第2章『ゾンビ・ガール』(7)
部屋から出たわたしは、すぐそばの壁に寄り掛かりながら、ずっと考えていました。
現在時刻は六時手前。もう双子兄妹には帰ってもらわないと。
「もし、女の子が生きるだけで〝不幸〟だっていうのだとしたら。わたしは、彼女を――」
「あの子は死ぬんですか?」
いつの間にやら、あかりちゃんが隣に佇んでいました。
彼女のド直球な台詞に、わたしは狼狽しながらも否定します。
「し、死にません! 死なせません!!」
「答えなら出てるじゃないですか……まあ、それでも悩んでいるんでしょうけど」
わたしの振る舞いに呆れつつも、あかりちゃんは優しく微笑んでくれました。
それから彼女は、わたしをまっすぐ見つめながら、どこか懐かしそうな口調で、ゆっくりと話し始めたのです。
「いいですか? これは昔、とある〝お姉さん〟が言っていたことです。『女の子は可愛く生きていれば、それだけで幸せなんです』って」
「……まあ、そうですよね」
「はっきり申し上げますと、私は〝あの子〟を見てしまいました。折挫さんの様子からして、個人的には歓迎しかねますが、それはひとまず置いといて……あの子が何者であるか、私にはわかりません。ですが、ひとつだけ言えることがあります」
一旦、彼女は息継ぎをして、次の言葉に備えます。
そして惑い続けるわたしに、はっきりと断言しました。
「あの有様で、あの子が〝可愛く生きてる〟なんて言えますか? 見るからに薄幸の少女を、いったい誰が幸せにできるのか――〝私たち〟じゃないですか」
「……あ」
「そんなに閃祈さんが不安なら、私は、あの子と〝友達〟になります。ついでに閃祈さんも、一緒に仲良くなるべきですよ。たとえ、彼女が〝どれだけヒトから遠ざかっていた〟としても……だからこそ私たちは、彼女を暖かく迎え入れるべきでしょう」
「わ、わたしが〝ついで〟扱いですか……」
あかりちゃんの容赦ない言葉に、思わず凹んでしまいます。
「っていうか。さっきまで、あかりちゃんは患者さんのことを〝ゲロ雌〟とか〝下女〟呼ばわりしてましたよね?」
「忘れてください、それは言いすぎました。まあ、彼女に〝私の折挫さん〟を譲らないことは確定事項ですけどね」
「そこは譲れないんだ」
「当たり前でしょう――手を出したら殺す」
「ひ、ひぃ……」
殺害予告を行う、年端もいかない少女の姿を悍ましく思いつつも。
わたしは彼女から、誰かを救おうとする〝勇気〟を貰ったのです。
「決めたよ。わたし、もう迷わない――あの子を手術するよ」
「医師免許も無いのに、ですか?」
「あ、いや。ただの補佐、かな?」
「……まあ、頑張ってくださいな」
あきらちゃんは訝しげな視線を、わたしに向けていましたが。
時間に余裕がないことを察したのか、そのままわたしを見送ろうとしてくれました。
「うん。ありがとうね、あきらちゃん」
「あかりです。いい加減にしろっつってんだろ、このド貧乳」
「んだと、このメスガキ」
まあ結局は、いろいろと台無しになりましたけど。
*
「……あれ。灰城さんと先生、なにを話し込んでいるんでしょう?」
さきほどまでミーティングを行っていた部屋から、二人の話し声が聴こえてきます。
わたしは壁に寄り掛かりながら、話が終わるのを待ちましたが――つい、そのまま〝灰城さんの過去〟について、盗み聞きしてしまいました。
*
灰城さんの話を要約すると。
灰城折挫は、ゾンビっ娘ちゃんに〝初恋の少女〟を重ねていました。
その初恋相手もまた〝死なない呪い〟を掛けられていたのです。
ゾンビっ娘ちゃんほどの再生能力は無かったのですが、肉体の形状を再構築して、ただ生きているだけの醜悪な姿を晒してまで、彼女は〝どう足掻いても死ななかった〟
そんな彼女を、灰城は救おうとしていましたが、最終的には、彼女が『人間をやめる』ことで死のうと決意してしまいます。
