から、オレに用件を切り出してきた。
「黒曜館じゃなくて、あたしはこれから〝馬鹿吸血鬼〟をぶちのめしに、市外まで行くんだけど。とりあえず一緒に来てよ、人手不足なの。戦っている最中に、あの馬鹿が持ち込んでいる撮影機材をぶっ壊すの、手伝って」
「……おい」
「え。なに、その反抗的な目……ふ、ふふ。嫌だと言っても連れていくから」
オレの抗議を訴える眼差しに気付いた途端、シエルは〝ぞくぞくっ〟と躰を震わせて、性的興奮を催すかのように、両腕で抱いた自身の躰を捩じらせた。
(ちょっと待て。シエルはオレのことを、どう思っているんだ? まるで飼育しているみたいな――いや、それよりも〝愛玩〟の方が近いような。って、異性相手に抱く感情じゃないだろ、それ!?)
シエルは、目の前にいる少年を屈服させたいという、嗜虐的な嗜好を露わにしていて。
身の危険を感じ取ったオレは、彼女から逃げ出そうとする――が。
「だーめっ。今日は逃がさないから」
「なっ!?」
背を向けたオレに、シエルは素早く両腕を回して拘束する。
体格差はあれど、彼女の人外染みた腕力がモノを言ってしまい……情けない話だが、がっちり身体を締め付けられたオレは、まったく動けなくなってしまった。
不老不死が治療されたとはいえ、その後遺症によって彼女は強靭な肉体を有しているらしい――その代わり、成長期が他人より遅れているのだと、神楽坂先生は言ってたっけ。
って、そんなこと考えている場合じゃないだろ、俺。
「は、離せっ! 今日くらい一人にさせてくれよ! いま、オレは――」
「あたしゃ知らね。勝手に泣いてろ」
「おいっ!?」
「テル。あなた、しばらくあたしのモノになってよ」
「は?」
「辛いことを思い出すなら、逆に何も思うな。嫌なことばかり考えるなら、逆に何も考えるな。モノが思考するな。ずっと黙って、あたしの言うこと聞いていればいい。なんなら人生のすべてを、そういう風に生きてもいいから」
「ふ、ふざけんな! 他人を何だと思ってやがる!!」
シエルの羽交い絞めを振り解いて、オレは彼女と真正面から相対する。
本来なら無理な芸当だったが、いつのまにか彼女は力を緩めていたのだ。
それが、どういう意図だったのかは知らない、けれども。
「おまえのそういうところが、オレは苦手なんだよ……っ!」
「そう、それでいいの。閃祈さんの件は〝理屈〟で間違っただけ。その想いは歪んでなんかいないから。だから立ち直れるでしょ。ほら頑張って、男の子」
「……慰めてんのか、おまえ」
「んー。あなたがフられたことで、あたしは悦びを憶えるんだけど。それでも慰めてるって、言えるのかなぁ? それとも追い打ち掛けて愉しんでいるだけ?」
「知るかよ、このドS……」
俺は呆れ果てながら、思わず溜息を吐く。
そんな様子を見て、シエルは不満そうに唇を尖らせながら言ったのだ。
「一応、言っとくけど。あたしは、あなたじゃなければ構ってないからね」
「余計な御世話だっての。オレを玩具みたいにするのは、いい加減にしてくれ」
「そう、それ。それが好きなんだ」
「は?」
「そういう〝理不尽だと思ったこと〟に反抗的なのが、あたしは好きなんだよ。すっごくガキ臭くて、青臭いことを糞真面目に言って、どんどん恥ずかしい黒歴史を積み重ねてゆく、どうしようもなくカッコ悪いところが、とっても好き」
「そんな告白、全然嬉しくねぇよ。この真性サディストが」
しかも、オレの失恋に畳みかけてるとか。
悪趣味極まるんだよ、この性悪女。
「ふぅん、そう。でも……」
悪戯っ子な表情から、いきなり〝切ない表情〟を浮かべて。
戸惑ったオレの不意を突いて、シエルはオレの身体にしな垂れかかった。
「ちょ、おい!」
シエルを離そうにも、寄り掛かった体重と、すばやく肩に回された両腕によって、またもやオレは拘束されてしまう。
そして間髪入れずに、彼女は耳元で艶っぽく囁いた。
「――好き」
「っ!? ばか離れろ!」
シエルは一言だけ口にして、すっと大人しく離れていった。
その瞬間、わざと互いの唇の端を触れ合わせた行為が、シエルらしい〝想い〟の伝え方だと、オレは理解していて。
閃祈さんへの想いを無様にぶちまけたオレよりも、ずっと上手(うわて)だと思えてしまったから……ちくしょう。
なんで失恋した直後で、こんな目に合わなくちゃならないんだよ。
「ほら、早く来てよ。でないと強引に引き摺っていくからね」
「わかった、よ。行けばいいんだろ、行けば」
「……やだ。あたしに押し負けて従順になったテルもいいかも」
「よくねぇよ、こっちは」
「いやー、失恋直後を狙った甲斐があったかな。実にからかい甲斐があるし」
「勘弁してくれよ、マジで……」
*
市外まで向かう道中。
オレは人気が少ない電車の中で、隣のシエルに尋ねた。
「なあ。どうしたら、おまえみたいになれるんだ?」
「ならなくていいんじゃない? あなたは〝あなた〟のままが一番だから。というか、あたしに感謝してよね。あたしがいなければ、今頃、あなたは吸血変態オジサンよりも情けないままだったんだからさ。いい? これから情けなくなるのは、あたしの前だけにすること。いまみたいに追い打ちを掛けて(なぐさめて)あげるから」
