第4話『フランケンシュタイン』(4)


「憶えていますか? 閃祈さんがオレと、はじめて出会った場所のことを」

 黒曜館から遠く離れた、人気のない公園に到着してから、彼は唐突に口を開きました。

 道中、ずっと無言のままだったので、わたしは戸惑いながら〝わたしの知っている範囲〟で答えます。

「そんなの知っている訳ないじゃないですか。今日、はじめて出会ったんですよ。わたしと輝くんは」

「本当に知らないんですか?」

「はい。それより輝くん、喉が渇いていませんか? 冬場とはいえ、ずいぶんと汗をかいていますし。わたしが自販機で買ってきてあげますよ。そこのベンチにでも座っていてくださいな」

「……お願いします」

 わたしはベンチから離れ、その辺りにある自販機を思い出しながら目星を付けます。

 輝くんは何を緊張しているのか、わたしが視界から外れるまで、ずっとこちらを窺っていました。座ってもいいと言ったのに、彼はそうする素振りも見せません。

(……なんといいますか、やりづらいです)

 ベンチを設置している休憩所の方には、相変わらず炭酸系が用意されていません。

 なので、もう一方――公衆トイレの死角にある自販機を利用することにしました。

(うっわ。まだ、こんなわかりづらいところに自販機があったんですね。自販機が一つしかない休憩所の方に、全部移動してしまえばいいのですが。さらにいえば、休憩所にあるのは炭酸系が皆無ですし)

 わたしは、いつものように缶コーラを購入して、それを輝くんのところまで運びます。

 そして、それを差し出しながら、うっかり訊き忘れていたことを尋ねました。

「はい、缶コーラですよ。四谷サイダーの方がよかったですか?」

「いえ、どちらでも構いません。ありがとうございます。でも貴女は迷いなく、躊躇うことなく〝知らない位置にあるはずの自販機を利用した〟ことに気付いていますか?」

「え?」

 わたしの手から缶コーラを取りながら、彼は言いました。

「俺と出会ったばかりの頃には、この辺りに黒曜館があった。だから〝当時の貴女〟は知っていた。でも、ここへ来たのは貴女個人にとって〝はじめて〟です。今の貴女には、以前と変わらない自販機の位置なんて、絶対に知り得ないことなんです」

「それ、は……あっ」

 わたしは輝くんの指摘した〝矛盾〟を理解してしまいます。

 彼は缶コーラをベンチに置いて、わたしに追及しました。

「どうして自販機が休憩所の方ではなく〝公衆トイレ横の死角〟にあるって、わかったんですか。それとベンチ近くの自販機に炭酸系が無いことにも、まったく動揺していなかったでしょう。昔、転んで泣いていた俺を宥めるべく、四谷サイダーを買ってきてくれたときに〝別の貴女自身が話していたこと〟ことですよ?」

「……そっか。やっぱり、そういうことだったんですか」

「自覚、していたんですね。閃祈さん」

 彼は缶コーラの栓を開けて、一口ほど飲んでから。

 わたしに話を切り出しました。

 

「これからすべてを話します、閃祈さん。神楽坂先生が秘密にしてきた、黒曜館の真相を」


         ***


 輝くんは、わたしの知らない〝わたし〟のことを、すべて話してくれました。

 黒曜機関と呼ばれる、不老不死を研究する施設のこと。

 示方潺や、輝くんの先祖である〝あきら〟という不老不死少女たちのこと。

 黒曜館は輝くんの祖母から始まっていること。

 わたしが個人ではなく、四九人もいる〝人造人間〟という存在であること。

 幼かった頃の輝くんは、この公園で〝当時のわたし〟と出会ったこと。

 なんらかの原因で、わたしは〝過去のわたし達〟から、感性や記憶の一部分を引き継いでいること。

 ……話が終わる頃になると、彼は怒気を滲ませながら言葉を荒げていたのです。

「おかしいだろ。たった一回だけの人外手術が済んだら、あとは死ぬだけって……そもそも、一年の寿命しかないこと自体が、あまりにも〝可哀そう〟じゃないか!!」

輝くんは溢れるほどの感情を、わたしに吐露してくれます。

 でも残念ながら、わたしは彼の言ったことを認めたくはありませんでした。

「それは違います」

「え?」

「わたし、全然そんなことないです」

「それは嘘だ。いや、そうでなくても実感が湧いてないだけ。たった一年の寿命しかないって知ったら、人間は誰でも――」

「……蝉は七日間しか生きられません。可哀そうですか? でも彼らにとっては普通のことです」

「人間は蝉じゃないだろ! おかしなことを言うなよ、閃祈さん!!」

「わたしは!」

 大声で叫び返して、わたしは彼を制止しました。

 そして、自分自身の〝正体〟を、彼に宣言したのです。


「人間であること以前に、示方閃祈という〝ミステリアス美少女ナース〟です」


「――は?」

 輝くんは、目の前にいる〝自称・ミステリアス美少女ナース〟の意図が掴めないようで、あんぐりと口を開けたまま立ち呆けていました。

「わたしの人生の価値は、わたし自身が決めます。他人にとやかく言われて、それを鵜呑みにはしません。わたしが幸せと言ったら幸せなんですよ」

「そんなの詭弁だ。主観的すぎて、説得力がない」

「わたしは納得しているんですよ」

「どうして!」

「ずっと、そんな気がしてたんです。みんなは、わたしが一年ごとに記憶喪失をしているんだってことにしてあるんでしょうけど。わたしには、なんか違うなーって思えましたから」

