第2章『ゾンビ・ガール』(4)


「仕方ありませんよ。駄目人間とはいえ、あの人は大人です。仕事は優先せざるを得ません。あかりちゃんの気持ちも、女の子として理解できますけどね」

「なにが言いたいんですか?」

「いえいえ。年上の男性に恋するってのは、年頃の女の子らしいことですって」

「……っ! 女の子らしいですって? 好きな子の一人もいない閃祈さんに、それを言われても説得力がありませんから!」

「う、うぐ」


 すこし気が立っているのか、あかりちゃんは気遣いであっても、理不尽に暴言を返してきました。


「でも、わたしだって〝黒曜館の看板娘〟ですし……」

「へぇ。以前、私に看板娘の噂が立った時は、必死で揉み消していたようなことにプライドを持っているんですか? 所詮、白雪姫の魔女みたいな三下でしかないのに」

「――え?」

「知ってますよ、地域内美少女ランキング一位さん。いつも工作活動お疲れ様です。ふふっ」

「あ、あぁ……だ、駄目です」

「はぁ? なにが駄目ですか。閃祈さんの黒歴史なんて、もっとありますよ。たとえば――」

「や、やめてぇ! これ以上、別個体の〝あきらちゃん〟みたいなこと言わないでぇ!」

「だから私は、あきらではなく〝あかり〟です――って、別個体!?」


年上の威厳を保つため、寛大な心で受け入れたかったのですが……残念ながら、わたしの器は未熟なようで、とうとう耐え切れずに怒ってしまいます。

 わたしは〝ゆらぁり〟と身体を揺らしながら、戸惑う彼女に襲い掛かる準備をします。


「もう怒っちゃいました。覚悟しなさい、あかりちゃん」

「……あっ、あの。言いすぎました、ごめんなさい」

「許しませんよ。羅刹の顔も三度までというでしょう」

「仏の間違いですからね!? 許すものも許さないでしょう、それ!」


 あかりちゃんはツッコミながら、わたしから離れようとします。

 怒りが収まらなかったわたしは、じりじりと狭い玄関の中で、彼女を追い詰めてゆきました。しかし、あかりちゃんを壁際に追い詰めたところで。


 なにやら良からぬことを思いついたのか、彼女は小賢しい笑みとともに「……ふっ、残念ですけど」と呟いて――いきなり泣き喚き始めたのです。


「いやーんっ! 助けて、お兄ちゃあぁ――んんっ!」

「こっ、こら! 騒がないでください、疑われたらどうするんですか!?」


 悲鳴を上げた〝あきらちゃん〟の口を、わたしは素早く手の平で塞ぎました。

 しかし我に返ってみれば、この構図こそが犯罪的かも――って、違いますからね!

 あかりちゃんは呻き声を漏らしながらも〝どこか勝ち誇った〟ような目つきをして、わたしを睨みつけています。

 まるで〝泣く子には弱いんだ〟とでも見透かしているような気がしてなりません。


 ……な、なんて生意気なっ!

 わたしはさらに力を込めて、彼女の矮躯を抱きすくめましたが。


「んぅー! むぐぅ~っ!」

「ほらほら、大人しくして――ひぁっ! こいつ舐めやがったな!」


 塞いだ手に、ナメクジが這ったような気色悪い感覚がして、つい彼女を手放してしまいます。

 わたしから解放された彼女は「ぷはっ!」と息継ぎをしてから、まるで威嚇するかのように舌をベロベロと出しながら、


「なにが舐めやがったな、ですか!? てめぇ、いい加減にしやがれですよ!」 


 女の子として、あまりにも汚い口調で啖呵を切ってきました。

 わたしも売りに買い言葉で、彼女に挑発します。


「はっ! あきらちゃんに何ができるというのです!?」

「訴えてやる! 玄関先の騒動くらい、ご近所さんと、人通りの多い外側には筒抜けですからねっ!」

「もう犯罪扱いするんですか!? えぇいっ! やらせはせん、やらせはせんぞぉ!」

「ひ、ひぃっ!? 痴女ナースに襲われる!」

「誰が痴女ですかっ!?」


 わたしは彼女を拘束すべく、襲い掛かります。

 正直、正当性を損失するリスクを鑑みたら、悪手としか言いようがありませんが、これはプライドの問題です。年増、ではなく年上の女性として、格の違いを見せつけなければなりません……ッ!


あきらちゃんが両腕を、わたしの胸に押し当てて〝つっかえ〟にした瞬間、思わず殴り掛かりそうになりましたが、ぐっと堪えます。


 ――他人の胸を〝壁〟みたいにしてんじゃねぇぞ、このメスガキィ!!


 業を煮やしたわたしは背後に回り、体格差を利用して、あかりちゃんを無理やり羽交い絞めにしました。


「捕まえたっ!」

「くぅ、このっ!!」


 しっかりと抱えるべく、わたしが彼女の胴に腕を回した、その瞬間。


「およ?」

「あっ」


 むにゅ、と。

 彼女の胴に腕を回した途端、ちょっぴり柔らかな感触が。

 ――な、まさか。

 齢一〇を超えた程度で、わたしには〝ないもの〟が成長している、だと……っ!?

