第2章『ゾンビ・ガール』(8)


「ところで〝シエル〟というのは?」

「患者の名前、だな。もっとも、あくまで仮称に過ぎないが……いや、このままでいいだろう。その方が、きっと彼女のためになる」

 先生らしくなく歯切れの悪い口調でしたが、一応きちんと話してくれました。

 彼女は不老不死の元・実験体であると述べていましたし、たくさんの複雑な事情でもあるのでしょう。

「手術の準備に取り掛かろう。あまり時間は残されていないからな」

「はい。わたしは先生に指示されたとおり、黒曜石を取りに行ってきます」

「頼んだ。黒曜石は、書斎にある机の引き出しに用意してある」

 先生の了承を得て、わたしは書斎へと向かいます。

 ……道中、わたしは〝自身の決断〟が揺らぎ始めましたが。

 それでも〝シエルちゃんの可愛い笑顔〟を想像して、手術の決行へと踏み切ったのです。

 

         ***


 こうして。

 予定通りに手術は執り行われ、患者である〝ゾンビっ娘ちゃん〟こと〝シエルちゃん〟は、無事にゾンビ化の治療と引き換えに、四九年以上の寿命が設定されました。

 この選択が正しかったのかは、まだわかりません。

 彼女が目醒めてから、あらためて尋ねなくてはならないことなのですから。


 ――シエルちゃん。これから貴女はどうしますか?


 知らない国、なにもわからないことだらけの日々を始めて、貴女が〝生きる理由〟を見出してくれたのなら、それでいいのです。

 もし貴女自身が、元々『生きたい』と願っているのだとしたら、結果オーライということになるので、こちらとしては有難いのですが。

 ……ま、とりあえずは。

〝あの子、すっごく可愛いですね〟

〝ふぅん〟

〝――可愛いよね?〟

〝あっ、はい〟

「いま面会してるのは……あかりちゃんと輝くん、かな?」

 廊下を歩いている最中、扉の開かれた病室から、少年少女の話し声が聴こえてきます。

 ちょうど、わたしが通り掛ったタイミングで、手術を終えて解凍されたシエルちゃんが、目を醒ましたのでしょう。

 にしても、どうやら輝くんも男の子らしく、女の子の理屈にはめっぽう弱いらしいです。

 妹に押し負けた彼は、あっさりと同意していました。

〝まったく。お兄ちゃんったら、素直じゃないんだから〟

〝……おまえよりは、シエルさんの方が可愛いよ〟

〝˝あ˝あ?〟

〝なんでもないです〟

あかりちゃんは、あの子が可愛いと褒めている癖に、女子のプライド的には〝自分が一番〟であることを譲れないようです。

 さらにいえば〝恋敵〟に負けたくない、というのが、もっともな理由でしょうが……なんでしょう、若気の至りを思い出してしまったような。

 自分の恥ずかしい過去を思い出しているような、謎の羞恥心が込み上げてくるのですが。

(あ、れ――髪の長い、あかりちゃん? 洗面所。からから回してる、なにこれ?) 

 いま、一瞬だけ。

〝過去が見えた(フラッシュバックした)〟ような――


〝って、シエルちゃんが起きてますよ!?〟


 あかりちゃんの言葉を聞いて、わたしが入口から様子を窺うと、ベッドに臥しているシエルちゃんは、わたしたちの方へと頭だけをゆっくり動かしながら振り向いていました。

 おそらく、彼女の眼前に広がっている光景は、見た目そっくりな双子兄妹がはしゃぎあう姿と、ミステリアスな漆黒ナース、そして少々手狭な病室とベッド。

 目醒めたばかりの彼女には、わたしたちの素性はおろか、現在位置も、自身の置かれている状況すら把握するのは難しいでしょう。

 それでも、あかりちゃんは彼女に、明るく元気な声で話しかけています。

 輝くんは戸惑いつつも、気遣うような言葉を掛けてゆきます、が。

 シエルちゃんの反応が芳しくないと察して、まるで助け船を呼ぶかのように、わたしの方にチラチラと視線を送り始めていました――仕方ありませんねぇ。

 わたしは病室に入って、三人の元へと向かいました。

「はしゃいでいるところ、悪いんだけど。ちょっと失礼しますね」

「あっ、閃祈さん。シエルちゃんが起きましたよ」

「すみません、閃祈さん。シエルさんが起きたことで、ついテンションが上がって騒いでしまって……オレ達、迷惑でしたよね?」

「んー、同年代の少女と親睦を深めようとする、二人の気持ちはわかります。だけれど一応、その子は患者さんですからね――さて。おはようございます、シエルちゃん。具合はどうですか?」

「…………」

 彼女から返事は、ありませんでした。

 ただ彷徨いがちだった視線を二人の方から、わたしへと向け直しただけ。

 真っ白い布団に包まれた、小柄な体躯は微動だにしません。おそらく彼女は仰向けになった状態で、頭だけを動かして反応するのが精一杯のようです。

 まだ彼女は、まだ口を動かすことができないのでしょう。

 いえ、そもそも彼女の母国語は『英語』でしょうし、たとえ喋ることができたとしても、双子兄妹の話はわからないのではないでしょうか。

 と、思いきや。

「……カ、ワイイ?」

「えっ? あ、いや……」

「なんで言葉を濁すの、お兄ちゃん」 

「いやいや。いきなりオウム返しにされただけで、オレ達の言葉が通じてるか、全然わかんねぇし。いきなり褒めても、シエルさんには何のことだか――」

「嬉、シイ。アリガ、トウ」

「って、言葉が通じてるし!?」

 シエルちゃんは恥じらっているのか、頬を仄かに赤く染めながら感謝を口にしました。

 どうやら彼女は、さきほどの『シエルちゃんが可愛い』という会話を、しっかり聞いていたようです。

 また、たどたどしい言葉でしたが、意思疎通可能なレベルの日本語は習得していることも判明しました。

「……まずは自己紹介から始めましょうかね」

 そう言って、わたし達はシエルちゃんと一緒に、これからのことについて、ゆっくりと話し込みました。

(……あっ、いまシエルちゃんが)

「どうかしましたか、閃祈さん」

「えっと、なんでもないですよ」

 それぞれが話している最中、彼女が輝くんに微笑みかけていたのを見て。

 彼女の手術は正しかったのだと、わたしは確信したのでした。

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