その決意を受けて、灰城折挫は彼女を〝再生できないようにした(ころした)〟
こうして。
灰城折挫は、はじめての〝眷属〟を所持することになりました。
眷属――できるだけ思考を持たず、ただ機械のように動くだけの存在。
自我も、記憶も、すべてを捨てて、灰城折挫という存在が続く限り、未来永劫の〝死に体〟を継続する。
さらには存在を極限まで分割し、死なない呪いを「人間形態からかけ離れたカタチ」を取ることによって、反故してゆくシステムを構築しました。
それを実現するには、吸血鬼との相性を考えると、最小かつ最多の〝蚊の群体〟が、もっとも条件に当て嵌まっています。それ以外の手段は考えられなかったのです。
……それが彼の限界でした。
灰城折挫は、眷属(かのじょ)の形態を〝蚊の群体〟にしました。
そう。〝蚊の群体〟こそが、はじめて恋した少女の〝成れの果て〟
「でも、それは間違いだったと思う」
生きることから解放され、いまでは姿かたちはおろか、魂までもが塵同然となった。
そうすることで呪いから解放され、彼女は〝死んだ〟
とても嬉しそうに。死ぬ間際まで、彼女は折挫に感謝し続けていました。
それが本当に嬉しかったのかは、わかりません。
だけれど、ひとつだけはっきりしている。
***
「――ぼくは全然、嬉しくなんてなかった」
マイナスからゼロになっただけだ。
こんな死に方で、幸せだったと云えるはずがない。
いや、そもそも幸せを定義するのは〝生き方〟であるべきだろうが……っ!
「間違いだったんだ。ぼくが彼女を救うために選択した、それは」
死なせたって、無意味だ。
生かせるために、幸せ(プラス)にするために、行動しなくてはならない。
「今度は間違えたくない……だから神楽坂先生。たとえ閃祈さんが手術を中止したとしても、ぼくは彼女を救ってみせる」
***
「そして、これからの〝彼女〟を〝幸せ〟にしたいんだ。たとえ、ぼくの残された人生すべてを使い果たしてでも」
灰城折挫は毅然とした態度で、その決意を口にしました。
相対する神楽坂先生は、一片の曇りも無い覚悟を持った青年に尋ねます。
「自分で、彼女の面倒を見る気か」
「そうだ。彼女――〝シエル〟をヒトとして幸せにしたい。ぼくは吸血鬼真祖ではなく、一人の男として、彼女の人生に寄り添いたい――ああ。やっと、自分の人生に意味を見出した気がするよ」
「おめでとう。だがシエルさん以外にも、目を向けるようにした方がいい」
「ん、なんで?」
「シエルさんを幸せにしようとするあまり、君を想うヒトを不幸にしてはならない、ということだ」
「……まさか閃祈さん、ぼくのことを本気で」
「それはない」
「なら先生のこと? でも、その気持ちは光栄だけれど、ぼくにソッチの気は――」
「……君を想っているのは女性だ」
「そうなの?」
んー、誰なんだろー。
と、灰城さんはキョロキョロ辺りを見回しながら、物思いに耽り始めました。
その一方で、傍らにいた神楽坂先生は一見すると〝いつもの先生〟でしたが、あきらかに怒気を周囲に振り撒いているような、そんな剣呑極まる雰囲気を醸し出していて……。
わたしが先生のこめかみに注視すると、そこには〝くっきり〟と、青筋が浮かんでいたのでした。
うわぁ、先生マジ切れしてる。はじめて見ました。
先生の憤怒に怯えつつ、わたしは二人の元へと向かい、自身の旨を伝えます。
「あのぉ。わたしも手術決行するって、覚悟しましたけど」
「そうか」
「やったぁ! じゃ、あとは閃祈さんに任せるね」
「おい待てやコラ。さっきまで彼女を救うって言ったでしょ、灰城さん」
「……君の仕事じゃあないか。ぼくに手術はできないし」
「こ、この野郎……っ!」
さっきまでの話が台無しです、まったく。
*
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