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 自分の人生に迎え入れた新しい楽しみが、どんなに日々に活力と心地よい刺激をもたらしてくれるか。怠惰に過ごした過去の何十年かを経て、私は漸くそれを実感している。今の私の生活を原動力として支えてくれているのは、ふたつの新たな楽しみだ。


 新しく買い入れた全身鏡の前で髪を掻き上げてみせる。ここ1年あまり、私は鏡の前での衣装合わせに多く時間を使うようになっていた。娘時代もファッションには疎いほうではなく、好みの服や自身の魅力を引き立たせる服をあれこれと見立てては着飾ることを寧ろ積極的に楽しんでいたのだが、今思えばあれはやはり、独り善がりの子供じみた、文字通り児戯に過ぎなかったのだと思う。

 

 真の歓びとは、目的意識と反応や評価を無くしては成立しえないのだということを、私ははじめての「施術」を受けてからの生活で学んだ。かつての私は気の向くままに着飾ったり自然に振舞うだけで、身の回りの異性からは何くれとなく良くしてもらえたものだし、何よりそれは労苦を肩代わりさせ自分自身の怠惰でな生活を確保するための手段であって、彼らから得られる反応や評価自体には、人生のというものを見出していなかった。


 相手――私にとってその対象は男性に限られるが――の欲望に叶う所作や装いを並べ立てて感情を私がそうさせたいようにコントロールする。気に入るような装い、気に入るような所作、気に入るような佇まい。鏡を前にして行うそれらの「研究」や「努力」が、私と対面した相手の反応という直接的な成果に結びついていくのは、今までの人生で何よりも純粋な痺れるような喜びを感じさせてくれた。





 髪をアップにしてみようと長く伸ばした後ろ髪を手で束ねようとすると、指先が後頭部の手術跡に触れた。無論現代の整形外科技術では醜く目立つ傷跡など残るはずもなく、滑らかな頭皮に義脳を埋め込んだ跡の緩い隆起を指先の感触でわずかに感じるのみだ。


 触感を確かめるたび、まだ脳にも身体にも手を入れていなかった頃のことを思い出して少し気恥ずかしくなってしまう。いまや何らかの形で義体化をしている人間は全体の九割以上に上るという。加えて義脳化技術も緩やかに一般社会への浸透を続けており、「どこにも手を入れていない」人間は自然主義者ナチュラリストと呼ばれる、完全なる少数派の部類に入る。


 私が義脳化手術を躊躇っていたのは手術を恐れていたという部分も大きいが、自身の「生まれたままナチュラル」な脳と身体そのものに、内心密やかな自負を抱いていたという理由もあった。


 今思えばそれは、馬鹿馬鹿しい、子供じみた執着に過ぎなかった。ちょっと考えれば分かるような話だが、自身の気に入らない部分や足りない部分を取り換えたり補おうという欲求はごく当たり前のものであるし、そもそも顔面整形手術や歯の矯正などは2世紀も前から忌避感もなく行われてきたという。それが衣類や歯の話から腕や足を取り換えたり、身体という外形的なものから「内面」になった瞬間に「不自然」だとあたかも冒涜的な行為であるかのように批判することは、やはり誤謬ではないだろうか。もっともこれは、私自身が義脳施術を受けたから言える側面もあるのだが。あの営業職員の提案には感謝しなければならない。あれを受け入れなければ、日常がこのような華やかな快感に溢れたものになりうるということを、私はついぞ知ることはなかっただろう。



 新しい契約を結ぶ際、担当の営業職員が約束した条件や報酬のすべては、十二分に守られた。義脳化を経ての数度の情報移植施術は十分な安全とケア体制を保って完了されたし、義脳化を受け入れた「提供者」としての高額なベース報酬は滞りなく口座に振り込まれ続けている。


 そしてそれらのことが些末なことに思えるほど私を満足させているのは、ベース報酬とは別に私の口座に振り込まれる莫大なインセンティブ報酬の金額だった。より上質な情報を提供できるよう最適化された脳を手に入れた私は、見事「女性らしさ」の脳内情報提供者として上位を取り戻した。

 

 毎月私のもとに届く報告書の様式は8か月ほど前に若干の変更が加えられ、支払報酬金額の内訳以外に、私から採取された情報の移植希望者や移植実施者など、需要の詳細な内訳が書き加えられるようになった。これら報告書の数字を舐めるように眺めることは、私にとって月例の大きな楽しみとなっていた。


 かつての細々とした契約形態だった頃とは違い、物欲の矛先をあれこれ夢想するようなことはもうしなくなった。何より情報移植施術の需要が拡大した昨今、実績上位パートナーである私に振り込まれる金額は余りに膨大なものであるため、「買いたい」と思うようなものはほとんど買い尽くしていたし、それでも使い切れない金額は地層のように口座に降り積もり続けていた。

 

 私にとってそれは単なる長い数字の羅列などではなく、目に見えない多数の人間が、私の内面――私の提供する「女性らしさ」の価値を認め求めた証跡であり、目に見える形で私自身の価値を担保する量的・客観的な指標に転化したものに他ならない。営業職員が並べ立てる賛辞などより、よほど雄弁に私自身の価値を語っているかのように見えた。




 ふと、かつてバイクを収納していたガレージの解約と引き渡しの期限が近づいていることを思い出す。中身はすべて処分したとはいえ、麻疹のようにのめりこんだ趣味の痕跡をいつまでも残しているというのも不調法だ。速やかに片付けなければいけないのに、この忘れっぽい悪癖は昔から相変わらずだ。どうせ口座には唸る程金があるのだ、ちょっと「短期記憶向上」の情報でも移植してみようか。

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