幕間(1)


 現在の日付は、昭和五九年〝三月三一日〟

〝うるう年〟であるため、示方閃祈が黒曜館に訪れた四月から〝三六六日〟が経過したことになる。


 ……去年の患者だった〝灰城折挫〟は、いまだに此処から離れる様子が窺えない。


 すでに療養期間は過ぎているのだが、どうやら黒曜館に愛着が湧いてしまったようだ。しかも、これから〝新しい黒曜館〟に引っ越すというのに『大丈夫? ぼくも手伝うよ』と言っていることから、どうやら転居先でも居候を続ける腹積もりらしい。


 ――世界征服の夢はどこに行ったんだ?


「寿命を与えた結果が、この始末か。残された時間の使い道は本人次第だから、文句は言えんが。俺にとっても、黒曜館の男手が増えるのは良いことではある……本人が有能であるかは未だ不明だがな」


 俺――神楽坂命砥は、灰城折挫の処遇について考えることを放棄してしまった。

 正直なところ、閃祈君の言うとおり〝彼は面倒臭い〟

 さらにいえば彼女がいないときは、自分に彼の負担が全部のしかかってくる。


「……いつものことだが、時間に余裕が無いせいで、四年の周期でしか引っ越せないのも、面倒なことだ」


 うるう年でなくては転居することはできない。

 彼女と一緒に、俺たちは三六六日目を迎えることはできないから。

 彼女のいない、たった一日の時間を使って、黒曜館は移転するのだ。


 ……そう。示方閃祈は、もういない。

〝彼女だったモノ〟が、ここに遺されているだけ。


「結局は、当日中に〝それ〟とも離別してしまう」


 黒曜館の玄関先で、停車する音が聴こえてきた。

 おそらくは〝あきらちゃん〟だった女性――〝晶さん〟が、閃祈を迎えに来たのだろう。


「……行くか」


 俺はベッドに横たわった少女の、穏やかな寝顔――否。

〝死に顔〟を眺めながら、彼女の亡骸を抱え上げて玄関へと向かった。

 

         ***


 その翌日。

 昼を過ぎた頃に、新たな黒曜館の戸を叩く者がいた。


「ずいぶんと今年は早いな」


 俺は椅子から腰を上げ、玄関へと向かう。

 辿り着くと、すでに玄関の扉は開いていた。


「はじめまして、神楽坂命砥(かぐらざかみこと)さん。わたしは〝示方閃祈〟といいます。亜人共同体からの紹介状を頂いて、黒曜館に参りました」


「そうか。では入りたまえ」

「はい」


 促された〝示方閃祈〟は、部屋へと戻る俺の背後を追いかけるように、黒曜館の中に入り込んだ。

 あまりにも警戒心の薄い行動だが、ふと横目で姿見に映った彼女の様子を窺っても、一切の疑問を持っているようには見えなかった。


 ただ胸元に埋め込まれた〝与命四九年式黒曜石〟を静かに煌めかせながら、俺の案内されるままに歩いているだけ。


「君は、何も思わないのか」

「質問の意図が不明です。〝何も〟という内容について、貴方に説明を要求します」

「すまない、余計なことを訊いてしまった。これからについての話は、黒曜石を外してから始めることにしよう」

「そうですか。では、そのようにします」


 ……この示方閃祈も、黒曜石を外すまでは自我に乏しいのだろう。


 俺達は会話を止めて、しばらく無言で歩き続ける。

 以前よりも長い廊下を突き進み、俺達ふたりは医務室の扉を前にして立ち止まった。それから俺は、遅ればせながら彼女に挨拶をしたのだ。


「閃祈君、これから一年間よろしく」

「はい?」

「……いや、今のは聞かなかったことにしてくれ」


 やるせなく呟いて、俺は彼女を〝新しい看護婦〟として迎えることにした。

 

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