第17話 教えてよ飛び方を
集会から数日が過ぎた。
僕はゴキブリ救世主「カブリ」様とかなんとかいう存在として担ぎ上げられてしまった。
なんでも人間の知能と神が与えた超能力やら何たらがあって、ゴキブリを絶滅の危機から救うんだとさ。
バッッッッッカバカしい!
要はこのゴキブリ集団ミカワファミリーのリーダー役を押しつけられただけなのだが、正直、集団の長など僕にはできないし、する気も無い。現に数日経っても誰も僕を頼ってきたり、僕にいいことがあったりするわけではなかった。
ちょっぴりでも王様的な待遇を期待していなかったわけではないが、そんなことは皆無だった。誰かが食物を献上したり、侍女ができて身の回りの世話をしてくれるなんて事もなかった。きっとアリのような階級社会ではないからだ。
ゴキブリたちも僕も相変わらず夜に出歩いて餌をあさり、昼には眠る。
自由奔放というか何というか、勝手気ままなものだった。
にしても・・・・・・・・・・・・。
チョウロウの口車に乗せられてメスゴキブリたちが寄ってくるものと思い込んでいたが、誰一人僕に声をかけてくる女はいなかった。たまにキョウタを連れたママさんと世間話をするくらいで、女性との接触は人間の頃と同じく少なかった。
若いメスゴキブリたちが井戸端会議で僕の噂をしているのはわかっていたが、僕のほうから近づくとさぁっと逃げてしまう。あくまで興味本位であって好意ではなさそうだ。
「あぁ・・・・・・」
思わず溜息が出た。ベイト剤の一件からキヨミを全く見かけなかった。
キヨミはどうしているだろう。暇さえあれば彼女のことばかり考えている気がする。最も、常に暇なのだが。
今の僕なら意識を集中して気配を探れば、キヨミの居所はすぐにわかると思う。
だけど、それは何だかストーカーじみていて実行するには気が引けた。
「・・・・・・あ、あの~・・・・・・」
どこからか声がした。見ると物陰から一匹の若いオスゴキブリが顔を半分だけを覗かせていた。
「何ですか?」
「・・・・・・いえ、あの・・・・・・その・・・・・・」
やたらもじもじしていて、物陰から出てこようとしない。
「どうしたんです?」
僕が近づくとオスゴキブリは怯えたようにひゃっと悲鳴を上げて物陰に隠れてしまった。
物陰を覗いてみるとオスゴキブリはうずくまって頭を抱えながらぶつぶつと独り言を呟いていた。
「ダメだ。やっぱりダメだ。できないよ・・・・・・どうやって話しかければいいんだ・・・・・・」
あ~。どうやら、初対面の相手に話しかけるのが苦手な照れ屋タイプのようだ。
「どうしたんです?」
「ひぃ、すいません!」
話しかけると、驚いたオスゴキブリは一瞬で土下座スタイルになり、大名行列に頭を下げる水呑百姓みたいに頭を地面に押しつけてしまった。
「そんなにかしこまらないでください」
「ひぃ、ごめんなさい。恐れ多くも救世主カブリ様に面会しようなどと、我が身の程を知るべきでした。申し訳ありません」
「いえ、全然そんなことありませんよ」
ここまで下手にまわられると何だか落ち着かない。
「顔を上げてください。逆に話しにくいじゃないですか」
「いえ、とんでもありません! お時間を取らせてすみませんでした。これにて失礼します!」
そのまま六本足で猛ダッシュしようとしたオスゴキブリだが、僕はそれより早く首根っこを掴んで引き留めた。相手は全力のはずだが、片腕で力が足りた。逃げようとする六本の足が高速で床を空滑りしている
「ちょっと待ってください。何か用があったんじゃないんですか?」
キョウタママの一件もある。緊急のことかもしれないから用件だけでも聞いておきたかった。
「ひぇえええ! 滅相もありません。ですから許してください、お願いします!」
「取って食ったりしませんから。どうしたんですいったい?」
「言えません。とても言えません。空の飛び方を教えて欲しいなどとそんな大それた事」
「・・・・・・飛び方ですか・・・・・・」
