(幕間3)一九五二年(昭和二七年):黒曜機関/2


『あれ、誰かと思えば〝あきらちゃん〟じゃないですか。貴女も無事に――って。おやおや見せつけてくれますねぇ』

『…………』

〝あきらちゃん〟と呼ばれた、見た目からして十代中盤の美少女は、隣にいる青年の右腕にしがみついたまま潺に無言で応えた。

 代わりに青年の方が、すこし縒れた白衣を揺らしながら返事をする。

『潺さん。どうして貴女が、こんなところに』

『わたしは野暮用ですよ。ほれ、挨拶をしやがれ、ベイビー息子。実は起きてんだろうが。喋れなくても話くらいは、きちんと聞いときなさいな』

(ほとんど人間女性を見たことがないから、俺はヒトの美醜に疎いのだが……とても綺麗な少女だな、おそらくは。それに潺とは違って胸が――ぐがっ)

 潺に担がれていた俺は、ぎゅっと躰を締め上げられてしまい、その返事として彼女の腕を力なく叩く。

 寝ている振りでもして、やり過ごそうかとでも思っていたのだが……存外、この女は目敏いらしい。俺の狸寝入りは、あっさりとバレていた。

『で、どうなってるんでしたっけ? 一研究員である貴方が〝亜人共同体〟に〝黒曜機関〟を告発した結果、こんなお祭り騒ぎになっているとしか、わたしにはわかりませんが』

『それで大体合ってます。ひとつ付け加えるなら、告発直前に親父――貴女の研究担当者に報告したってことですが』

『はぇ、そりゃまたなんで?』

『報告というより〝親父自身が止めることを決心する〟よう、あきらと説得したんです』

『へー、ついでに〝あきらちゃんと結婚する〟って直談判もしたってこと? やるぅ』

『はい。やりましたよ、オレ』

『……まあ、君の父親自身も〝飽きていた〟ってのは、あったんでしょうけど』

『ええ。びっくりするくらい、素直にオレ達を祝福してくれました――〝孫の顔を見るのが楽しみだ〟と』

『うっわ、そんなこと言うヒトでしたっけ?』

『変わったんでしょう。あの人も、あきらという義娘が出来て』


          *


 ……彼らの話を纏めると。

〝あきらちゃん〟は、人魚の肉を食べさせられた後天性の不老不死少女だったらしい。

 とある島国において〝信仰対象〟となったまま、一人の人間ではなく〝神〟として奉られていたのだ。

 そして目の前にいる青年と、その父親が研究目的で彼女を攫ってきた。

 青年と父親は、政府から大戦における切り札――〝死なない兵士〟を創造する研究を命じられていたのだ。つまり、当時の〝あきら〟は貴重なサンプルであった。

 だが功を焦ってしまい、実験の失敗を経て、彼女の不死性は〝損なわれて〟しまう。

 それ以来、ただの少女となった〝あきら〟は、自身を攫った挙句〝日本国〟にまで連れてきた青年、父親とともに義理の家族として生活を送ることになる。

 しかし彼女は、それを肯定的に受け入れていた。

 結果的に自身を解放してくれたことに加え、実験による失敗とはいえ、不老不死を治療してまっとうな人間にしてくれたことで、彼らに感謝をしていたのだから。

 そしてなにより――自由のなかった自分に手を差し伸べてくれた青年に、想いを寄せ始めていたから。

 ……帰国した彼らは、黒曜機関の一員として不老不死研究を続けることになった。

 が、しかし時すでに遅く、日本は終戦を迎えていた。

 政府の命令が無くなった黒曜機関の目的は、大戦における切り札から、自身らが不老不死を得ることにすり替った。

 それから青年と父親は、黒曜機関における〝最大の不老不死実証者〟――示方潺を通じて、研究を再開したのだが。

 もう既に、研究意欲は地に堕ちていた。

 なぜなら、

『それと親父、こんなこと言ってたんですよ――〝おまえが、息子が生まれてから、おれはもう惰性で研究を続けていた。あきらと出会ってからは、むしろ苦痛だった〟って』

『あー、似たようなこと呟いてましたよ。たしか〝寿命がなければ、おれには嫁も息子もいなかった。いらなかったからな〟とか〝寿命があるからこそ人生は面白かったのだ。おれがそうだった〟なんて。いやいや、今頃気付いたんですかって』

『オレも、いまさら何を言ってんだよって感じです。ガキの頃から、親父の手伝いをしていたんですけどね……もっと早く言ってくれたのなら、オレは灰色の青春を過ごさずに済んだのですから』

