第16話 煩悩の勝ち
目の前には総勢百匹弱、大小様々なゴキブリたちが結集していた。みんなてんでにあっちを向いたりこっちを向いたり、触角を舐めていたりお喋りをしたりしている。
「皆の衆、よ~く聞くのじゃ!!」
チョウロウがどこから出るのかと思うくらいの大声でざわついていた群衆を沈めた。
「今宵、我がミカワファミリーは新たに同胞を受け入れることとなった。しかし、驚くなかれ。その者は伝説にある我らゴキを導きし救世主『カブリ様』なるぞ!」
群衆が一斉にどよめいき、無数の触角が小刻みに蠢いている。
「救世主?」
「『カブリ様』だってよ」
「何?『カブリ様』て何?」
「ガブリと噛むってことか」
「急性腫? 病気なんだ」
「……(居眠り中)」
でも、みんな理解していないようだ。
「聞けい!!」
チョウロウが一喝。再び辺りを静寂が包む。遠くのほうで冷蔵庫のモーター音だけがかすかに響いていた。
「三億年にわたり繁栄し続けた我らゴキが窮地に陥りしとき、神アジダハカに指名を与えられし救世主が現れるであろう。救世主は我らを虐げ、滅ぼさんとする種族より選ばれ、その種族の力と、神より与えられし非常の能力を併せ持ち、我らを絶滅の危機から救わんとす。その者、名をカブリとす」
僕はチョウロウの顔を見やった。先ほどまでの温厚さとは打って変わり、鋭く威厳のある眼差しを群衆に向けていた。
「皆の衆、現在我々の置かれている状況をどう思う? 近年の人間たちの行動をどう思う? 人間たちは罪もなき我々を害虫と決めつけ、目の敵にし、視界に入ろうものならばすぐさま息の根を止めようと暴れだす。さらにここ十数年で強力な薬品や罠を次々と開発し、我らの絶滅を悲願としておる。我らは毎日の食事も命懸け、満足に外を出歩くことすらできぬ。この現状を打破しなければ我々に未来はない」
「たしかにそうだな」
「うちの旦那も潰されたわ」
「うちの息子は殺虫剤だった」
「おれさっきホウ酸団子っぽいもの食っちゃった」
今度は多少理解されたようだ。
「皆の衆、今こそ待望の時だ。救世主カブリ様に我らミカワファミリーの長の座についていただき、我らゴキブリたちの王として種族の永遠の平安を実現していただくのじゃ!」
「ちょっと待った。いきなり長ってどういうことです? 王ってなんですか?」
僕は思わず突っ込んだ。
「ワシは引退する。これからはカブリ様がこのミカワファミリーのリーダーですじゃ」
「できるわけないでしょ!」
学級委員長すらやったことないし、僕はそもそも人の上に立つような気質じゃない。せいぜい三等兵とか奉公足軽がいいところだ。
「ワシは相談役としてカブリ様に助言をさせていただきます。じゃが実質的な権力は全てカブリ様に継承いたします。ゴキブリ千年王国実現のため、存分にミカワファミリーをお使いくださいませ」
「あなたこの間ゴキブリに権力は無いとか言ってませんでしたか? それに千年王国って何です? 悪い秘密結社の世界征服の野望みたいじゃありませんか!」
「皆の衆! カブリ様に服従と忠誠を誓うのじゃ!」
「お~~~」
「ぉお~~~」
「よくわからないけど、お~~~」
「メシ食いに行きたいから、お~~~」
「寝たいから、お~~~」
「・・・・・・・・・・・・(やっぱり居眠り中)」
誰も理解できてないじゃないか!