 

「嘘、ですよね。なぜ、どうして、こんなものが」

「――ふっ」


 茫然自失している最中、あかりちゃんはわたしのなだらかな胸に、自身の後頭部をこすりつけます。

 まるで子猫が甘えるような仕草でしたが、そこに孕んだ感情は〝一種の憐憫〟というものであって……いやぁっ! もうやめてぇ!!


 そんな勝ち誇った顔すると、そのまま〝キュッ〟と首絞めちゃうかもしれないから!


「閃祈さんったら。性格は大胆でも、身体の方は慎ましいんですね」

「っ!?」

「でも、そういうところが逆に女の子らしいって言えるのかもしれません。身体が大人になり始めている私なんかよりも、ずっと少女らしく〝未発達〟ですし」

「あ、あぁ……」


 しばらくは自制心を保ち続けましたが……もう駄目みたいです。

 わたしは胴に回していた両腕を、片腕ずつ彼女の首元に移動させたあと、その首筋を撫で回します。


「ちょっ、いきなり何処を触ってるんですか! って、ひぃ!?」

「細い首……でも、どうしてわたしの欲しい場所にだけ、貴女は肉が付くんですか?」

「や、やめ――」

「なんだ? やたらと来るのが遅いな」


 敗北感に苛まれたわたしが、いよいよ凶悪犯罪に手を染めようとした、その直前。

 いつまで経っても玄関から帰ってこない、わたしたちの様子を窺いに、輝くんが戻ってきていたのでした。

 本心では頼りにしている兄の姿を見て、あかりちゃんは安堵の表情を浮かべます。


 が、しかし。


「お兄ちゃん、助け「そこ替われッ! 羨ましい!!」え、えぇ?」

「輝くん、なに言ってるのかな……?」


 わたしはあかりちゃんを抱き抱えたまま、輝くんの言動に戸惑ってしまいました。

 彼の表情は、紛れもなく真剣そのもので。

 さっきの世迷言は、嘘偽りない本音であるとしか思えなかったのです。


「――隙ありっ!」

「あっ、こら逃げるな!」


急に暴れたかと思えば、あかりちゃんが腕の中から〝すぽっ〟と抜け出してしまいました。ちくしょうめ。


 すばやく兄の背後に回った彼女は、わたしの様子を安全な位置から窺っていましたが……しばらくすると、ほっと一息ついてから、年の割には豊満な胸を撫で下ろしました。


 そう。わざと彼女は実際の動作として、わたしに見せつけやがったのです。


「こ、このメスガキ――」

「じゃなかった。すみません、ウチの妹が。どうか許してやってくれませんか?」

「……はい」


 仕方ありません。ここは輝くんの顔に免じて許しましょう。

 ふぅ。少々暴れすぎたのか、どっと疲れが押し寄せてきました。

 わたしは大人げなかったという後悔とともに、友人を手に掛けなくてよかったという安心感で、しばらく立ち竦んでしまいました。


 が、その一方で。

 あかりちゃんは、わたしから視線を外した途端、わなわなと震えながら輝くんを糾弾したのです。


「み、見損なったよ、お兄ちゃん。犯人に囚われている人質みたいな構図を見て、そこで〝羨ましい〟とか普通はありえないよね? ましてや救いを求めている妹相手に、それを言うってのは兄として、人間として、どうかと思わないの?」

「黙れ役得が」

「……本気で嫌いになりそう」


 双子兄妹の周辺に、殺伐とした空気が流れ始めます。

 当事者だった、わたしが言うことではありませんが。ふたたび喧嘩が勃発しては、神楽坂先生のいない黒曜館責任者代理として、ひとたまりもありません。

 おそらくは〝死にまつわる患者〟関係で、これから忙しくなるんですから……今日の業務は早めに切り上げたいのです。


「ほら、二人とも。兄妹喧嘩は自分達の家でやってください。そういうのは、わたしの手に余るんですよ。親御さんにチクり――報告しちゃいますからね」

「閃祈さんは黙ってて。ねえ、お兄ちゃん。こんな胸平らな女の何処がいいんですか」

「マジに喧嘩売ってんですか、あかりちゃ――」

「そこがいいんだろうがッ!!」

「……はい?」

「うっわ。我が兄ながら、ドン引きです……」 


 えっと、どうしよう。

 さすがに、ここまで〝露骨なアプローチ〟を仕掛けられると、わたしも輝くんの〝本心〟を推察できてしまうのですが。


「……とりあえず、二人とも。そろそろ玄関から移動しましょう」

「はい」

「はい」


 仲良く、いえ、仲が悪いですけれども。

 双子兄妹は声を揃えながら、ようやく素直に言うことを聞いてくれたのでした。


          ***


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