「……四月の時点で、そう思ってたんですか?」

「そのときは、まだ生まれたばかりだから、なんとなくかもしれません。でも、それだけじゃないんです」

 そっと、胸に手の平を置いて。

 これまでの一年にも満たない人生と、四七人の閃祈たちに想いを馳せながら、わたしは彼に、わたしの心を打ち明けました。


「わたしの中には、わたし以外の皆がいる」


 どくん、どくん。

 心臓の鼓動が、手の平を通じて伝わってきます。

 心音と体温は、わたしが生きていることを証明していて、なにより以前の〝わたしたち〟が命を繋いでいったことの証拠でもありました。

 そして、なにより――

「たくさんの幸せな想いが積み重なっているから……〝わたしたち〟は〝わたし〟になれました。貴方達から貰った〝かけがえのない想い出〟が、わたしを〝わたし〟にしているのです」

「……それ、は」

「わたしは思うんです。ヒトは死ぬことができるからこそ、次代に想いを遺して伝えることができるんじゃないかって」

 たくさんの不老不死患者を見てきました。

 わたし個人としてではなく〝わたし達〟が、ずっと死ぬことができなかった彼らから生きることを学び続けたのです。そして、不老不死であるがゆえの不幸だけではなく、寿命があるからこその幸福を知りました。

 それから。

 わたし達が、ようやく到達した結論――それは。


「死ぬことは、なにも悲しいことだけじゃない。誰かが生まれてきたことを祝福する意味も込められているんじゃないんですか?」


 古い閃祈が死んで、新しい閃祈が生まれる。

 死んだ閃祈の想いを託されて、生まれたばかりの閃祈は生きてゆく。

 そこにあるのは、一年しかない寿命への哀しみなどではないのです。


 まるで〝閃光〟のように、儚い一年だったとしても。

 来年、新しく生まれる命も幸せでありますように、という〝ささやかな祈り〟が込められていたのですから。


「わたし、以前の〝わたし〟が不幸じゃなかったって、わかるんです。やっぱり、なんとなくですけど」

「なんでだよ……もう訳わかんねぇよっ!」

「だって一年前も、貴方たちは〝わたしと仲良くしてくれた〟んでしょう?」

「――あ」

 寿命があるからこそ、一度しかない人生を謳歌する。

 たとえ一年だけでなく、一〇〇年でも、どれほど差異があったとしても、わたしは全力で〝現在(いま)〟を大切にしようとするでしょう。

 神楽坂先生、灰城さん。

 あかりちゃんと、シエルちゃんに、あうぐす君。

 そして輝くん。

 わたしは大好きな皆と一緒にいる〝現在(ことし)〟が、とても幸せなのです。

「だから、輝くん。来年も〝わたし〟によろしくね」

「そんな……そんなの、嫌だ」

呻くような声を上げて、輝くんは現実を拒絶します。

そして縋るように、わたしの方へ手を伸ばしながら彼は歩み寄ってきます。

「皆が、じゃない。オレが幸せにするんだ。閃祈さん、オレは貴女のことが――」


「恋に逃げちゃ駄目だよ、輝くん」


「え?」

わたしの容赦ない言葉に、彼は一切の動きを止めました。

 そんな姿を見て、わたしは胸が痛くなるような気持ちになりましたが……ここで情けを掛けても、彼のためにはなりません。

「それは、いけない。だって輝くんは、絶対に後悔するよ」

「ど、どうして……っ!」

「わたしは君と一緒に生きられないから」

「たった三ヶ月の間だけでいいんだ! それだけで、オレは――」

「それで、お終いだね」

「なにが言いたいんだよ!?」

「〝次のわたし〟には、どうするの?」

「――――……」

 輝くんが言葉を失ってしまいます。

そっと、わたしは彼から一歩離れて、手の届かない遠くから俯瞰しました。

「オレ、は――」

「輝くん、答えて」

わたしは、彼に口を閉ざしかけたことで咎めました。

 でないと、きっと彼は〝逃げ出してしまいかねない〟と思ったから。

……やがて諦めたのか、彼は力なく呟きました。

「貴女と、一緒に逃げたかった」

「ごめんね。本当に、ごめんなさい。わたしは、次のわたしに誇れる自分でありたいから。君だけと一緒になれないよ」

俯いた輝くんが、震えながら首肯します。

それを見てから、わたしは彼に背を向けて、すべてを言い終えました。

「わたし、黒曜館に帰るね」

「……はい」

 あとは、もう振り返ることはなく。

 わたしは名前を知らないはずの公園から、黒曜館へと帰りました。


「さよなら」


         ***

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