(幕間2)一九五二年(昭和二七年):黒曜機関/1
一九五二年、不老不死の研究施設〝黒曜機関〟
当時の俺にとって、その研究所が〝世界のすべて〟だった。
そして、そのまま〝俺は終わる〟はずだったのだ、が。
(呼吸の仕方は知っている。歩き方は、わかっていても駄目か。躰が思うように動かない、指も震えるばかりだ……寒い、な)
自身を保管していた〝カプセル〟――その開閉扉から、なんとか這い出るまではよかったものの。それだけで俺の肉躰は悲鳴を上げ、ずり落ちた先の床面に蹲ることしかできなくなってしまった。
〝ぜひゅぅー、ぜひゅう……〟
荒い呼吸を繰り返しながら、これまでの経緯を回想する。
いつ、俺が生まれたかは憶えてはいない。そもそも〝生まれたばかりの自分〟にとって、まだ誕生日というのは意味も価値も無いのだから。
……まあ、大体の予想が付いてしまうが。
(正面の壁に掛けられた時計から判明することは、自我を自覚してから〝およそ一六七時間後〟――つまり七日間が経過したという事実)
日付は知らない。
どういった理由であるのか不明だが、日本語を含む一般常識が、物心ついた頃から憶えさせられていただけでしかない。
だから己の事情を把握できないまま、ただ冷たい床に這い蹲って、状況が変わるのを待つしか俺にはできなかった。
そして何の因果か、状況を変える要因が向こうの方からやって来たのだ。
『はじめまして、実験体番号三五一〇君。わたしの名前は〝示方潺(しほうせせらぎ)〟と言います。潺って、呼んでね』
(……なんだ、この女は?)
この部屋にあるのは、俺を収納していたカプセルと機材くらい。
当然、俺が見かけた者といえば〝白衣を着こんだ研究員〟しか存在せず――彼女が着用している〝真っ黒いドレス〟のような、他の服は見たこともなかった。
そもそも外部の者であったしても〝常識的な格好〟ではないことは明らかである。
(本能が告げている――この女は〝苦手〟だと)
危機感は憶えていたが、敵意や殺意といった類は感じなかった。
〝話していると苛立ちを憶える〟といった感じの、胸の奥をくすぐられるような〝嫌悪感〟といった方が的確である。彼女を端的に評すると、その容姿は類まれなほど優れていながら、人としての中身がどうしようもないほど〝俗物〟であるといったところか。
そんな〝ミステリアスだが残念な美少女〟を仰向けで注視しながら、俺は思った。
――びっくりするくらい、ぺったんこな胸だな。
そこが一番、残念かもしれない。
『んん? なんだか君、失礼なことを考えてません?』
『ぁ、いゃ』
『おっと。そういえば、まだ喋るのが辛かったんでしたっけ……別に無理しなくていいですからね。わたし、待ってますから』
言葉になっていない呻き声を上げる、俺を見かねてか。
彼女はしゃがみ込んで、目の前で蹲ったまま震える男を、しばらく見下ろしていた――のだが。やがて痺れを切らしたのか、それとも生来から落ち着きがない気質なのか一〇秒と経たず、彼女は話しを切り出したのだった。
『待つと言いましたが、とりあえず話を聞くくらいはできるでしょう。三五一〇君――というのは言い辛いから、数字をもじって〝ミコト〟君って呼びますね。というか、わたしが命名しちゃいましょう。そうですねぇ……包丁のように命を砥ぐことから〝命砥〟です。今、まさに瀕死としか言いようがない君にぴったりではありませんか?』
『ゃ、め……』
『うん、とっても嬉しそうですね! 今日から君は〝命砥〟君です!!』
(俺の意志を無視して、勝手に名前を決め付けやがった)
しかも、かなり悪趣味な感性の持ち主ときた。
さらには苦痛以外によるもので、はじめて俺を不快に思わせていると気付いた、その直後。
彼女は懐に手を突っ込んで、真っ黒い何かを取り出した。
意気揚々と、彼女が掲げた〝それ〟は――〝原始的なナイフの形状をした黒曜石〟のような何かだった。
そう、それは黒曜石ではなかった。
俺の脳髄に刻まれた〝記録〟が、そう断じていたのだ。
『うふふ……これ、なんだと思います? 気になりますか? なりますよねぇ!』
(だが至極どうでもいい。さっさと誰かと替わってくれ)
石っころに興味を抱くほど、俺の実年齢はともかく、精神年齢の方は幼くないらしい。
しかし、俺が全身全霊の〝交代(チェンジで)〟を口にしようとした途端、彼女は畳みかけるように長々とした説明を始めたのだった。
『これは〝与命式黒曜石〟といいます。ここの研究による産物で、使用対象に生命力を与える摩訶不思議アイテムなのです。いわば〝生命力バッテリー〟って奴ですねぇ……さてさて。今現在、わたしが手にしている〝これ〟は〝試作型〟で、ひとつしかありません。残り四九個の正式版は、別の彼女が持っている、というか無理やり〝使用登録者〟にされているので、もうありません。割と本気で可哀そう……わたしも、彼女も』
(俺以外にも、そういう非生物の類を製造していたのか)