「……あ、ありがた迷惑だっての」
「あはは、素直じゃないんだから」
快活に笑いながら、シエルは電車の窓から田園風景を眺め続ける。
でも、そうじゃないんだ。
オレが思わず「ありがとう」と言いかけて、それを引っ込めたのは。
その方が、オレ達らしいと思ってしまったから。
(オレ、こいつのこと考えておかないと。じゃないとマジで引っ込みつかない辺りまで引きずり込まれそうだ)
いや、もう手遅れかもしれない。
そう思いながら、オレは妙にすっきりした気分でシエルの横顔を眺めていた。
***
「お兄ちゃん、か……」
俺が飲み干したコーヒーを机の上に置いた、その時だった。
机の引き出しが〝がらっ〟と開いた途端、そこから〝にょっ〟と〝青いハムスター(あうぐすくん)〟が現れて、いきなりジェームズさんに暴露したのだ。
「いや君ら遺伝子的に双子の兄妹でしょ。黒曜石を食べたボクには判るし。躰の体質上、閃祈さんの黒曜石から、いろいろと情報が筒抜けだし」
「なっ……」
「そうなのか、神楽坂先生? にしては歳が離れているように見えるが……君たちは家庭的に複雑な事情を抱えているようだね。あまり訊かれたくないことかな? それに今、誰が話して――青い、ハムスターだと?」
「あっ、ボクは〝あうぐす君〟だよ。みんな大好き魔法少女のマスコットさ!」
「魔法、少女? では先程の特撮は――まさか本物の魔法とやらを扱っていたのか?」
黒曜館の現実感に乏しい裏事情に戸惑いながら、ジェームズさんが尋ねてくる。
俺は彼に黙って首肯しながら、もうひとつの質問にも答えることにした。
「……閃祈が席を外している今なら、すこしだけ話してもいい」
「いやいや、ぶっちゃけ言っちゃえば、先生?」
「どう見てもハムスターにしか見えない君の素性はともかく……女性の心というのは繊細なものだよ。すでに彼女の心は十分に満たされているように僕は思える。いまさら関係をぎくしゃくさせるようなことを言ってしまうのは、あきらかに不要だろう」
「……結局、俺はどうするべきだと思うんだ、二人とも?」
もどかしい気持ちに唇を震わせながら、俺は目頭を押さえて天井を仰ぎ見る。
いつまでも選択できない俺を見て、ジェームズさんは嘆息しながら、あうぐす君は呆れながら、それぞれの意見を返してくれた。
「もう、先生はっきりしてよ。医者と看護師のままでいいの? それとも生き別れの兄妹ってことに後ろめたいことでもあるの?」
「それ、は――」
「いいんじゃないか、それで。医者と看護師、仕事柄の相棒というので、すでに満足しているのなら。僕らが言わずとも家族同然の仲だろう、君らは」
ジェームズさんの後押しによって、すこしだけ心が軽くなる。
だから俺は、建前や見栄などではない本音を零すことができたのだった、が。
「今のままが、いい」
「ふーん、そっか。先生のヘタレ」
「こらこら。あえて言わないというのも決断力の為せるものだよ」
そう、ジェームズさんは俺を肯定してくれたものの。
自分は現状維持に逃げ込んだという自覚があったため、あまり嬉しくは思えなかった。
そもそも。なにをどう繕うが、どうせ来年が最期の四九年目なのだ。だから今更、俺と閃祈の関係を明らかにしたところで遅かれ早かれ――
(いや、遅すぎたんだ。はじめから閃祈のことを想ってやっていれば、こんな中途半端なことにはならなかった、はずなんだ……事なかれ主義のようで自分が情けないな)
後ろめたい蟠りが、心の奥底に溜まりこんでゆく。
だが時間は容赦の一欠けらもなく、ただ過ぎてゆくばかりだった。
「ま、いっか。兄妹の再会なんてドラマチックなことを無理に強要したって、なにも面白くなんてないし……ん、そろそろ閃祈さんが帰ってくる頃合いだね。ボクは、この辺でお暇するから。実は、さっきまでお昼寝してたんだよね。先生たちの話し声で起きちゃったけど」
「……申し訳ありません、騒がしくしてしまいました」
「ううん、気にしないで先生。じゃ、引き出し閉めるのよろしくね」
あうぐす君は再び机の引き出しを開けて、その内部の一角に積み込まれた〝綿〟のベッドに潜り込んでゆく。それを見届けた俺は、ゆっくりと引き出しを押し込んでいった――構造上、彼自身では引き出しを閉められないのだ。
木の軋む音を立てることなく、すっと引き出しは閉まった。しかし、その取っ手から俺の指は離れようとはしない。
ずっと頭の中で、あうぐす君の言葉が反芻していたからだった。
『それとも生き別れの兄妹ってことに後ろめたいことでもあるの?』
……正直なことを言えば、ありすぎて困る。
だから現状維持で精一杯なんだ。
(だが、いまは手術が先だ。考えるのは後でいい――っ、これも大事なことを後回しにする、ただの言い訳に過ぎないか)
胸の奥に重いものを感じながら、俺はジェームズさんの手術に臨むのだった。
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