第3章『まじかる☆ふぇありー・あうぐす君』(4)



 黒曜館の業務が終わり、片付けを始めた頃合で。

「閃祈君はクトゥ――あうぐす様の方を迎えに行ってくれ。君の分まで、私がやっておく」

「わたしが、ですか?」

「ああ。彼との相性的には、私より君の方がいい」

「わかりました。では、お疲れ様でした」

 わたしは先生に挨拶をして、黒曜館から別宅の方へと向かいます。

 庭に出ると、否が応でも〝惨憺たる状態の花壇〟が目に映りますが、できるだけ視線を向けずに、なんとか平家の玄関まで辿り着きました。

「……ただいま戻りました」

 引き戸を開いた先にあったのは、子供の運動靴が三人分。

 おそらく夕方になってから、輝くんと、もう一人――

「って、やばっ!」

 今日は人外患者が来ていました。

 元・人外患者だったらしいシエルちゃんはともかく、輝くんは〝一般人〟です。

 あかりちゃんについては、恋路を邪魔してしまった場合、あやうく殺されかねないため、諦めていますが……彼については対処しないといけません。

「でも、どこにいるかな……たぶん、あかりちゃんなら知ってると思うけど」

 リビングと隣り合わせになっている和室ですが、出入口はリビングと廊下、それぞれ引き戸と扉で繋がっています。

 わたしは廊下の奥から直接、和室の方へと入ることにしました。

「えっと。和室に入りますからね、あかりちゃん?」

 そう言ってから、静かに扉を開いたのですが。

 窓からの夕陽しか明りのない和室にいたのは、いつのまにやら鏡の中から解放された灰城さんと、彼に膝枕をしながら、その疲れ切った寝顔を見つめている、あかりちゃんでした。

 さらには、

「……お邪魔しています。閃祈さん」

「あ、こんにちは輝くん。ここにいたんですか。でも一体、なにが起こって――」

「しっ。静かにしてください。いま、あいつは〝自分の世界〟に閉じこもってますから……うっかり機嫌を損ねたら、どうなることやら」

 和室の暗がりに身を潜めていた輝くんが、わたしに注意を促します。

 それから、わたし達は身を寄せ合いながら、あかりちゃんの様子を窺っていましたが……唐突に、彼女が呟きはじめたのです。


「うふふっ。どうしようもなく無様な失態を犯しては、皆からいじめられた挙句の果てに、とうとう私の手鏡に捕まっちゃって……もう泣き疲れて動けませんか」


(……うわぁ)

(我が妹ながら、将来を憂うしかないですよ)

 わたし達は小声で、あかりちゃんについて話し合いました。

 異常な愛し方の現場を見てしまい、これから彼女と〝どう接する〟のかを、本格的に考えなくては自分の身が危ういから、です。

 彼女は俯いていた顔を、さらに灰城さんの寝顔に近づけて、そっと囁きました。


「折挫さんったら、ほんと情けない人――すき」


 突然の告白でしたが、わたし達はそれを聞いて、恋のときめきみたいなものを一切感じることができず……むしろ戦慄と恐怖を抱いてしまったのでした。

(おまえ、いつから男の趣味が悪くなったんだ。いや、他人様に迷惑を掛けないかぎりは個人の勝手だけれども。兄であるオレとしては、その男だけはやめとけと言いたい)

(いやいや。わたしは灰城さんじゃなくて、あかりちゃんの方が精神状態に問題があるとしか思えないんですけど。こればっかりは、彼を責める道理はありませんよ)

(……去年よりも増して、精神状態が悪化しているんです。あかりを元に戻してやりたいんですけど、そうなると〝失恋〟しかないんじゃ――)

(それ、最悪の場合は〝破滅〟ですよ)

 わたしの言葉を聞いて、輝くんは堪え切れず身震いしてしまいます。

(輝くん。とりあえず和室から出ましょう。もう日が暮れていますし、そろそろ帰る時間です。あかりちゃんは、わたしが送りますから――)

(いえ、部屋からは出ますけど、まだ黒曜館にいます)

(えっ、なんで?)

(……不老不死の人外患者、ですよね)

(ど、どうして、そんなことまで知ってるの……?)

(それについては、いつか話します)

(でもシエルちゃんも来てましたし。二人とも帰って頂かないと、さすがに困ります。そもそも、この家は狭いんですよ。大人数がいるのは窮屈です)

(――あいつも来てたんですか?)