この状況はマズかった。このままでは本当のゴキブリたちの救世主として担がれてしまう。そんな責任重大なことできるわけがない。ゴキブリの親子を助けるだけでも精一杯だったのだ。種族の平安? 王国の実現? 寝言にも限度あるだろ。
「皆さん聞いてください!」
チョウロウにいくら言ってもダメだ。ここは民衆に訴えるしか無い。
「確かに僕は先日まで人間でした。並のゴキブリを超える能力もあるようです。しかし、それだけです。僕にはゴキブリ世界の経験も知識も不足していますし、人間の時だってリーダーになれるような人材ではなかった。皆さん、これは自分たちのリーダーを決める大事な集会です。もっとよく考えてください!」
「別にいいよね?」
「特に問題ないよね?」
「どうでもいいよね?」
「誰でも困らないよね?」
ダメだ。誰も考えちゃいねぇ。
「皆さん。自分の命に関わることですからもう少し・・・・・・・・・・・・」
「おい、人間がフライパンに料理をそのまま残してるぞ! 蓋もしてないようだ」
「「「「「「「わぁぁぁぁぁあああああああああ!」」」」」」」
集会に遅れてやってきたゴキブリがさも自分の手柄と言わんばかりに群衆にディナーバイキング情報を大暴露。ゴキブリたちは歓喜の雄叫びを上げ、皆一斉に走り去ってしまった。
どいつもこいつも知力ゼロだ!
しんと静まりかえった集会場に僕とチョウロウだけが残された。
「では、カブリ様。今後ますますのご活躍、期待しておりますぞ」
「もう・・・・・・どうでもいいです」
強烈な脱力感が体を襲っていた。ずっと寝てていいだろうか。
「ときに、カブリ様」
「ムサノブと呼んで欲しいのですが・・・・・・」
「ゴキブリになって良かったと思えることを教えて差し上げよう」
「いいことなんてあるんですか? いくら僕が並以上の能力を持ったゴキブリだとしても所詮はゴキブリです。殺虫剤をかけられれば死ぬでしょうし、スリッパで叩かれれば潰れてしまいます」
「そんなことではない。良いか。ゴキブリの世界はの・・・・・・」
「ゴキブリの世界は?」
「結婚や浮気という概念がない!」
「・・・・・・ってことは・・・・・・」
「恋人も妻も愛人も何人でも造り放題。ハーレムは動物界共通の男のロマン。それがゴキブリの世界ではいとも容易くできるのじゃ」
ちょっと心が揺らいだ。恋も浮気もし放題。漫画やアニメの世界の理想が実現できる。
「わかっておるぞ。あのキヨミのことが気にかかるのじゃろ?」
チョウロウが年不相応にニヤリと嫌らしく笑った。
「何で知ってるんです!?」
「言ったじゃろ。ゴキブリの世界は情報伝達がとても早い。きっとカブリ様のこともすでにファミリー中に伝わっているじゃろう。そうすれば、キヨミに限らずともメスのほうから寄ってきますぞ。しかも、浮気という概念がないから何股かけてもメスから咎められることもありゃしませんぞ」
ゴキブリに本来ないものなら何でこのジジィは結婚や浮気なんて事を知っているのだろう。実に胡散臭い。
だが、ゴキブリ社会の恋愛事情に人間のような束縛がまるでないのは予想外だった。
それに、僕には救世主という肩書きがある。鬼に金棒じゃないか。キヨミはもちろん沢山の可愛い女の子とウハウハ同棲生活か・・・・・・・・・・・・。
いや、いくら何でもゴキブリとそれはないだろ。
あ、でも今の僕はゴキブリそのものか・・・・・・・・・・・・。
それに、僕には他のゴキブリが全てコスプレをした人間に見えるから、視覚的には問題ないか・・・・・・・・・・・・。
先ほど出会ったキヨミの顔が脳裏に浮かび、僕の脳内を今までの自分では考えられないほど煩悩にまみれた妄想が支配し始めた。
きっと人間の世界では絶対に味わえない女のことのスキンシップ。手をつなぐ、腕を組む、おんぶにお姫様抱っこ、膝枕、ハグ、壁ドン、キス、そして・・・・・・・・・。
「どうじゃ? しばらくはカブリ様としてここに居てみてはどうじゃ?」
キヨミが僕の前で四つん這い(実際は六つん這い)になって臀部をこちらに向け、体を許す体勢になっているイメージが浮かんだとき、僕は即答した。
「そうしてみます」
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