第26話 危険地帯捜索
「ヨシコ、どう?」
「大丈夫。何もいないみたいだわ」
「よっしゃ、行くぜ!」
物陰から覗いたが、あのアシダカグモらしき影は見えない。
壁際を一列になって、ヨシコとトウカと共に走り抜ける。
曲がるごとに安全を確認しながら、壁を昇りなるべくステンレスの上を歩かないように注意しながら、流し台を目指す。
流し台の隅にある三角コーナーが目当てだ。あそこには人間が片付け忘れた生ゴミがよくある。
「あたいが見張ってるから探ってちょうだい」
到着すると、あたいは見張りに立ち、ヨシコとトウカに捜索を任せた。
しかし、すぐにあきらめの声が上がった。
「ダメよ。無いわ」
「片付けられちまってるよ」
「欠片でもいいからない?」
今日に限って生ゴミは捨てられていたようだ。周りを探したが何もない。
「次は、ガスコンロの下よ」
三人で汚れたガスコンロ周りを隈無く調べたが、食べられそうな汚れはどれも古く、硬化していた。
「ダメよ。囓れないわ」
ヨシコが試しに囓ってみたがまるで顎がたたない。
「くそ、いつもなら炒め物の野菜かすとか、煮物の吹きこぼし汁とかがあるってのに!」
トウカが地団駄を踏む。
「しょうがないわね。次を探すわよ」
冷蔵庫下は何も落ちていない。脇のゴミ箱から生ゴミの臭いがした。蓋付きのゴミ箱だが、隙間は大きい。滑りやすいプラスチック面を何とかよじ登って蓋の隙間に入り込もうとするが・・・・・・・・・。
「なんで? 隙間がないわ」
「あれだ。蓋の上に何か置いてあるぜ」
見るとなぜかゴミ箱の蓋の上に巨大な米の袋がそびえ立っていた。そのせいで蓋が歪み、隙間が潰れてしまったのだ。
「なんで米の袋がゴミ箱の上にあるわけ?」
「そういえば、この部屋の人間。前は炊飯器の上にフライパン乗せてたり、床に転がしてたお菓子の袋に野菜を入れた買い物袋を置いて中身を全部潰してたりしてたわ」
「クソ人間め。気まぐれに頭のおかしいことしやがって! うちらの気も知れってんだ」
いよいよ困った。いつもなら豊富にあるはずの食料が今日に限ってまるで見つからない。
ぐずぐずしているとアシダカグモに気付かれるかもしれない。
あたいは食料の場所に思いを巡らせた。
「あ、そうだ! 一つだけあった」
「それ、どこなの?」
「どこなんだよいったい?」
「ウドの大木欲情変態野郎がいつも食べてるビスケットよ。アレは人間の保存食だから居間にずっとストックがあるはずよ」
「キヨミ、冴えてるわ」
「そうと決まったら早速行くぞ!」
みんなで床を走り抜け、半開きの襖を通り抜けて居間にやってきた。
ちゃぶ台の柱をよじ登ると、ミカンを入れる籠にビスケットのビニール袋があった。しかも、意図も封に使われている輪ゴムが忘れられている。袋の口は開きっぱなしだ。
「あった!」
「やったじゃない。キヨミ」
「これでチビスケどもに土産ができるぜ!」
あたいたちは歓喜して、ビニール袋に頭を突っ込み、ビスケットを囓り始めた。
「にしても、・・・・・・ムシャムシャ・・・・・・キヨミったら抜け目ないわね」
ヨシコが横目がちに言った。
「・・・・・ムシャムシャ・・・・・何がよ?」
「惚れた相手の行動はちゃんと把握してるんだから」
「ブッ!」
思わず囓ったビスケットを吐き出してしまった。
「な、何言ってんのよ。あんな何にもできないウドの大木の欲情変態野郎に誰が惚れるのよ!」
「否定したって無駄だぜ。二回も助けられたことも、弟の面倒を見てもらってたことも、チビスケたちにそいつを頼れって言い残したことも全部知ってんだよ。その野郎もお前のことがまんざらでもないらしいじゃないか」
トウカもニヤリと笑って見せた。
「このビスケットのことだって後を付けてたからわかったんでしょ。なになに? これで帰ったら告白とかしちゃうわけ?」
「あたしがこっそりお膳立てしてやろうか。あぁ?」
「んなことするわけ無いでしょ! お膳立てなんていらないもん!」
「きゃ、また真っ赤になってる」
「すぐ顔に出るところがお前の可愛いところだよ!」
「うるさい、うるさい! 無駄口叩いてる暇があったらさっさと食料をかき集めなさい」
あいつのことが話題になると、どうにも調子が狂う。
確かに命を助けてもらったけど借りは返したからね。あたいの弟に飛び方を教えられなくて困っていたところを助けてあげたんだから。最も、弟に飛び方を教わるように言ったのはあたいだけど・・・・・・。
確かに、頼りにはなるかもしれない。だけど、限度があった。
ジロウとミミコを助けられなかった。一人しかいない弟と、可愛い後輩をいっぺんに失ってしまった。
あいつだって、アシダカグモにはかなわないのだ。そもそもゴキブリとアシダカグモじゃ存在の次元が違う。非力な餌と強力な捕食者。大自然が定めた掟。餌になるのはゴキブリの宿命だった。それぐらいあたいだってわかってる。
不条理極まりない宿命だけど、その責任をあいつが負うことこそ不条理かもしれない。
あいつのせいじゃないんだ。さっきはあいつに酷いことを言ってしまった。
だから、もう頼れないと思って、あたいとヨシコやトウカだけでここに来た。
自分たちの力だけで何かを成し遂げたかった。何かをしたくてたまらなかった。その何かを成就させて、贖罪にしたかった。ジロウとミミコへの。
そして、あいつへの感謝を表したい。初めてアシダカグモに遭遇したとき、あいつの声がなかったら、あたいたちはきっと逃げ遅れていた。
あいつのおかげで今生きていられる。本当はそれを言うべきだった、だけど、できなかった。感情にまかせて批難しかできなかった。もう、あたいはきっと嫌われている。
なら、言葉以外で伝えるしかない。チビたちの食料はヨシコとトウカが抱えられるだけで十分だ。あたいが抱えるのは、あいつのぶんだ。
囓り取ったビスケットを脇にこれでもかと抱え込み、あたいたちはビニール袋を抜け出した。
「あとは帰るだけよ」
「疲れた。早く帰って休みたいわ」
「これだけあればチビスケども喜ぶぜ!」
意気揚々と帰路につこうとしたその時だった。
空気が薄ら寒くなった。
何かがいる。おぞましく、欲望に満ちた、禍々しい気配が近づいている。
ヨシコも、トウカも、あたいも動けなかった。動くことそれ自体が死につながるという直感が働いていた。全身が本能的な恐怖で縛り付けられ、身動きができない。
「ねぇ、あれ・・・・・・」
ヨシコが先ほど自分たちが入ってきた半開きの襖を見ていた。
あたいも、トウカもそちらを見る。
襖の影から、八つの単眼がこちらを覗いていた。単眼の持ち主はゆっくりと長い八本の歩脚を音も無く動かし、居間に入ってきた。体を移動させても目だけはこちらを捕らえている。
アシダカグモだ。
弟も、可愛い後輩も殺した恐ろしい悪魔が、今まさにあたいたちに照準を合わせていた。
暗がりのなかで単眼がゆらりときらめき、歩脚が驚異的な瞬発力で跳躍した。
「・・・・・・・・・・・・ッ!」
ビスケットを全て放り出し、悲鳴も飲み込み、あたいたちは駆出した。
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