『……そこの可愛い女の子がいる時点で、貴方の青春は恵まれているでしょうに』

『親父に付いて行ったことで、彼女と出逢えたことは感謝していますよ』

 青年は笑いながら、自身に引っ付いたまま離れそうにない〝あきら〟の方へと振り向いて、そっと抱き締める。

 しかし、それを見ていた潺の表情には、どこか陰りがあった。

 彼女は担いでいた命砥(おれ)を床に下ろしながら、青年に言う。

『さて。そろそろ、わたしも行こうかな――っと。ここに置いておいた命砥は、君たち二人

に任せますよ。あと〝娘たち〟についても、亜人共同体の方に〝Project. Obisidiandays〟として資料を提出しておきましたから。詳細は追って連絡が来ると思います』

『……これから何処に行くんですか、潺さん?』

『ずいぶんと長居しましたからね、日本には。とりあえず地球の裏側まで、歩いたり泳いだり、もしくは今回みたいに〝いつか発掘されたり〟ってところでしょう。そんなことより、いいですか?』

『え?』 

『君の父親が、最期に遺した言葉を聞くのは、ですよ』

『……はい』

 青年はまっすぐ彼女を見据えながら、その言葉を待っていた。

 きっと彼も、心の何処かで察していたのだろう。


――〝くだらん夢だったよ。本当に叶えたい夢が叶った今となっては〟


『あっはは。本当に、なんなんですか。なら、どうして〝お爺ちゃん〟って、オレ達の子供が呼ぶ前に死んでいるんですか。オレに言ったことは嘘だったのかよ……親父自身が一番楽しみにしていたことだろうが……っ!』

『ま、あんたらだけでも幸せになりなさいな、若人たち』

 そう言い終えて。

 示方潺は俺達から背を向けながら、どこかに去っていった。


         ***


「あきらの一族とも、もう半世紀ほどの付き合いになったのか」

 書斎で書類処理をしていた俺は、亜人共同体関連の資料を目にして、昔のことを回想した。

 閃祈の方ではない〝歴代の彼女(あきら)たち〟について、しばらく思案していたのだ。

 ……黒曜機関の崩壊後、初代あきらと青年は、身寄りのない俺を引き取ってくれた。

 それから十八年後、俺は示方潺の計画した〝〝Project. Obisidiandays〟――〝黒曜館〟を始めたのだ。

 同時に、亜人共同体が保管していた〝カプセル〟から、四九人の示方閃祈が順次稼働することになる。

 一九七〇年(昭和四五年)、初代あきらの娘〝晶(しょう)〟から、黒曜館は始まり。

 その娘〝暁(あきら)〟が、現在の示方閃祈たちを担当する〝後見人〟となり。

 二〇一九年(平成三一年)において、輝・明(あかり)の双子兄妹が黒曜館の最期を見届ける役目を務めている。

「これが〝あうぐす君〟の不老不死治療を失敗する直前に、輝君と話したこと、だったか。だが彼には、それ以上を話してしまったな……年頃の少年とは難儀なものだ」

 ……そういえば。

 あうぐす君が指摘したように、黒曜石には〝感情等を溜めこんで、それを精神的な波長の合う者に放出する性質〟を有している。

 すなわち閃祈は、以前の閃祈達から影響を受けているのだということ。

 おそらく〝自身に嵌め込まれた黒曜石〟を取り外して生まれた〝閃祈の空白〟に、別の黒曜石が〝胸の虚(うろ)〟を埋めるべく、過去の情報が注ぎ込まれているのだろう。遺伝子的には同一人物なのだ、影響されにくい要素など一つもない。

「潺の想い出も、もしかしたら〝俺の黒曜石から受信している〟のかもしれない。そして俺と〝灰城折挫の黒曜石〟から、暁の時代以降における〝想い出〟を輸入しているのだろう」

 閃祈が、あかりのことを〝あきら〟と呼び間違えるのは。

 潺の見ていた〝初代あきら〟と、無意識に見紛えているからなのだろう。

「だから彼女は、知り得ないはずの情報を知っている。黒曜石のこと、不老不死患者のこと……自覚症状があるかは不明だが、彼女自身も〝歴代の閃祈〟が遺した〝記憶の断片〟を、時折〝流入(フラッシュバック)〟させられているはずだ」

 ……まだ仮説にすぎないがな。

 そう自身に念押しして、一度は書類処理に戻ろうとしたのだが。

 まだ何十年も解決していない〝悩み〟を思い出し、俺は再度、物思いに耽ってしまった。

「潺さん。俺には、まだわからないことがあるんだ」

 俺は、俺自身のために、どう生きるべきなんだ?

 自分自身の生きる理由もなく、ただ命じられたまま生きる。

 そんな体たらくで、本当に良いのか?

「ただ黒曜館で日々を過ごすだけで、俺は、それ以上を望んではいない。だから――?」

 おかしなことに気付いた。

 どうして俺は、黒曜館の生活に〝満足している〟んだ。

「楽しかったのか?」

 閃祈達との生活が。

 一般の来客だけでなく、たくさんの不老不死患者との日々に、充実を感じていたとでも、俺は思っているのか?

「……わからない」

 ふたたび俺は、自身の生きる意味に悩みはじめる。

 だが以前と同じように、答えが出ることはなかった。

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