(あれ、知らなかったの? さっき玄関に、シエルちゃんの靴があったけど)

(くっそ、面倒なことになりやがった。閃祈さん、ちょっと先に失礼します。アイツを二階の書斎から引っ張り出してきます。どうせ日本の漫画に齧りついているのでしょうし)

(あ、うん。どうぞ。シエルちゃんがいたら、彼女と一緒に帰って――)

 と、わたしが言い終える前に、彼は足早に和室から出て行ってしまいました。

 ……うーん。なんだか輝くん、気持ちが急いている感じがするんですけど。

 わたしは彼に不信感を抱きつつも、和室を静かに出てから、リビングへと向かいました。

『おかえりなさい、閃祈ちゃん』

「はい、ただいま戻りました」

 ふと、わたしはテレビの方へと視線を向けると、そこには『紅蓮のジャケットを身に纏った少年が、異形の怪物と戦っているシーン』が映っていました。

 あうぐす君は熱中して観ているのか、その身を構成する火を揺らがせることなく、じっとしています。

「えっと、なにを視ているんですか?」

『んー、いまは〝奇想天鎧アクマギア〟っていう、魔法少女モノじゃない作品』

「……なんですか、それは」

『ジャンルは〝異形恋愛バトルもの〟だよ。一応〝変身ヒーローもの〟でもあるかな。これだけはハマっちゃってね』

「異形恋愛って、アレですか? 多分、ある種の性倒錯を描いた――あっ、灰城さんのことではありませんか!?」

『ちょっと。あんな〝情けない奴〟と一緒にしないでよ、汚らわしい』

「そ、そうですよね」

 と、その時。

 ずるずる……と、向かいの引き戸が開いていました。

 和室から〝匍匐前進〟で這い出てきた灰城さんが、精でも吸い取られたかのような〝げっそりとした〟表情で、わたしたちに抗議しようとしていたのです。

「……僕、そんなに不衛生なのかな。吸血鬼とはいえ、きちんと毎日シャワー浴びてるよ? 〝流水が肌に染みる〟けど。それに、そこまでアブノーマルな趣味は無いし……」

「そういえば。いつも、どこかしら派手に日焼けしてますね」

「日焼けじゃないよ。流水に弱いのは吸血鬼の特性だよ。見た目は吸血鬼特有の〝日光中毒〟と変わらないから、マイナーな弱点だけどね」

「へー。というか、おはようございます」

「あ、うん。おはよう閃祈さん」

 にへら、と力無く笑いながら、灰城さんは挨拶を返してくれました。

 彼の背後を覗くと、衰弱している彼を愛おしそうに見つめている、あかりちゃんがいます。

 わたし同様、それを見てしまったであろう、あうぐす君が呟きました。

『……あかりちゃんみたいなヤンデレは、魔法少女じゃなくて魔女なんだよなぁ。そういう意味で登場するのはアリなのだけれど。となると、さっき見かけた〝そっくりな少年〟がとっても気になるねぇ』

「えっ。まさか……駄目ですよ、彼に手を出したら!!」

『はぁ? あのねぇ、ボクだって君で妥協してもいいのだけれど、黒曜石を貰える条件が〝示方閃祈に手を出すな〟なんだから、君から文句を言われたくないんだよ』

「な、なんですか、それは! というか〝わたしで妥協する〟って、わたしの何処に不満があるというのですか!!」

『……年齢? あと闇ナース属性持ちは、ちょっと頂けない』

「おいゴルァ! いまなんて言った!?」

『この際だから、はっきり言うけどね。君の雰囲気(オーラ)が俗物を思わせるんだよ。しかもメイドになろうとして失敗したみたいな、見た目十五歳以上の非ロリが魔法少女になれるわけねーじゃん。心身ともに、清らかな乙女じゃなきゃ成れないんだっての。ひゃはは』

「こ、この野郎……いよいよ馬脚を現しやがりましたかッ!」

 わたしは、あうぐす君の物言いにブチ切れながら、思いっきり反論することにしました。

 こういった手合いが調子付きはじめると、あとあとが大変ですからね……あかりちゃんは、もうどうしようもならない例外ということで。

「どう見ても、わたしは年増じゃねぇでしょ? というか十八歳まではロリと云われていた時代を知らないんですか? そもそも、こんなにも可愛らしいミステリアス美少女の何処に、世俗で穢れたところがあるっつーんですかぁ? さあ言ってみやがれ、この不定形存在」

『え? 言われなきゃわかんないの? 脳年齢の方が老いてるんじゃない?』

「てめぇの方が万年単位の御老体だろうがぁ!」

 そう。実はわたし、あうぐす君の正体を神楽坂先生から聞いてしまったのです。

 彼の正体は〝生ける炎〟――クトゥグア。

 クトゥルフ神話という〝ほぼ架空らしい物語群〟に登場する、宇宙存在だとか。

 彼が自称している名前は、クトゥグア = cthugha = ahgth c = あうぐす君といったように、ただ名称をもじっただけ。さらにいえば〝吸血鬼真祖:灰城折挫〟が霞んでしまうくらい、永い歳月を生きてきたというのです。

 ……が、実体は〝ちんけな火の玉〟という訳でして。

 あうぐす君は他人を馬鹿にするかのごとく、火の粉をチリチリと細かく撥ね飛ばしながら、わたしに言いました――それ、火事の原因になりませんよね?

