第21話 行方不明者を捜し出せ
「・・・・・・と、いう訳なんです。チョウロウ」
妙な胸騒ぎがした僕は、事の次第をチョウロウに説明した。
「行方不明とは大げさじゃな。ゴキブリの活動範囲は意外と広い。気まぐれで外へ出ておるやもしれぬ」
「しかし、僕が先日感じた不穏な気配も気になります」
あの不吉な何かと、今回の行方不明騒動が関係しているような気がしてならなかった。
「皆に知らせて捜索に協力してもらった方が・・・・・・」
ジロウがおずおずと言った。
「いたずらに不安を煽ってはならん。曲がりなりにもカブリ様のお言葉。ちょっとした事でもパニックになりかねん。事実が確定するまで口外は無用じゃ。ここは一つカブリ様自身に行動して頂いてはどうかの?」
「僕がですか?」
「カブリ様の力で行方不明者を捜して欲しいのじゃ」
確かに、今の僕の力ならできると思う。
「でも、手がかりが全くなしではどうにも・・・・・・でも、ミミコちゃんなら会ったことがありますからフェロモンから居場所がわかるかもしれません」
「ムサノブさん。やってください。お願いします」
「わかりました。ちょっと離れていてください」
僕は感覚を研ぎ澄まし、ゴキブリのセンサーである触覚と尾肢に神経を集中する。瞑想と共に集中力を増して、空間を探った。通常のゴキブリよりも遙かに鋭敏なセンサーが部屋中のゴキブリの数と位置を割り出していく。流し台の裏、冷蔵庫の背部、食器棚の隙間、箪笥の影、ありとあらゆる場所のゴキブリを察知した。
この阿久多家の部屋中にいるゴキブリは全て位置がわかった。
さらに記憶にあるミミコのフェロモンの香りをたどり、居場所を特定する。
いた!
洗濯機の裏だ。他のメスゴキブリが三匹ほど側にいる。何をしているかまでは、さすがにわからなかった。
「どうやら、ミミコちゃんは無事なようです」
「本当ですか? よかった」
「ほれ、見たことか。取り越し苦労であっただろう」
にわかに安堵のムードが流れるが、僕はまだ胸のざわめきが押さえられないでいた。
ゴキブリの数が以前感じたときより若干減っている気がするのだ。その時はまともに集中して数を数えたわけではないので定かではないが、やはり数匹足りない気がする。
僕はさらに集中力を高め、部屋中の臭いを分析した。
ゴキブリの糞は個体ごとに微妙に異なった集合フェロモンを発していて、どの糞をどのゴキブリが排泄したかがわかる。そのフェロモンの数とゴキブリの数が合わない。ゴキブリの数が少ない。昨日まで糞をしていたゴキブリがいなくなったということだ。
「!」
ほんのわずかな瞬間だったが、ゴキブリ以外の何かが動いた。間違いない。あの不穏な気配の正体だ。巨大で凶暴で欲求にまみれた不吉な何か。それは確かにこの部屋のどこかにいるのだ。
場所は、位置はいったいどこだ!?
僕は最大限の集中力を持って気配を追った。
そこは浴室の天井。ミミコちゃんがいる洗濯機の裏から近い。
「あの何かがミミコちゃんの近くにいます!」
「なんですって! 大変だ!!」
「これ、待たんか」
ジロウはチョウロウの制止を振り切り、僕よりも早く駆出した。
「一人で行ってはいかん!」
「僕が行きます。チョウロウはできるだけゴキブリたちを一カ所に集めてください」
「よしきた! 若いの、無茶するでないぞ」
「できる限りそうします」
僕もジロウの後を追う。自分でも制御できるか不安になるほどのスピードで床を駆け抜ける。体感速度はフルスピードのレーシングカーに乗っているのに等しかった。
すぐにジロウに追いつき、歩調を合わせていっしょに洗濯場に向かった。
到着すると洗濯機と壁の隙間の前に三匹のメスゴキブリが門番のように立っていた。一人はなんとキヨミだった。
「あ、ダメよ。ジロウに変態野郎。今、ここから先は男子禁制よ!」
キヨミは開口一番に僕たちを静止した。
「なぜだ?」
「この奥でミミコちゃんが脱皮中よ。あんた、わからないわけ? 女は男に脱皮するところは見られたくないのよ」
差し詰め、人間の女が着替えや化粧するところを男に見せないのと一緒か。脱皮はメスゴキブリにとって人間の裸体と同レベルの羞恥らしい。
ジロウは心配でたまらないといった様子で洗濯機の裏をのぞき込もうとしたが、他の二匹のメスゴキブリに静止された。
「もう脱皮そのものは終わった頃だけど、乾くまで待ってちょうだい。脱皮直後の乙女の心はそれこそ体と同じようにやわやわなんだから」
「キヨミさんたちは付き添いかい?」
「たまに、覗こうとする不届きな男がいるからね。あたしたちがこうやって見張ってるのよ」
見ると他の二匹のメスゴキブリも随分と気が強そうな感じだ。これならミミコも安心だろう。
「姉さん。何か不吉なものが近くにいませんか? ムサノブさんが感じ取ったんです」
「別に。何の気配も感じないわよ」
僕は浴室に向かい、換気のために半開きになった扉の影から中を覗いた。
暗く湿った浴室内。不穏な気配は感じ取れない。目視もしたが、動くものは見当たらなかった。
「何もいないようだ」
「ふぅ。よかったです」
緊張が解けたのかジロウはへたりとその場に座り込んでしまった。
「あんたたち、神経過敏なんじゃない?」
キヨミは呆れた様子で僕たちを見た。
「何かいたのは確かなんだ」
いるのは確かなのに動いたと思ったらすぐに消えてしまう。気配を察知できるのも一瞬で、気付けばそこにはいない。まるで雲を掴もうとしているようだ。
「姉さん。ミミコちゃんが心配です。様子を見てきてくれませんか」
「まったく。仕方がないわね」
キヨミが合図すると一匹のメスゴキブリが洗濯機の裏に入っていった。
「まったく。変な騒ぎ起こして、いい迷惑よ」
罵ってくれて構わない。むしろどんどん罵ってくれ。大歓迎だ。
僕がさらなる罵倒の言葉を期待して耳をそばだて、キヨミがさらなる侮辱の言葉を発しようとしたとき。それは起こった。
「きゃぁぁぁあ!」
様子を見に行ったメスゴキブリが悲鳴と共に飛び出して来た。何かとてつもなく恐ろしいものを見たように腰が砕けている。
そして、洗濯機と壁の暗い隙間から、巨大で獰猛なおぞましき存在が、強烈な殺気と欲望をまとい、むくりと姿を現した。
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