第3章『まじかる☆ふぇありー・あうぐす君』


 時は平成二八年、初夏の昼下がり。

 草木が生い茂り、いよいよ可憐な花々が咲き誇らんとする、そんな季節が訪れたのですが。

 わたしは、眼前に広がる〝死屍累々の有様〟を直視してしまい、そのまま黒曜館の庭先で泣き崩れてしまいました。

「い、いやぁ……どうして、こうなっちゃったんですかぁ」

 一体、なにが起こってしまったのでしょうか。

 どこの誰が、このような惨状を生み出したというのか……いえ、犯人は一人しかいません。

「――灰城さん」

「はい、えっと、その……ごめんなさい」

 わたしの背後で申し訳なさそうに突っ立っている、彼の仕業でした。


          *


 黒曜館の花が全滅しました。

 絢爛に彩られていたはずの花壇は、いまでは見るも無残に枯れ果てて茶色一色。

 そのうち幾つかは、アトリで買ったばかりだというのに、短く儚い一生を終えてしまっています。

 萎れている物すら存在せず、風が吹くたび、カサカサと粉みじんに消し飛んでいきました。

「こんなことができるのは、黒曜館において貴方だけです」

「あ、いや。できてもやらないよ、ぼくは」

「嘘吐いてんじゃないですよ、この無職吸血鬼!!」

「は、はいぃっ!」

 情けない声を上げた灰城さんは、すぐさま言い訳を始めます。

「し、仕方がなかったんだ。昨日の君たちが、これ見よがしに〝松茸〟なるものを食すべく、料理に勤しんでいたから……つい、ぼくも味が知りたくなっちゃって」

「はぁ? 吸血鬼などという〝おかるとナマモノ〟の癖に、食える訳ないでしょうが」

「そ、それでも気になったんだ! いつも君たちが食べているわけじゃない、高級食材の味ってのが……でも」

「でも?」

「強烈な刺激臭と、ぐにゅぐにゅした食感が気持ち悪くて――」

「ほら言わんこっちゃない。で、戻したんですね」

「…………」

「灰城さん?」

 ばつの悪い顔をして、彼は黙りこくっていました。

 が、やがて観念したのか、おろおろと視線を泳がせながら白状したのです。

「――勢いで飲み込んじゃった」

「馬っ鹿じゃないですか、貴方というヒトは!! っていうか、道理で一本足りないと思いましたよ! てめぇが犯人か、この野郎!!」

「はい、ごめんなさいっ!」

「ごめんで済みますか、この馬鹿吸血鬼ィ! あれ一本、いくらするか知らないんですか!? それに誰のことで祝おうとして買ったと思っているんですか! いえ、結果的にいえば〝祝いごともチャラ〟になりましたけれども……」

「え、お祝い……誰のことで?」

「おまえじゃいっ!」

「えぇ!? ぼく食べられないのに!!」

 灰城さんは目を剥いて、わたしに文句を言いましたが。

 はっきりいって、わたしが貴方に〝祝福する〟気概など、とっくに失せているんですよ。

「わたしが〝黒曜館の祝いごと〟として、先月の貯蓄を崩して買ったんです! 黒曜館から灰城さんが巣立っていくという記念日として、昨日の晩御飯にしました!」

「なんでさ!? そこは普通、ぼくに祝いの品々をプレゼントする、とかだよね! というか、どうしてぼくが黒曜館からいなくなるのさ!?」

「――貴方、言っていましたよね? 県内にある遊園地〝シンフォニーランド〟に所属する劇団が、新しく募集をかけた〝吸血鬼役〟に〝本物である自分〟は抜擢されるはずだって」

「……あっ」

 忘れていた嫌な記憶を引っ張り出されて、灰城さんは顔色を悪くします。

 そう、つい最近まで、灰城折挫は〝就職活動〟していたのでした。

 ですが――

「自信満々に言ってましたけれども、面接にすら到達せず、あろうことか実技試験の段階で〝落選〟したんですよね? 本物の癖に。演じているだけの人間さん達に、オリジナリティで敗北した気分はいかがですか? 吸血鬼の真祖、灰城折挫さん」

「い、言わないで。もう立ち直る気力すら無くなったんだ。すこしは気に掛けてくれるとか、そうしてくれると頑張れそうになるから。まだ、ぼくは本気じゃないだけだから……でも、ちょっと精神療養したいから、しばらく黒曜館の一員として静かに暮らそうかな」

「そうやって、また引き籠るつもりですか!? このニート吸血鬼ぃ!!」

「ひょえっ!?」

 不意打ち様に、わたしが懐から取り出した〝純銀の十字架〟を振りかぶると同時に、灰城さんは素早く後ろに飛びずさります。

 距離を取られては仕方がないので、わたしは十字架を仕舞って、彼に追及し始めました。

「そもそも、ただ腹を下しただけじゃないですか。それが、どうして花が枯れるっていうんです。まったく関係ないですよね?」

「実は死にそうになるくらい、食中毒ってのを引き起こしちゃってさ。お腹だけじゃない、全身の至るところに重篤な症状が出始めたんだよ」

「あっそ。で、それから?」

「……聞いておいて、それは薄情すぎるんじゃないかな。とにかく、もう辛くてたまらなかったから、ぼくは一度〝死ぬことにした〟んだよ」

「はぁ? じゃあ、なんで生きてるんですか。未練がましいですね。死んでまで現世に迷惑掛けてんじゃないですよ、このヘタレ吸血鬼」

「辛辣すぎない、それ!? じゃなくて……死んだというよりは、肉躰を粉微塵に分解して、そこから肉体を再構築することで回復したんだよ。パソコンの再起動みたいなものかな」

「その喩えは意味不明ですが。要するにゴキブリ並なんですね、貴方――って、あれ?」

 わたしはしゃがみ込んで、花壇の土に落ちていた〝証拠品〟を、手に取りました。

 それを掲げながら、灰城さんに尋ねます。

「これ……松茸の欠片ですよね?」

「あっ。それ、ぼくの〝体内から排出されたモノ〟だ。こんなところに落ちてたんだね」

「うっわ、ばっちぃです! って……なんで此処にあるんですか?」

 わたしは拾ったばかりの欠片を放り投げます。

 汚い(ばっちぃ)と言われた彼は、傷付いた表情を浮かべながら説明しました。

「……さっき、ぼくは粉微塵に分解したって言ったよね? 吸血鬼の異能なんだけど、この粉微塵状態の吸血鬼は〝死の灰〟っていう奴になっているのさ」

「〝死の灰〟って、物騒な名前ですね」

「うん。文字どおり〝一切の生命を死に追いやる、吸血鬼の最終手段〟だよ。深夜になって、ぼくの食中毒はピークを迎えてさ。本来なら、こういう非常時は地下室の棺桶に自分を密封して〝灰化現象〟を起こすのだけれど……そこまで辿り着く前に、早くも限界が訪れそうだったんだ。だから黒曜館から飛び出て、なんとか外で〝死の灰〟になった訳だけれど」

「つまり貴方が爆死したとき、そこにあったのが花壇だったのですね」

「言い方が身も蓋もないけど……うん、そういうことになるね」

 すべての謎が解けて、わたしは思わず脱力します。

 灰城さんは「許される? ぼく、許された……?」と、わたしの顔色を窺いながら呟いていましたが。

 もう、わたしの手には負えません。

「……はぁ。とりあえず先生に相談しましょう」

 わたしは彼についての処遇を、先生の判断に委ねようと決めました。

     

         ***

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