『そもそも君を選ぶくらいなら、輝くんの方が絶対向いてるからね。あ、でも確か男の子なんだっけ? いや、むしろ萌えるね。彼を女体化させるのは興奮する……ッ! 新ジャンル:男の魔女っ娘モノッ! これ、かなりイケるんじゃね!?』

 いや、それ普通にありますから。

 深夜アニメ帯とか、その……アダルト方面に、ですけど。

 って、なんで知ってるんですか、わたし。

(深夜になってまで、灰城さんの部屋がうるさかったから、寝ぼけ眼を擦りながら文句を言いに来たら。たしか〝そういうアニメ〟で、ハァハァしている灰城さんの姿が――)

 その記憶は、どう考えても〝二ヶ月以内〟ではありません、よね?

 ……いえ、いまは忘れておきましょう。

 わたしは汚い記憶を彼方に追いやり、あうぐす君に言及しました。

「魔法少女を実現したとして。敵がいないんじゃ、話になりませんよ」

『そこは、ほら、あれだ。えーっと……ひぃ、ふぅ、みぃ』

「待てやゴルァ! いま、誰をカウントしてやがりましたか!?」

『え? そりゃもちろん、目の前にいる闇堕ちナースと、へたれ吸血鬼君に、正体不明医師。つまりは君たちこそが〝魔法少女の敵〟に相応しいんじゃないかって』

「――あきらちゃんが、わたしの、敵?」

『うん、そういうことになるね』

 

「おまえ も わたし の 敵 ということに なる けど?」


『え? あっ……いやっ、駄目! 野蛮な乱暴はらめぇ!!』

「じゃかあしいっ! いま此処で滅びやがれ淫獣!!」

 有効かどうかは知りませんが、わたしは純銀の十字架で殴り倒すべく、懐に手を突っ込んだ――そのとき。


「ただいま二階から戻ってきて参りましたっ! 閃祈さん、お邪魔していまーす! どうやら楽しそうなことが起こっているらしいじゃないですか――って、うげぇ!? 変態八重歯男がいるじゃん!!」


 銀髪碧眼の小柄な少女――〝シエルちゃん〟が、元気な挨拶をしたと思いきや、灰城さんを見た途端にドン引きしなおして、リビングに入ってきました。

 一目では、うっかり〝一〇歳〟くらいの小学生と見紛いますが。

 中学一年生のあかりちゃん、輝くんとは同い年です。彼女は、あかりちゃんに負けず劣らずの北欧系美少女で、さらにいえば〝かつての不老不死患者〟なのでした。

 灰城さんは彼女を見つけた途端、まるで恋する乙女のような視線――というには、かなり粘着質な印象のある眼差しを向けながら、挨拶をします。

「いらっしゃいシエルちゃん! もしかして、ぼくに会いたかったのかい?」

「いえ、あかりちゃんと輝くんに用事があって、あたしは黒曜館に来ただけですから」

「……ぼくは?」

「は?」

 シエルちゃんは蔑むような視線を、灰城さんに突き刺しながら。

 もう一度、彼に同じことを訊き直します。

「そんなことより〝あたしの輝くん〟は何処ですか?」

「そ、そんなことって……うぅ。僕、そろそろ泣きそうだよ」

「ん、なんですか、このイキモノ……ナマモノ?」

涙目の灰城さんを完全に無視して、シエルちゃんは〝あうぐす君〟を指さします。

 その直後。


『――君、魔法少女にならないかいハァハァ……ッ!?』


〝ばひゅんっ〟と、風切り音が鳴ったと思えば、あうぐす君はシエルちゃんの元へと瞬間移動していました。

「ひゃっ!? なんですか、いきなり!!」

『魔法少女に興味はあるかい!? いまなら期間限定、専属マスコットが入手可能だよ! あ、まずはこちらの契約書にサインを――』

「ひ、火の玉が喋ってる……なに、これ?」

 彼女は、目の前に浮遊する正体不明の人外から話しかけられたうえ、強引な〝魔法少女の勧誘〟までされてしまい、そのまま混乱して動けなくなります。

(うっわ、なにあれキモいです)

 彼の姿形は火の玉だったとしても、完全に変態としか見受けられません。  

 さらには、その一方で。

「シエルちゃんが魔法少女で、あうぐす君がマスコットキャラ。ぼく、つまり灰城折挫という吸血鬼が〝悪の大魔王〟って役を――閃いたっ!」

 なにやら〝よからぬこと〟を思いついたのか、彼は勢いよく立ち上がります。

 そして、あうぐす君にとんでもないことを言いやがったのです。

「あうぐす君、その話を詳しく!」

『え? どうしたの、いきなり。キモイんだけど』

「いいから! さっき君の言った〝魔法少女の敵〟――ぼくが引き受けた!!」

『えっ、ほんとかい!?』

「ああ、マジだよ!!」

『それなら――』

 灰城さんが快諾した途端、先程まで罵詈雑言を飛ばしていたはずの、あうぐす君は〝自身の魔法少女計画〟について語り出します。

 あっさりと同じ趣味で意気投合する二人の姿が、そこにはありました。

「……あの。あたし、どうなるんですか?」

「えっと、どうなるのかなぁ」

 シエルちゃんから縋りつくような声で言われても、わたしには何も保証ができません。

 魔法少女の話に花を咲かせ合う、変態人外オタクどもを目の当たりにしながら、わたしはシエルちゃんと、黒曜館の将来を憂いたのでした。


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