『ちなみに使用登録者自身は〝自分自身に使用することが不可能〟です。あくまで他人に使用することの登録ですから。不老不死の人生に飽き飽きした示方潺ちゃん、つまりはわたしが〝わたしに使う〟ことはできないのです。悲しいよぅ、しくしく……なら、誰に使うのかって?』
(……まさか)
『そうです! もったいないので君に使っちゃいますね!』
(や、やめろっ! そんな得体の知れないモノを他人の躰に――)
手足をじたばたと動かして、俺は彼女を遠ざけようとしたのだが。
重力にすら負けて俯せになった肉躰の抵抗は、もはや陸に打ち上げられた魚のように無様な撥ね方をするしかできなかった。
『こ、こらっ! ビチビチと暴れるんじゃない! いいですか? さっき言い損ねましたが、君の寿命は既に数時間が限度なのです。というか、いつ死んでもおかしくないのです。死にたくないなら、うーごぉーくぅーなーっ!』
『シ――死、ぬ?』
まな板の鯉よろしく、地べたで暴れていた俺だったが。
その言葉を聞いた途端、なぜか安心した気分になれたのだ。
『あっ、ようやく喋れるようになりましたね。ご意見どうぞ?』
『お、れは……』
『なんです? さっさと吐きやがれ』
『――いきるのが、とても、めんどうだ』
『はぁ? なぁに言ってんですか、この子は』
(そうだ。なんで生きなくちゃならないんだ、俺は)
俺なんて、たかが〝ヒトのカタチをしただけの実験体〟
それも三五一〇番という千桁の数字まで達していることから、代わりなんて幾らでもいるような、消耗品みたいなものだろう。
実際、そんな風に扱われてきた。
物心ついた頃の初日から、五日の間。
ずっと滅茶苦茶な実験に付き合わされた挙句、度重なる苦痛に精神が摩耗していった結果、もう生きる気力すら俺には残っていなかったのだ。
そういえば……なぜか〝六日目〟には誰も部屋に来なくなったのだが。
さらにいえば今日――〝七日目〟には、やかましい彼女がやって来るまで物音ひとつ聴こえやしなかったのだが。
『嫌だと言っても生きるんですよ。さあ仰向けになりやがれ――ごろんっ』
『うぐっ』
わざわざ口に出しながら、彼女は俺を容赦なく蹴っ飛ばして、カプセルから部屋の角へとぶっ転がしやがった
俺の躰が壁にぶつかって静止すると、またもや訳のわからないことを言い出す。
『いいですか? 君には家族がいます。それはもう珠のように愛らしい、それこそ、わたしみたいに純情可憐なミステリアス美少女の実妹です。その子に身寄りがないってのは、さすがに心苦しく思いませんかね?』
『し、しらない。いもうとなんて、いない』
『薄情者め、天罰じゃ』
仰向けになった俺の横に座りながら、潺は手にした黒曜石を、俺の胸中央に当てる。
それから口の端を引き上げて、悪意しか感じない笑顔を浮かべながら。
彼女は黒曜石を、皮膚に〝めり込ませてゆく〟
(ぐぅ……っ)
部屋の隅に追い詰められたせいで、逃げ場はない。
『さあ力を抜いてくださいねぇ。いまから〝黒光りする大きなモノ〟が、君の中に〝ずっぷ、ぬちゅぅっ〟と入っていきますから……うふふ』
(言い方が卑猥すぎる)
もっとマシな表現はなかったのだろうか。
いや、そもそも下卑た面からして、はじめから汚いことを言うつもりだったのだろう。
めり込んだ黒曜石は、鋭利な刃物と同じように皮膚を割いて、肉へと到達する――やがて、あばら骨にまで達したそれは〝ごりっ、ごりゅりゅ〟と冒涜的な音色を響かせながら、心臓の真上あたりを目指していった。
「あっ、言い忘れてましたが。君と娘たちだけは、心臓の位置じゃなくて〝そこに近い肌の部分〟ですから。そうじゃないと取り出しにくくて困るという、不老不死の構想的な事情らしいですが、まあ気にしないでくださいな。与命効果は変わりませんから」
(それでもキツイな……そこそこ痛かった実験と同等じゃないか)
実験体の脆弱な肉体だからといって、一切の医療器具を用いていないせいか、雑すぎる手術によって、身体中が痛覚以外を麻痺させるほどの激痛に苛まれる。
……しばらくすると、黒曜石らしき物体は、ようやく既定の位置へと納まった。
彼女は、一仕事終えたと言わんばかりに「ふぃー、疲れた」と息を吐きながら、血塗れになった腕をぶんぶん振り回す。
真っ赤な飛沫が部屋を汚してゆく最中、彼女は話を再開した。
『はい、終わっちゃいました。これで、君には〝一一六年分の寿命〟が設定されたのである。わー、ぱちぱち。常人より長寿なのは初回特典ということで☆』
(おい、寿命については聞いてないぞ)
『試作品っぽいので中途半端な数字になってますけど、おめでとーございまーす♪』
(くそ、俺に一一六年も生きろというのか。いままでの七日間すらキツかったのに)
抗議しようにも、手術による激痛のせいで、まともに口が開かなかった。
……これが。
生まれながらに不老不死の人型生命である〝異形少女〟
示方潺との、最初で最後の出会いだった。
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