「そうです。空をカッコ良く舞って、思いを寄せるあの子にいいところを見せたいのです! そして愛を告白して一緒に夕焼け輝く地平の彼方まで駆け落ちしたいんです」
言えないと言っておきながら随分とぶっちゃけやがる。勢いづくと止まらないようだ。
「・・・・・・まぁ、やれるだけはやってみましょう」
「・・・・・・へぇ?」
オスゴキブリは静止し、きょとんとして僕のほうを振り向いた。
「よ、よろしいのですか?」
「正直、誰かにものを教えたことなんて無いので、うまくできるかわかんないですけど」
人にものを教えられても教えた事なんて一度も無い。
飛ぶこと自体は実を言うとこっそりと練習していたりするのだが、それを教える自信など皆無だ。
だが、頼ってきてくれたのは実にうれしかった。「カブリ様」の仕事第一号だ。
どうせ暇だし、たまには働こう。
オスゴキブリは僕に向き直った。細身でいかにも神経質そうな顔立ちである。
「お、お願いします! 私はジロウと申します。以後お見知りおきを」
「よろしくです。 あと、僕のことはムサノブと呼んでください」
「はい。ムサノブ様」
「様も付けないでください。お願いですから!」
僕がずいっと迫ると、ジロウは半歩ほど後ろに下がった。
「・・・・・・ムサノブさん」
ジロウの顔が明らかに引きつっている。少し怖がらせてしまったようだ。
「では、早速飛ぶ練習ができそうな場所に行きましょう」
ごまかすようにまくし立て、僕たちは真夜中の台所に出た。
ゴキブリの体からすれば四畳足らずの台所は広大な運動場だ。
「じゃ、背中に意識を集中して羽を開いてください」
「こ、こうですか?」
「そのまま羽を羽ばたかせて走りながら思いっきりジャンプしてください」
たしか、僕が初めて飛んだときは、こんな感じだったはずだ。
「僕が先にやってみますから真似をしてください」
「はい!」
ジロウの返事と共に僕は猛ダッシュし、背中の筋肉に意識を集中した。
飛べ!
前翅と後翅を展開し、前翅で風向きをコントロールし、後翅を羽ばたかせて動力とする。
床を蹴ると僕の体はみるみる上昇していった。ビルのように巨大だった家具があっという間に眼下に収まった。
やっぱり、気持ちいい。飛ぶって何だか解放される気分だ。
僕自身、まだゴキブリになって日が浅いから、宙返りとかアクロバティックな飛行はできないが、それでもジロウからの羨望の眼差しは感じ取れた。ちょっと優越に浸った。
僕は高度を下げてジロウの近くまで来るとホバリングするように速度を落とした。
「ジロウさんもやってみてください」
「はい」
ジロウもダッシュし、羽をばたつかせた。
しかし、いつまで経っても上昇することはなかった。
ダッシュばかりが加速し、ついには壁に頭から衝突した。
「痛てててて・・・・・・」
「・・・・・・大丈夫ですか?」
ジロウはたんこぶができた頭をさすりながら、涙目になっていた。
「すみません。全然飛ぶ気がしません」
「・・・・・・・・・・・・おかしいですね。僕はこのやり方で何回も練習していたんです。もう一度やってみましょう」
それから僕とジロウはひたすら反復練習を繰り返した。
しかし、結果は同じで、ジロウは床から一ミリも浮くことはなく、ただ走っては壁に頭を激突させてたんこぶを無数にこしらえるだけだった。
「ムサノブさん。もうダメです・・・・・・」
疲労困憊で汗だくな上に、頭がもはや出来損ないの鏡餅の集団になり果てたジロウはくたっとへたり込んでしまった。
見た目には飛べるように見えるのだが全くと言っていいほど揚力を得られていなかった。
やはり僕の教え方が悪いようだ。
でも、どうすればいい。他にどんなことをすればいいのか見当がつかなかった。
飛び方一つ教えられないとはカブリ様として情けない限りだった。
「ジロウさん。今日はこの辺で・・・・・・」
今日はとりあえず諦めようとしたとき、どこからか声がかかった。
「全くだらしがないわね。あんたたち」
聞き覚えのある声だった。
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